1. ホーム
  2. テクノロジー
  3. 連載コラム
  4. Technology to the Future
  5. 第7回

Technology to the Future 第7回 iPS細胞で、世界の“ハート”を守る

テクノロジー 森 旭彦 2015年12月18日

 私たちが生きている間、絶え間なく拍動し、身体中に血液を送る命のポンプ、心臓。
 この心臓の働きが低下し、機能不全に陥った状態を「心不全」と呼ぶ。
 心筋梗塞や心筋症などの心臓病の多くは心不全に至る。心不全の5年後生存率は50%。
 重症心不全の1年後生存率は50%だ。

 心不全の国内患者数は100万人から140万人と言われ、そのうちの20%が重症患者と推計されている。

 現代の医学でも、重症心不全を完全に治療する方法は心臓移植以外に存在しない。
 そして心臓移植が行われているのは年間僅か35件だ。

 35個の心臓を、重症患者約30万人で分け合うことはできない。移植には、優先順位が決められる。
 高い競争率と様々な条件をクリアした患者だけが「心臓移植待機患者」となることができる。
 心臓移植待機患者の数は、重症患者約30万人に対して300~400人。
 幸運にも倍率1000倍の権利を獲得した心臓移植待機患者には、心臓移植が行われるまでの延命処置として、人工補助心臓が取り付けられる。

 そして、待機患者に選ばれなかった患者には人口補助心臓もつけられず、ただ死を待つだけということになる――。

 「これが日本の心不全患者の現状です」そう話すのは、バイオベンチャー「iHeart Japan」の代表取締役社長、角田健治氏。
 そのミッションは、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)発のiPS細胞の技術を使った「細胞シート医療」で、心臓移植を代替し得る革新的次世代医療を開発することだ。


角田健治(かくた・けんじ)氏
iHeart Japan株式会社 代表取締役社長。
2000年京都大学農学部卒業。2002年京都大学大学院農学研究科修士課程修了。2009~2013年三井物産グローバル投資株式会社投資部門ディレクター。日本、北米、西欧を中心としたバイオテクノロジー分野においてVC投資を担当。他家幹細胞治療を開発するPromethera Biosciencesでは取締役に就任。2013年4月、iHeart Japan株式会社を設立。2014年6月タカラバイオ株式会社と技術移転契約を締結。2015年日本バイオベンチャー大賞にて経済産業大臣賞を受賞。現在は東京にビジネス・オフィス、京都にラボがある2拠点体制で活動中。

心臓移植の代わりになる再生医療を目指して

 かねてから心不全治療のための細胞シートは研究開発されてきた。2015年9月には世界初となる心不全治療用の再生医療製品として、テルモの細胞シート「ハートシート」の製造販売が承認されたことも、日本の再生医療における大きなニュースだった。細胞シート医療は、もう手が届くほどのものになりつつある。
 細胞シートとは、ヒトの細胞を培養し、シート状に加工したものだ。患部に貼ることによって、臓器・組織を文字通り再生させることのできる次世代医療として注目されている。

 2013年4月に創業したiHeart Japanは京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の山下潤教授の研究による「細胞シート積層技術」で、心臓移植の代わりとなる医療を模索する。
 iPS細胞は、人体の様々な組織・臓器の細胞になることのできる「分化」能力を持つとともに、ほぼ無限に増殖する能力を持つ。山下教授の研究は、iPS細胞をコントロールし、高効率に心筋細胞・壁細胞・内皮細胞をつくりだす「分化誘導技術」だ。この技術を細胞シート医療に応用しようというわけだ。

 その治療効果を角田氏は「心臓の壁を移植したような治療」と表現する。
 iHeart Japanの開発する細胞シートには、iPS細胞から分化された「心筋細胞」、「壁細胞」、「内皮細胞」の3つの細胞が含まれている。心筋細胞は、心臓の筋肉「心筋」を、壁細胞と内皮細胞は血管をつくる細胞だ。これを心不全の心臓に貼り付ければ、心機能が回復すると言う。


  • 角田氏:

    症状の悪化を食い止める、症状を僅かに緩和するといったレベルではない、世界初となる、重症心不全を日常生活が可能な程度まで回復させる可能性を持った治療法です。

    そもそも、従来の細胞シートによる心臓治療には、課題がありました。手術によって細胞シートを心臓に貼ると、シートの細胞から分泌される「サイトカイン」と呼ばれるシグナル物質が、シート周辺の心臓の細胞を活発にし、弱った組織の回復が促進されます。しかし移植した細胞自身が心臓の筋肉のように収縮し、拍動するわけではないため、細胞を移植した時点で心臓の機能がサイトカインに反応できるくらいに残っていなければ効果がない。よって、重度の心不全には効かないのです。また、移植後1ヶ月ほどすると、移植した細胞は消えてなくなり、効果が限られてしまうことも課題となっていました。

 iHeart Japanは複数の細胞シートを積層させる技術を開発し、長い時間、心臓に定着する細胞シート多層体を開発した。実験では、移植された細胞シート多層体内に毛細血管が形成され、移植先の心臓に元々ある血管とつながり、心臓の壁と一体となって心機能を強力にサポートしてゆくことが観察されたと言う。


  • 角田氏:

    当社の細胞シート多層体は、従来の細胞シート治療によるサイトカインの誘発を行いながら、定着した心筋細胞によって心臓の拍動を物理的にサポートできるだろうと考えられるのが、大きな特徴なのです。

出典:Sci Rep. 2015 Nov 20;5:16842. doi: 10.1038/srep16842.
グラフでは、縦軸が心臓の機能を、横軸が時間を示している。人工的に心筋梗塞をつくり、心機能が低下したところに、細胞シート多層体(赤線)で治療を行ったところ、病前の水準近くまで回復するほどの著しい効果を示した。

 また、同社の細胞シート多層体は、患者本人ではなく他人の細胞を移植する「他家移植」によって、将来的にコストを大幅に下げてゆくことを志向している。一般的な細胞治療の多くは自分の細胞を移植する「自家移植」だが、移植に適した細胞を持っている人の細胞を利用して量産し、多くの人へ移植した方が、効率が良く、コストも下がる。


  • 角田氏:

    患者の細胞を使ったオーダーメード治療を行うと、拒絶反応のリスクがない反面、コストが非常に高くなります。そこで私たちはiPS細胞研究所の行っている『再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト』において樹立された細胞を用いることで、拒絶反応のリスクを低減しつつコストを抑える提供体制を考えています。

 他家移植の問題は免疫拒絶だ。免疫拒絶はHLA(ヒト白血球型抗原)型の不一致によって起こる。再生医療用iPS細胞ストックプロジェクトでは、HLAの型を合わせやすい「HLAホモ接合体」を持つ人からの細胞を揃え、ストックを構築している。iPS細胞研究所は、2023年までに16万人を調査し、日本人の80%以上をカバーするストックを構築する予定だと言う。
 iHeart Japanはこのストックから細胞を入手し、細胞シート多層体に加工、病院へと出荷するビジネスモデルを動かしていくと言う。低リスクで低コストな細胞医薬品として、広く提供していこうというわけだ。
 さらに、法改正により、治験期間が短くなり、治験までは3年かかるものの、販売承認までは6年程度だと言う。


iPS細胞ストックを使い、CMO(医薬品製造受託機関)へ製造を委託し、医療現場への低コスト・低リスクの安定的供給を目指すビジネスモデル。

  1. 1
  2. 2
この記事の評価
現在の総合評価(3人の評価)
3.6
あなたの評価
決定
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。
この記事に対するコメント
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。

同意して送信する

コラムニスト・プロフィール

森 旭彦もり あきひこ

1982年京都生まれ。2009年よりフリーランスのライターとして活動。主にサイエンス、アート、ビジネスに関連したもの、その交差点にある世界を捉え表現することに興味があり、インタビュー、ライ ...

プロフィール詳細



バックナンバー一覧を見る


Copyright ©NEC Corporation 1994-2017. All rights reserved.