1. ホーム
  2. 経営・戦略
  3. 連載コラム
  4. 深層中国 ~巨大市場の底流を読む
  5. 第57回

深層中国 ~巨大市場の底流を読む 第57回 自分の不幸は他人のせい~無責任体質はどこから来るか

経営・戦略 田中 信彦 2014年03月07日

 前回の連載で「中国の権力者はやりたいことは基本的に“何でもできる”し、国民もそれを前提に権力に依存し、時にそれを利用して自らの利益を図ろうとする、官民ともに“権力頼み”の社会である」という趣旨のことを書いた。そして、この権力依存型の経済成長が限界に来つつあり、不動産バブル崩壊など大きな調整の可能性が高いという見方をした。

 この内容について読者の皆さんから大きな反響があったので、今回はこの論点をもう少し別の角度から考えたいと思う。前回は「権力依存」の経済的な影響について考えたが、今回は、経済的にはかくも急速に豊かになっているにもかかわらず、中国社会に充満する不満情緒はどこから来るのか、そして「自分さえよければいい」「自分は常に正しい。悪いことはすべて他人のせい」といった無責任体質がどのような原因で発生しているのかを考えてみたい。

あてがわれたものを買うしかない時代

 私が初めて中国に来たのは1981年、大学3年生の時である。中国政府の人に連れられて人民公社(農村の生活共同体のようなもの)に見学に行くと、「この家にはテレビがあります」と紹介されるような時代だった。改革開放は始まってはいたが、家電製品に限らず服や食べ物にしても単一の商品を大量生産して供給する計画経済がまだ機能しており、配給制度が生き残っていて、人々は基本的に政府からあてがわれたものを買うしかなかった。「なるほど、これが社会主義というものか」と衝撃を受けたのを覚えている。

 80年代後半になると、さすがに商品の数は増えてきたが、それでも国外のデパートや量販店に並ぶ圧倒的な量と種類の商品群とは比較にもならない貧相なものだった。例えば、上海の百貨店でテレビを買うとする。選択肢はほとんどない。それどころか品物があればまだよいほうで、買い逃がすと次はいつ入荷するかわからない。要するに目の前にあるものを買うか買わないか、二つに一つである。

 それで結局、多くの人はやむなく買うのだが、そのテレビがまたよく壊れる。無理もない。ほとんど独占供給だから、国営メーカーにすれば造れば売れる。品質がよくなるはずがない。当時としては給料の何カ月分、何年分という大枚をはたいて買った製品が壊れ、修理もままならない。私の友人たちは怒り、販売店やメーカーにねじ込むが、相手は国営企業で客を客とも思っていないから、当然のごとく埒があかない。そんなことを繰り返しているうちに、人々は疲れ、諦めて、こう思うようになる。

 「仕方がない。悪いのはあいつらだ。私のせいじゃない」

 これが諸悪の根源である。

「自分で選んだのではないから、自分に責任はない」

 日本国内でテレビを買おうとすれば、当時でも今でも、たくさんの電気店を回り、販売員の話を聞き、パンフレットを集めて、無数のメーカーの無数の機種を比較検討し、最終的に一台に決める。そうやって最終的に自分の意志で一つの製品を選んだ末、たまたまその製品が思い通りではなかった、もしくは不幸にして不良品だったとする。もちろんメーカーに責任があることは当然だが、選択の過程に透明性があり、根底の部分では自分が決めて選んだということがあるから、「安物買いの銭失いだったかもしれない」とか「運が悪かった」とか自分を客観視して判断する気持ちを持つことができる。

 しかし、「欲しければこれを買え。嫌なら買うな」という状態で商品を買った人に、その結果の責任を問うのは無理である。他人に半ば無理やりあてがわれた結果なのだから、責任を問われるべきは自分ではない。つまり「数多くの選択肢の中から自分の意志で、あるものを選択する」という行為は、どこまでが自分の責任で、どこまでが他人の責任なのかを客観的に考えるために欠かせない条件なのである。

 社会主義計画経済とは、このテレビの例のような構造が日常生活のすべてに及んでおり、食べ物も服も、住むところも学校も職業も、すべてが自分の意志で選べない時代だった。ということは、自分の生活、自分の人生に自分で責任を持たない(持てない)状況だったということである。当時、中国の人々が何かにつけて「そんなの知らないよ。私のせいじゃないから」という反応を見せる様子を見て、「社会主義とはとんでもない仕組みだ」と改めて認識したのである。

 もちろんこれは当時の話で、今の中国とは状況が違う。現在は食料品や衣服、家電製品といった一般的な商品はあり余るほど流通し、市場原理が機能して競争力のない商品は淘汰されるメカニズムが浸透している。これは社会の大きな進歩であることは間違いない。しかし一方で、中国社会には今でも「自分の意志で選択することができない」ものが多々あり、しかも社会の根幹部分であればあるほどそれが多いという状況は変わっていない。



このコンテンツをご利用いただくには、NEC ID登録が必要です。

ログイン

NEC ID登録

NEC ID(無料)にご登録いただくと、プレゼント応募やセミナー申込みなどの特典サービスがご利用いただけます。この機会にぜひ、NEC IDにご登録ください!

wisdomとは?

この記事の評価
現在の総合評価(82人の評価)
4.5
あなたの評価
決定
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。
この記事に対するコメント
  • すべての機能をご利用いただくには、WISDOM会員登録が必要です。

同意して送信する

  • 一寸の虫さん

    独裁政権が一方的な情報操作で、日本への敵意を人民に煽りたて、戦争を仕掛けてくる事を多くの日本人は心配しています。これは、鬼畜米英と叫んだ戦前の軍国主義日本の失敗を想像してしまいます。格差、腐敗、環境公害、情報統制等に対して、中国人民の政府への怒りが爆発を期待する気持ちが日本人には有るでしょうが、残念ながら近い将来には起こり得ないと私は思います。それは、飢死が当たり前の中国4千年の歴史で、現在は飢え死にが初めて無くなったからです。
    沿岸部の一部の大都市住民の上層階級が、今や海外旅行で大金を使う時代でもあります。従って、革命は、大衆の不満が頂点に達し、大衆を指導できるだけの知性と度胸を持った指導者の集団が何時現れるかにかかっています。

    2014年05月09日 05:48

  • ロンパリさん

    「仕方がない。悪いのはあいつらだ。私のせいじゃない」そう思う私は工場でどんな仕事をしているのでしょうか?壊れたTVと同レベルではないのでしょうか?悪いと言うなら自分も含めたみんなです。現政府を消極的にでも支持している現実も認識しなければいけません。
    日本では全ての不満を社会のせいには普通、しませんが、左翼マスコミは何でも社会のせいにしたがりますね。てことは思想が左翼かどうかが原因かも。
    政治体制に関するそのお考えでは王朝時代の易姓革命が説明できません。王朝(政府)を倒せば変わることくらいは承知しているでしょう。

    2014年04月16日 17:09

  • ロンパリさん

    一人独裁である皇帝と、一党独裁の共産党以外に統治の経験が無い中国4千年の歴史ですね。どちらも富は権力と一体で力が正義。核心的利益の為なら脅しも戦争もOK。国際ルールも歴史的事実も無視。軍事力なしにこんな国と付き合えませんよね。

    2014年04月15日 09:10

  • 小野寺伝衛兵さん

    この記事の過去の中国の人々の精神構造は、最近日本でのおきる、動機の理解できない事件の犯人の供述と同じだと思う。
    なんでも自分で判断できる環境にある日本でも中国の方々と同じ精神構造になってしまうということは、家庭環境が社会主義と一緒だということなのでしょうか?
    勉強になりました。

    2014年04月06日 17:06

  • choikawa63sさん

    日本でも、市民生活、社会生活とその権利と義務は、自ら勝ち取ったものである意識は薄いのでは。
    どう味方だけでなく、敵とも共存していくか。道程は長く、努力がまだまだ、伴っていないのが現在でしょうか。

    2014年03月17日 15:13

  • 初老人さん

    不具合いの原因調査で「何故そうなったか?」を5回繰り返すと自責に辿りつくという品質管理の手法がある。但し一度の何故?で複数(同水準多方向)の答えを出さなくてはならないから第5水準の答えは最低でも32となる。その中には自分の責任に関わる原因が必ず存在する。不具合を修正するために自分ができる事は自責を改善していくしかない。社会体制という圧倒的他責をいくら嘆いても改善にはつながらない。自立した思考を育てるのが教育の目的であるべきだが最近の学校では知識偏重が著しい。知識の積み上げだけでは自責を見つけ出す知恵は生れない。【日本社会では少なくとも権力と富は分離していたのだが、中国では支配層にすべてが集中する状況が長く続いた】とあるが現在の日本は総理大臣が財界に踊らされて権力と富の癒着が甚だしく権力と富が一体となりつつある。国民の中に自分の不幸は他人のせいという風潮が蔓延しつつあることが心配だ。さらに権力と富みが一体となると、利益のためには戦争も肯定する方向が最も懸念される。

    2014年03月14日 10:27

  • 平均的日本人さん

    1993年に天津工場を立ち上げた当初、各種の困難に対応致しましたがその中でも【自分の非は絶対認めない】体質は日本流の品質管理推進の上で大きな問題点でした。【過則勿憚改。】【曾子曰、吾日三省我身】など論語のフレーズを貼り出したり朝礼で訓示をしたりしましたが効果は薄かったのですが、非を認めて改善を志した作業者を表彰し、謝った人の面子を称揚するシステムにしたとたんにこの問題は解決しました。≪第33話 面子とはなにか≫に同感しておりましたが今回はさらに深堀りして中国の政治体制との関連を解説頂き理解が深まりました。日本も明治時代には現在の中国以上に【すべてが自分の意志で選べない時代】であったにも拘らず国民の責任感は命懸けでありました.その差は≪第17話 殆どの人が負ける競争社会≫で述べられているように【日本社会では少なくとも権力と富は分離していたのだが、中国では支配層にすべてが集中する状況が長く続いた】ために【単純な二元論が人々の観念を今でも強く支配している】からだと理解いたしました。小さなPDCAが完結する工場作業においては非を認めるメリットが分かり易いのですが「人生」の様に多様な要素が入り組んで「不幸」という結果を生む因果関係は整理できずに結局他人のせいにしたくなるのが人情なのでしょうか。まして自分の意に染まぬ選択の連続する社会においては仕方がないかもしれませんね。

    2014年03月12日 14:56

  • hiroshitakagiさん

    ぼくは旧関東州大連市で生まれて昭和21年7月に鉄嶺市から引き揚げて博多港に上陸しました。
    当時5~6年生でしたから未熟ながらも記憶ははっきりしています。
    満州人は「まんまんでー」と「めいふぁーず」だと聞いた印象が残っています。
    永い歴史の中で固定された生活環境に閉じ込められていたら「長いものに巻かれろ」になりますよね。
    田中先生のお話はぼくにはとても良く解りますし同時に日本人社会の中にも有ることだと思っています。
    お話を読んでは自省するぼくです。 先生ありがとう。

    2014年03月10日 21:18

  • hicoさん

    難しい社会ですね。でも、中国社会が転ぶと日本経済にも大きな影響がある。少しずつ変わっていってもらうしかなな~。

    2014年03月10日 16:44

  • かくびんさん

    中国は大昔から、「自分だけがよければよい」という国民性があるのでは。1党独裁だけのせいではないと思う。
    理由は、自分の家の周りは高い壁、そして入口の門という家の作り方、中が見えない。親戚以外の他人は関係ない。
    という感じが中国に行った時に感じたからです。中国はいまだに封建社会です。

    2014年03月10日 16:29

  • lecielさん

    原因は自分にある、この点がわかれば成長ができる。

    そのとおりですね。

    2014年03月10日 14:38

  • えるさん

    文中に「政府主導で何らかのニュースが伝えられたとする。いわゆる先進国の成熟した人々は、そのニュースをさまざまな新聞社やテレビ局、雑誌、学者や評論家、さらには外国の論評なども総合的に見聞きしたうえで比較検討し、自分なりの判断を持つ。そういうことが、むろん個人差はあるが無意識のうちに行われている。」とありましたが、最近の日本ではそいうことをしてる人が多数派ではなくなってきたような気がします。ネット上の個人が裏付けなく、てきとーに流しているものを鵜呑みにしている人も大勢いるような。それは私自身が年齢を重ね、そう感じるだけ、なのでしょうか・・・?

    2014年03月10日 11:55

  • ワンランク・アップさん

    「原因は自分にある」と認識できた人だけが成長できる。 良いフレーズです。日本の社会でもそう認識できている人は少ないと思います。今日の私に、ぴったりのフレーズでした。

    2014年03月10日 10:10

コラムニスト・プロフィール

田中 信彦たなか のぶひこ

中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動 に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、 ...

プロフィール詳細



バックナンバー一覧を見る


Copyright ©NEC Corporation 1994-2017. All rights reserved.