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ビジネス心理学 第12回 人生の成幸者となるために

マネジメント 衛藤 信之 2005年03月14日

 お酒を飲んでいる人は「俺は全然酔ってない!大丈夫だ」と視点が定まらないまま言い放ちます。それほど、酔っていない人ほど「今日はずいぶん飲んでますから、酔っています」と自覚性がある。
 精神障害の人ほど「自分はおかしくなんかない」と言いながら、話していることのつじつまが合わない。一般の人ほど「最近の自分は、おかしいかもしれない」と悩んだりする。
 このように客観的に自分を見つめる人は、安易な言葉で人を傷つけない。自分を客観視できない人が他人とぶつかるのです。仏教の世界でも、外界を見る目は二つあればよしとし、仏さまの“ひたい”のチャクラは第三の目、悟りの目。それは自分自身を見つめる目。内観のまなざしです。



 自分が正しいと思い込んだ時、人は恐ろしい間違いを犯します。戦争は自分の正しさに始まり、愚かさに気づいて終るものです。冷静に自分を見つめるというのは幼児から大人になるための条件です。
 子供のうちは身体も小さく、力もない。高い戸棚を指差して「あれ取って」と親を指図して、自分が疲れると「おんぶしてよ」と地団太を踏む。お菓子の袋を「開けて」と差し出せば、親がすべてをかなえてくれるのです。親を操作する方法は色々あります。泣いたり、金切り声をあげたり、怒ったりすることで、何でも望みがかなってゆくのです。ですから、子供は、自分はスゴイ存在だと錯覚するのです。これを幼児的な全能感とフロイトは呼びました。この全能の感情は、自分自身の現実の能力を見ようとしません。
 なぜなら、現実は一人では何もできないのです。すべては親という存在がすごいのであって、子ども自身がすごいのではありません。
 大人になるプロセスとは、自分自身の能力の限界を認め、足らないところを少しずつ成長しながら補い、いつも助けてくれる家族やまわりの人に感謝する心を学ぶことです。子供のうちは突然、「ママ、ミルク!」と、親の忙しさを考えないで叫びます。子供にとっては自分の欲求を通すことが大切なのです。世界は自分を中心に回っています。この感情は自己中心的です。だから、幼い子供はナルシスティックな存在です。大人になるとは、現実の中で時には我慢し、自分の限界を認め、肥大した全能感に別れを告げること。現実の問題に対して、みずからの能力を磨いて努力することです。


 しかし、この心理的な成長のプロセスを幸か不幸か学ばないまま、人の上に立ち上司になると、わがままな暴君になります。部下が自分の思うように動いて当たりまえ。思うようにならなければ許さない。もちろん、「感謝」や「ねぎらい」の言葉などはありません。なぜなら、大人であっても心理的には子供のままですから、「感謝」するという言葉は知っていても、部下を「ねぎらう」という言葉は、暴君上司の辞書の中にはありません。


 このような性格の持ち主は心理的に自立できていません。自分では何も努力しないで、部下をコントロールすることだけに力が注がれます。このような人が家庭を持てば、配偶者に対して横暴になり、やはりねぎらいの言葉はほとんどかけません。また、親になった場合は、子供を自分の思い通りの進路に進ませ、子供の人生そのものも支配しようとします。子供の能力の限界や子供の夢は、自分のあくなき成功欲求のために無視するのです。そういう意味では上司は部下に、夫は妻に、親は子供に、自分の欲求をかなえてもらうために甘えているのです。
 ですから、甘えてきた相手に見限られて去られると、「裏切られた!」と一番落ち込むのも事実です。他人は自分の子供時代の親のようには、すべてを許してはくれないのです。


 けれども、人は一人では生きられない社会動物です。一人の能力には限界があります。そのため人は誰しも他人に依存してしまうのです。だからこそ、まわりのすべてに感謝して生きるのが心理的に大人の必要条件になります。


 家庭も相手なしでは営めません。部下があっての上司です。その現実を認め感謝することが人の道なのでしょう。「汝、自身を知る」ことです。だから、すべての人に感謝し、部下にねぎらいの心を持ちながら生きることが、健康な大人の心理になるということです。そんな人の道を知った上司だからこそ、部下は模範とし、心から尊敬をもするのです。


 人も自然もこの世の中はすべて思うようになりません。便利な科学技術の中で暮らしていると、現代人はある種の錯覚を持ちます。寒ければ暖房器具がコントロールしてくれる。どこかへ行きたければ飛行機に乗ってどこにでも行ける。夜中でもコンビニは営業しています。いつでも誰かと話したければ、携帯電話で世界中の人と話もできます。
 このように自分勝手に操作できる社会の中で暮らしていると、唯一の自然である「人」や「人間関係」まで、ボタン一つで自分の思うようになると思い込んでしまいます。


 今では目に見えない運命まで、うまく誰かに教えてもらいたいのです。今日の占いブームもその一つです。失敗のない人生があると思っていて、それを誰かにポンと教えてもらいたいのです。人生は自分の思いどおりになると思っている。
 その考えがあるために、誰もが味わう挫折体験も、人生に起こりうる失敗にも耐えられないのです。
 このような人は、自分の思うようにならなければ人を平気で傷つけ、いよいよ人生が自分の思うようにならなければ自殺する人もいます。
 人生は“思うようにならない”という明らかな現実に対して、我慢する能力が鍛えられていない。
 最近、頻発している自己中心的な甘えた犯罪も、この忍耐力の欠如から生まれています。


 そのため、周囲の人に快く働いてもらうために、また、自分の心を学ぶためには勉強が必要だと考えた人々で、当協会の心理学ゼミナールはすぐに定員オーバーになり、キャンセル待ちの状態が続いています。ゆえに私もゼミでの講師が忙しくなり、このNECのコンテンツも、今回で最後になりました。



 私ごとになりますが、私の両親は離婚していたため、今は亡くなった実の母とは、社会人になってから再会しました。生前の母は喫茶店を営んでいました。ある時、アルバイトの男の子が、店のレジからお金を抜き取っていたことが発覚しました。母は何も言わず、そのお金を彼に渡したそうです。なぜ「そんなことを」と尋ねる私に、母は「子供の時に離れたお前が、人様のところで同じことをしていたらと思うとね。私がこの男の子を許すことで、お前が誰かに迷惑をかけた時に、誰かがお前を許してくれるかと思うとね・・・・・・」と語ってくれました。
 その時、母は離れて暮らしている間も、子供だった私のことを一時も忘れなかったのだと思うと、何とも温かい気持ちになったことを憶えています。
 今、自分が思春期に入った子供の親になってみて、同じ気持ちになることがあります。


「衛藤先生は嫌な人のカウンセリングはどうしていますか?」そう尋ねられると、「その人にも、親がいる。その親にしてみれば自分のこと以上に子供を心配し、眠れない夜もあっただろう。そう思うと、わが子ですら大人になったら誰かに迷惑をかけたり、ミスを繰り返す社員になるかもしれない。その時にも、誰かのお世話になり、誰かに援助してもらうのだろう。だから、今のうちに貯金と思って、自分の身内のように思ってかかわっている」と答えています。


 その長男も12年前に小児ガンの宣告を受けました。肝臓のガンです。お陰様で、私の子供は完治して今は元気に学校に通っています。でも、その同じ病院で亡くなってゆく子供たちもたくさんいました。自分の愛する子供が大人になる姿を夢みながら、親たちは子供の病気と向き合い生活していました。消灯した静まった病室で「ずーっと、ママのそばから離れないで」「明日も目を開けて『おはよう』って、言おうね」「ゴメンね、元気に産んでやれなくて」と子供の寝顔に泣きながら話しかけていました。元気になることを祈っていた親たち。今でもその親の泣き声が頭から離れません。
 ある男の子は消えいりそうな呼吸の中で、「ぼく大人になれる?ママやパパのようになれる?」「ぼくもパパのように電しゃにのって会社にいきたい。ぼく大人になれるかな?」と親にたずねながら、その小さな命をとじました。


 このコラムの読者はまぎれもなく、「大人になりたい」という夢半ばで天国へ旅立った子供たちの夢の中で、今日も生きているのです。大人になることを夢見た彼らは、あなたの、当たり前のように流れている「今日」という日を体験してみたかったのです・・・・・・・あなたは何にイラだっているのですか?あなたは大人になりたくて亡くなった子供たちの夢の世界で今日も生きています。
 楽しんでください大人である日々を。彼らはイヤな会社であっても、会社に行きたかったのです。大人として、恋をし、家庭を持って、電車にのって・・・・


 夢半ばで大人になれなかった子供たちの分を笑って生きてください。・・それが私の願いです。



 次回から、このコラムに登場するのは、上村光弼先生です。彼は私共、日本メンタルヘルス協会の講師でもあります。彼との出会いは14年前にさかのぼります。私が心理学のゼミを始めた最初の頃の受講生です。その頃、ある大手企業の研修を任されました。
 当時、私は初めてカウンセリングの事務所を開設し、その時に依頼された大きな仕事でした。これを成功させれば事務所の仕事も安定すると、気合が入りました。もちろん、自分一人では手が回りません。
 コンサルタント会社を辞めて、これからどうするものかと悩んでいた上村氏に一緒に仕事をしてみないかと誘いました。それからというものは、くる日もくる日も研修のプログラムを指導し、すばらしい吸収力と勘どころの良さで、彼はどんどん能力を開花してりっぱなトレーナーに成長しました。


 教育担当者の主だった人の前での、お披露目のプレゼンテーション・セミナーの日のこと。私は本社幹部の研修を担当し、上村先生は支店長の研修を担当しました。少し早めに終った私は、上村先生の研修が終るのを、研修室の扉の見えるラウンジで待っていました。しばらくしていると扉が開き、研修の参加者の誰もが晴れやかな顔で上村先生に握手を求めています。この光景を見て私は彼のセミナーの成功を確信しました。


 ラウンジに入ってきた彼に「どうだった?」「しっかりお伝えできたと思います」「そうみたいだね。本当に、お疲れさん」と私達二人はラウンジの席に座りました。それと同時に、同席していた、ある幹部が、担当者である部下に「上村先生のセミナーはどうだった」と尋ねました。「すごく良かったです。感動しました」と担当者が答えると、続いて、
 幹部「衛藤先生と比べても遜色がなかったのかね」と不機嫌そうに、さらにたずねました。
 担当者「ええ、おもしろくもあり、感動しました」
 幹部「全然、衛藤先生と比べても、何一つ問題がなく、完璧に同じなのかね。これから、我が社は上村先生にも支店長の教育を任せるんだ。良いところではなく、衛藤先生と比べてダメなところを伝えなければいけないんだよ。君!」
 担当者「それは、衛藤先生に比べると、慣れとか、余裕とかは違いますし・・・・」


 部下である担当者も、私も同席しているので、差がないと言えば私に失礼かもしれないし、違いがあると言えば上村先生の授業を受けた後です。感動した映画の問題点を挙げるようなもの。足らないところを探せと言われて、声がだんだん小さくなっていくのです。何より、一番傷ついたのは、上村先生。先ほどの笑顔が消えて、下を向いている。


 私は「出てきた人々は握手を求めていたので、良い結果だと思いますが」と助け舟を出す。しかし、その幹部は、「上村先生の問題点をいくつかフィードバックして」と、こちらの話しを聞いていない。


 私も当時若かった。もう少し言い方もあったのでしょうが、
「申し訳ないですが」と私は話し始めた。「今回の仕事は無かったことにして下さい。今回の仕事を引き受けたのは、部下の良いところを伸ばしていきましょう。そして、この不景気な時代に、社会が冬の時代でも、職場の中だけでも信じ合って、助け合って、社員が心から失敗を恐れないでチャレンジする環境作りをしてゆきましょう。その目的で仕事の依頼を受けたと今の今まで思っていました。ダメなところをあげつらって、伸びてゆく芽をつむやり方は、僕の信じるリーダーシップとまったく違います。この研修の最初から講師と研修担当者が足らないところを責め合ってスタートすれば、やがて途中で空中分解して社員の皆様に迷惑がかかります。この度の話は、この段階で白紙に戻したほうが双方のためになると思います。今回の研修の費用もいただきません。よろしいですね。上村先生、資料をしまってくれないか」上村先生も「先生、これは僕の問題ですから落ち着いて下さい」「いや、僕は落ち着いているから」と言いながら、今思い出しても私は決して落ち着いてはいなかった。


 彼が自分の悔しさを抑えて、この場をうまくとりつくろう姿を見て、余計に上村先生を愛しく感じた私は続けて「申し訳ありません。今のは私のタテマエです。一番の理由は、御社は私にとっては大きな仕事ですが、でも、それより、私にとっては上村のほうが大切なんです。うちの大切な社員です。彼はこれから私以上に大きくなる逸財です。その最初の段階で、自信を失い、伸びる能力をつぶすようなことは言わないで下さい。どれだけ自信を持たせるかが、教育なんじゃないですか。彼がつぶされることがあれば、私はこの会社を恨みます」と言いました。


 結局、その幹部の方のほうが私より大人で、若気の至りの私を許して下さり、ご自身の態度を改められました。私も「言い過ぎました。いい研修にしてゆきましょう」と事なきを得ましたが、この経験から私は多くのことを学ぶことが出来ました。そして、その事は現在の講演・研修にも活かされています。今では当時の幹部の方や担当者に心から感謝しています。


 あの時の予測はあたり、今では上村先生は、コーチングのトレーナーとして顧問企業数も多く、今や私も足元にも及ばない有名なトレーナーになられました。職場でのコーチングの技術は、ついつい部下を変える技術論に流れてしまいがちですが、彼には心理学でやしなったマインドがあります。彼のスピリットと、多くの企業トレーニングから得たコーチングの経験で、これからのコラムで私が伝えきれなかった勘どころを、上村先生がみごとに補ってくれることと信じています。これから私自身もこのコラムを楽しみにしてゆきたいと思います。なお、今回のコラムのタイトルは「人生の成幸者(せいこうしゃ)になるために」としましたが、「人生の成功者」ではなく「人生の成幸者」としたのは、上村先生の著書のタイトル(成功者と成幸者:2005.1.12/PHP研究所刊)から頂きました。上村先生は、「社会で成功者と呼ばれている方々は二つのタイプに分けられるようです。それは『功を成すということに熱中している人-成功者』と、『幸せに成ることを大切にしている人-成幸者』の二つのタイプです。前者の方々は功を成すことに熱心になりすぎて、少し大切なことを見落としているかもしれないように思えます・・・」と言われています。私は読者の皆さんに、是非、「人生の成幸者」になって頂きたいと思っています。


 会員のみなさま、長らく私の「ビジネス心理学」を読んでいただきまして、ありがとうございます。そして、このようなチャンスを下さったNECの皆様に感謝しています。そして、読者の中には自分の今までのやり方と違うので、抵抗があった方もおられたかもしれません。世界中が勝ち負けの戦いに明け暮れています。世界が変わりにくいように、私たち個人個人も変わるのは大変困難なことです。でも、世界に逆行しても負ける戦い。権力から退く戦いを始めてみませんか。


 職場や社会、または、世界は権力だけが支配するものではないはずです。自己実現の提唱者のアブラハム・マズローは「真の人間関係とは、弱さをさらけ出しても恐怖を感じない関係である」と言っています。自分の人間らしさや優しさをさらけ出すと部下や子供になめられると思っている人は、一生安心できない戦いと不信感で人生を終らせる人なのです。


 個人の集合体が社会です。個人の意識が変われば、世界は変わると、私は心から信じているのです。


 最後に、すべての読者に感謝申し上げます。ありがとうございました。お元気で!


第11回「対立は参加の心理で解決」に寄せられた評価とご感想の一部をご紹介します。

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