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未来授業~明日の日本人たちへ 速水健朗さん~静かな郊外の一戸建てから、人とつながる街での暮らしへ:変化する「住む場所」のあり方

2016年09月23日

 今回の講師は、ライター・編集者の速水健朗さん。ニュース番組のコメンテーター、TOKYO FM「クロノス」パーソナリティとしても活躍中。また、メディア論や都市論、ショッピングモールや団地の研究などを専門分野として著書も多数発表されています。

 東京という世界有数の大都市を「暮らす場所」として見たとき、なにが見えてくるのか。最新刊『東京どこに住む?』を上梓された速水さんに、変化の著しい東京のライフスタイルの新傾向について伺いました。

東京“内”一極集中

 この7月に総務省が、「7年連続の人口減少」と発表しています。しかしその一方で、東京は人口増加が続いています。日本全体で見ると人口は減っているのに、東京を中心とした大都市部では人口が増えている。これがいまの日本で起こっている「東京一極集中」状態です。とはいえ、地方からの大都市部への人口流入は、いまにはじまったことではありません。戦前からずっと、都市部への人口流入は増えているのです。

 ただ、いま起こっていることはそれとは少し違います。1990年代までは、都心ではなく郊外に人が増えていたのですが、「都心回帰」といわれる現在は、東京のさらに中心部、千代田区、港区、中央区など東京のどまんなかに人が増えているのです。東京の人口は2020年、オリンピック/パラリンピックのある年をピークに減少段階に入るといわれているのですが、港区、中央区、千代田区の3区に限っては2030年まで減らないのです。

 東京全体で見ると減るけれど、中心はまだ増えるということ。僕らはこれを「東京一極集中」といいがちですけれど、実は「東京“内”一極集中」が起こっていて、そちらのほうが重要なことなのです。

 僕らは子どものころに社会科で、「ドーナツ化現象」について習いました。都市の中心部に人がいなくなり、周辺部にベッドタウンができていくような現象。これは東京だけではなく、おそらく世界の大都市で起こっていたことです。それが起こっていたのは1970年代くらいまでの話で、そこから世界の都市はむしろ都市集中の時代になっていくのです。

 東京では2000年くらいから周辺部の人口が減りはじめ、都心にそれが回帰している。いわゆる「都心回帰」のようなことが、ここ10~15年で顕著になっているのです。たとえば湾岸地域に超高層タワーマンションがたくさん開発されましたが、ああいうものが人口集中の受け皿なのです。

 1973年生まれの僕の世代は、ちょうどその端境期だという気がします。いま40歳くらいで、子育てがこれから本格化する時代に、郊外にちょっと広い一軒家を買って移り住もうという人たちもいます。しかし、もっと下の世代になると、マイホームや一戸建てへの憧れが急速になくなっていくといわれています。

 今回の本ではまさにそのあたり、つまり、「都心回帰以前と以降とで、住む場所への考え方や憧れのようなものが変わってきているのではないか」について取材したのです。「郊外の一戸建てに憧れないいまどきの世代が、どういうことを考え、どういうことに憧れて東京で生活しているのか」がキーポイントになっているということです。

 かつてのマイホーム世代は、「閑静な住宅地」という言葉に代表されるように、居住地としては静かな場所を好みました。騒音からかけ離れた、ちょっと緑があったりするような生活がいいという考え方です。それはそれですごく理解できるのですけれど、もうちょっと違うものに価値を感じている世代が出てきているのです。

 求められているのは、地元に根づいた生活や、にぎやかな生活。実際、いま人気がある場所はどちらかというと下町です。東京西側ではなくて、中心より東側。神田とか、日本橋でも日本橋人形町、東日本橋といった東側のエリア。あるいは墨田区なら、スカイツリーのあたりなど。その辺はもともと、小さい工場地帯とそこで働く人たちが一緒になったような、職住一体の街でした。それを下町と呼ぶわけですけれど、そういうところでお祭りに参加したりするような、地元に根づいた暮らしが、いまは人気なのです。

現代版・長屋暮らし

 都心生活というと、「高層ビル街」「無味乾燥」「人が多い」というようなイメージですが、いまの若い人たちはむしろ、かつての江戸時代の長屋暮らしのようなライフスタイルに憧れを持っています。いってみれば、先祖帰りなのです。地元に根づいた、かつての下町での暮らしに憧れが動いてきている。そこが非常におもしろいなと感じたのです。

 日本橋の人形町は、昔からの老舗のお店が立ち並ぶ、下町の雰囲気が残ったエリアです。そんななかに、新しいコミュニティ、新しい人たちが入り込んでいます。お店などを見ても、老舗に挟まれてワインバルや熟成肉のお店などができていたりする。新しい人たちがどんどん入り込み、住宅地と飲食街が一緒くたになったような街になってきている。古い人たちと新しい人たちが混在するような状態。ひょっとしたらいま、東京の最先端とはそういう古いものと新しいものが混ざったようなイメージに変わりつつあるのではないでしょうか。

 住む場所にコミュニティを求めはじめたきっかけとして、ひとつには2011年の東日本大震災がある気がします。東京でも震度5強の地震が起こり、帰宅難民という言葉ができたりするなかで、ライフスタイルにも変化が生じたのです。会社から自宅まで歩いて帰るときのために、不安を解消できる場所として、家の近くに行きつけの店をつくる。そのようなことが、ライフスタイルの変化として起こっているのです。

 会社帰りに赤提灯で飲むようなサラリーマンの生活に象徴されているとおり、かつて繁華街は会社の近くにありました。それがいま、変化している。家の近くに行きつけの店をつくることで、寂しいとき、不安なときそこに行けばなんとかなると思える。実際、震災のとき家の近くにお店のような知り合いがいるコミュニティがある人は、そこで気持ち的に救われたといいます。

 かつての日本には「会社ベッタリ」「家族イコール会社」みたいな社会があったのですが、いまの若い世代には「会社とプライベートは分けたいよね」という感覚もあるのです。すると飲みに行く場所も、会社の近くより家の近くになる。家の近くに友だちや仲間、コミュニティがあることで、寂しさや、なにかあったときの不安も解消されるわけです。

 「食住近接」という言葉がありますが、この場合の食と住とは「食べる食」と「住む場所」という意味での食住近接です。かつては職業の「職住近接」という言葉があったのですが、いまの都市生活におけるライフスタイルのなかで起こっていることは、食べる場所と住む場所が近接する食住近接なのではないか。取材しながら感じたのは、そんなことでした。

 江戸時代の長屋暮らしがどういうものだったかについては、僕らは落語などで知ることができます。ひょっとしたら、いまの東京の若い人たちの間で増えているシェアハウスは、それに近いものかもしれないなとも思います。共同生活をしてみたり、あるいはシェアオフィスで仕事場を共有してみたりするようなことが東京でも増えていますが、そうしたコミュニケーションが企画につながったり、新たな仕事が生まれたりすることもあります。

 人と人との関係性を表す「スープの冷めない距離」という言葉がありますが、かつての長屋暮らしはまさに、みそやしょうゆを貸し借りするような感じだったと思います。そして、いまは先祖帰り的に、江戸時代の長屋暮らしのような人口密集度が高いなかでの生活が、少しずつ取り戻されつつあるようです。

 江戸時代の長屋の人口密集率は、世界的規模で類を見ないくらいのものでした。現代のタワーマンションよりも、よっぽど人口密集度が高かったらしいのです。「東京は人が増えてごみごみして大変だね」「一極集中はよくないのではないの?」といわれることも多いのですが、実はまだまだ集中しても大丈夫。それは江戸時代の長屋暮らしという、かつての僕らが持っていた知識をもう一度取り戻すチャンスといえるかもしれません。



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【速水 健朗(はやみず・けんろう)】
ライター・編集者。
ニュース番組のコメンテーター、TOKYO FM「クロノス」パーソナリティとしても活躍。
メディア論や都市論、ショッピングモールや団地の研究などを専門分野に著書も多数発表している。

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