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賢者に聞く「ビジネス教養塾」 第8回 英語の世紀に日本語を守るには──水村 美苗氏に聞く

スキル・キャリア WISDOM編集部 2009年03月16日

近代文学という貴重な財産

──世界で勝負する人ほど、自分たちの言葉や文化を大切にすべきであるとお考えですか。

水村:
海外に行った時、自国の文化や文学を知らない人が尊敬を得られないというのは確かです。そして、自国の文化に誇りを持っている人は、より信用されます。例えば、リー・クァンユー元シンガポール首相やマハティール元マレーシア首相のような人たち。彼らは自国の文化に大変な自信と誇りを持っているので、海外の人からは一応一目置かれます。彼らが言っていることが正しいかどうかは別にしてですけれど。


海外に出て愛国的な主張ばかりをするのはどうかと思いますが、自国の文化への理解、さらには自国の歴史に対する客観的な評価、そういったものはやはり必要です。世界で活躍する人たちは、いわば一人ひとりが外交官のようなものですから。

──『日本語が亡びるとき』では、「日本語を守るために日本近代文学を読む」という明確なソリューションを提示されています。あるインタビューでは、日本近代文学は私たちにとって一つの「カノン」(規範、聖典)であるともおっしゃっていますね。

水村:
ええ。日本は、非西洋国でありながら国民文学のカノンを持っている珍しい国なんです。中国にもインドにも、日本のような確固たる近代文学のカノンはありません。


ではなぜ、近代文学、つまり明治から昭和初期にかけての文学がカノンになり得たかというと、その基本には、日本が西洋列強の植民地にならなかったことがあります。近代日本を自分たちでつくらねばという時代の要請があり、その時代を生きた人々が、新しい日本語をつくるのを要請されたのです。その結果、個人の力を超えた才能が次々に輩出し、独自の近代文学をつくり、新しい日本語の書き言葉をつくりました。現代では、文学は数多ある娯楽の一つでしかないかもしれませんが、あの時代において、文学は国の重要な基盤でした。それが今日では私たちにとっての貴重な財産となっています。


私たちにとって、紫式部や井原西鶴に戻るのは大変なことです。現代の日本語とはかなり違った言葉で書かれていますから。ところが、福沢諭吉以降、二葉亭四迷や漱石などの日本語を読むことは、さほど難しいことではありません。あの時代の作家が書いた作品を子供の頃から意識的に読む訓練をする。市場の力に逆らい、教育の場でしか行えない教育を通して、国民のカノンを受け継いでいくことができると思います。

──現代の公教育には、「近代文学を読むことによって日本語力を培う」といった志向性は、残念ながら希薄です。私たちがとりあえず自分の子供に対してできるベターな教育とはどのようなものだと思われますか。

水村:
例えば、グループリーディングなどは、一つの有効な方法でしょうね。母親が子供たちと一緒に本を読むという、地域での読書クラブをつくったりすれば、子供に読書の機会を与えることができます。「青空文庫」のような仕組みを利用してもいいかもしれません。公教育に現在のところ期待できない以上、一種の私塾のような方向性を探るのが現実的ではないでしょうか。放課後の部活に読書部をつくるのも可能です。



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