WISDOM

未来授業~明日の日本人たちへ 前野隆司さん~日本人としてのスタンスを維持しながら、「幸せ」の本質を問いなおすべき時代が訪れている

2015年09月11日

 今回の講師は、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さん。学問分野の枠を超え、「人間にかかわるシステムであればなんでも対象にする」「人類にとって必要なものを創造的にデザインする」という方針で、理工学から心理学、社会学、哲学まで幅広い分野で研究、教育を行われています。

 近著『幸せの日本論 日本人という謎を解く』では、日本人の特徴を論じながら、日本ならではの「幸せのカタチ」を考察しています。

システムとしての幸福学

 従来の学問は、機械工学や経済学など専門ごとに分かれています。しかしシステムデザインとは、文系、理系を超え、若い人も、経験豊富な人も一緒になって、「あらゆる問題をシステムとして捉え、ものごとを全体としても部分としても捉えて解決していこう」という新しい学問なのです。2008年に、新しい大学院ができた際に誕生した新しい研究科です。

 学問分野横断型の学問には、たとえばシステムズエンジニアリングがあります。でも、これはエンジニアリングなのです。システムデザインのように、「エンジニアリングと文系などあらゆる分野を束ね、政治・経済・外交・ものづくりも一緒に考えてものを説いていこう」という学問は、いままでになかったと思います。

 システムには最初、機械システム・技術システム・社会システムまでが含まれると考えられていたのですが、やがて、そこにヒューマンエラーなど、人間も含まなければいけないのではないかと考えられるようになりました。そして人間がいちばん目指すべきものは、「幸せ」です。では幸せになるために、人間の人生というシステムはどうあるべきか。みんなが会社でつくる製品やサービスは、いかに人々を幸せにするのか。そう考えた結果、幸せと他のシステムをつなぐ学問が必要だと思い至ったのです。そこで始めたのが、システムとしての「幸福学」です。

 普通の幸福学は心理学の一部で、心理学としての幸福学は、「幸せと収入はどのくらい関係があるか」とか、「幸せと人に親切にすることはどれくらい関係があるか」など、幸せの「部分」の研究です。システムとしての幸福学はそうではなく、「全体として幸せとはどういうことなのか」を考えるものです。アンケートによって幸せの様子を聞く「主観的幸福」が基本になっており、それに加えて「客観的幸福」、つまり「収入がどれくらいあるか」「どれくらい人に親切にしているか」などいろいろなことを聞いていき、それらを組み合わせるのです。さらに「多変量解析」という、大きな量のものを解析するいろいろな手法を使った分析もしています。近いのは、心理学としての幸福学で得られた成果を、人々が幸せになるために使おうという「ポジティブ心理学」です。しかしその分野でも、多変量解析などの工学的手法を使って分析し、全体像を明らかにするということはあまり行われていないと思います。

 私たちは、幸せのためには4つの要素があると考えています。1つ目は「夢を持つこと」。2つ目は「つながりがあること」。3つ目が「楽観的であること」。4つ目は「人の目を気にせず自分らしくやること」。3つ目と4つ目はある意味で、日本人に弱いところではないでしょうか。3つ目については、日本人はつい悲観的になりがちです。しかし楽観的に、なんとかなると思ったほうが幸せなようです。4つ目も同じです。日本人は人様に迷惑を掛けてはいけないと思いがちですが、ある部分は「人にどう思われようとも自分らしくやっていく」という強さのようなものを持っていたほうが幸せのようなのです。

 いままでの幸せ研究では、この3つ目、4つ目があまり出ていませんでした。幸せの研究はアメリカやヨーロッパで盛んだったのですが、欧米人の研究では、人の目を気にしないことが幸せに影響するなどということは、それほどクローズアップされていなかったのです。しかし、日本人の場合はそこを強化していくことが幸せにつながるということがわかってきたのです。

悟りの本質

 「悟り」とは、人生でいろいろなことを経験し、その揚げ句に「人生はすべて無である」という境地にたどり着くようなものだと思います。私も、そういうことに興味があります。しかし「さとり世代」ということばを聞くと、それに似て非なるものなのではないかという気もします。つまり、すべてわかった上で心が静かなのではなく、ちょっと諦めているようなニュアンスです。

 楽観視するのはいいことですが、「人の目を気にしない」ということを早めにやりすぎて、幸せのために重要な「夢」や「つながり」をちゃんと目指さないまま「偽さとり」になってしまったのだとしたら、とてももったいない気がします。いいつながりがあれば、それが幸せになるのです。では、「いい幸せ」とはなにか? 「自分が幸せになりたい」ではなくて、「他人を幸せにしたい」と思っていれば幸せになれるわけです。つまり、「愛」なのです。青臭いことをいうようですけれども、本当の理想的な愛をみんなが持ち合えば、みんなが周りのつながった人を本当に愛していればけんかは起きません。愛とは、本当は無償です。なにかやってもらうためではなく、自分から与えるものです。でも、自分から与えると回り回って自分に戻ってくるわけです。ですから、本当に無償の愛を与えようと本気で思うと、つながりもできて幸せもやってくるのです。

 ここで注意しなければいけないのは、「利他的な人は幸せになれる」という方向性と、「幸せな人は利他的になれる」という方向性があるということです。ですから利他的になれない人は、まず幸せになることです。幸せになるためには利他的でなければいけないのですが、友だちの数を少しでも増やしたり、小さな夢を持ったり、笑って楽観的になったり、小さなことでも幸せのためにできることをすると幸せ度が上がります。すると心にも余裕ができてきて「あいつは嫌いだと思っていたけれど、まあ許してやるか」という心の余裕ができてきます。

 ですから、やはり「幸せになる」ことだと思うのです。幸せになれば利他的になってさらに幸せになれますし、幸せでないと利他的になれないからさらに不幸せになります。不幸せになりたくないのなら、利他的にしたほうがいいのです。これは「1+1=2」と同じぐらい明らかなことです。「隣のやつがむしゃくしゃする」という人がいますけれど、そう思うことで自分を不幸にしている。ですから、むしゃくしゃせずに許してあげれば自分が幸せになれるのです。「自分の得になるのですから、許しましょうよ」ということなのです。本当に優しくて利他的で、人々のために尽くそうとしていて欲がないというのが悟りの状態。ですから、「本当にその状態になっているか?」と自分で問うてみればわかります。僕もすぐに現世に戻ります。でも、心を落ち着けると、本当に世界中の幸せを思う気持ちにもなれる気がします。もしそうなれたら、それが実は悟りだと思うのです。

 本当にリラックスして「自分はなにが欲しい」ではなく、「みんなの世界がいい世界になってほしい」と一瞬、一秒でも思えたら、それは悟りと一緒だと僕は思います。ですから、誰でも悟りに至れます。宗教的な悟りは難しかったのですが、脳科学や学問によって悟りや幸福の境地というものがなんなのかがわかってきましたので、実は本物の悟りに誰でも到達できる時代にきたのではないかと思うのです。ですから、「さとり世代」のように小さな偽者の悟りで満足せず、もっと苦労も経験して本物の悟り、本当の幸せに向かってほしいと思います。

 誰かの素晴らしい話を聴いたり、マザー・テレサの話などを聴くとワーッと感動します。感動して5秒間泣いていたとすると、その5秒間は絶対に悟りと同じ状態になっていると思うのです。つまり誰でも悟っているのです。いい映画もそうです。いい映画を見て感動している瞬間も、悟りの境地と同じ脳の活動状態だと思います。




中空構造の日本人

 「日本人は考えをはっきり持っていなくて、いいたいことをうまくいえない」とよくいわれます。でも、もっと広い視点で見ると、自分のいいたいことをいうというのは「他人と闘って勝ちたい」ということだとわかります。つまり考えを持たないというのは、中心が無であるという日本人の本質なのです。「なんでも受け入れる」「なんとでも調和できる」という理想的な和の精神です。それを無意識のうちに身につけているのだと考えれば、実は考えを持たないことは素晴らしいことではないでしょうか。近代以降「考えをはっきり持つことこそが正しい」という考えが広まりすぎたので、「持たないこともいいことなのではないか」ということに、もっと日本人は自信を持っていいのではないかと思います。

 「日本人は決断が遅い」ともいわれます。「外国のリーダーは素早く決断するのに、日本人は話し合ってばかりで結局決めなかったりして、変動の激しい時代に負けてしまう」というようなことをいわれるわけですが、決断しないということは、「自分たちだけ勝ってしまうということをしない」ということです。

 早い決断は変動には向くのですが、長いサスティナビリティという面で考えると不利です。日本は1000年以上も続いてきた国ですし、1000年以上続いた老舗企業には日本企業が多いのです。そういう企業は早い決断をしていません。ゆっくり決断するからこそ長続きする。ですから、「決断ができないから日本人はだめだ」と思うのではなく、ゆっくり決断することのできる素晴らしい優しい国なのだと思えばいいはずです。

 日本は中心に「無」がある国です。すなわち中空構造です。「中空構造」は真ん中を持っていません。つまりなにかをするときに、はっきりした考えを持っていない、自分の強い意志を持っていないということです。悪いことのように聞こえるかもしれませんが、私はいいことなのではないかと思っています。真ん中になにもないというのは、日本の悟りの思想、無我や無私の思想です。つまり欲などもないのです。ですから、真ん中が中空だからこそ、いろいろなものを経験して取り入れて成長して幸せになって、場合によっては悟りに近づいていける、そういう国民なのではないでしょうか。

 日本人になぜ「中心が無」の思想のようなものが残っているかというと、辺境の地だからです。東の海の端にある小さな島ですから、いつも文明の中心にはなく端っこにあります。ですからコンプレックスのようなものを感じながら、「では、今度はどうするか」と考える。それは、いつも新しくなるための仕組みになっていますから、ストレスを感じすぎて不幸にならない範囲でコンプレックスを持ち続けるのはいいことなのです。

 僕は夢を持ったほうがいいと思っているのです。ただ、欧米人のように「一貫した夢を持っていなければいけない」ということではなく、もっと小さなやりたいことがたくさんあって、それらが固まって小さな夢になって…という、肩ひじを張らずに夢がポコポコ湧いてくるような状態が東洋的な在り方なのです。だから「一貫した大きな夢を提示しなさい」などといわれると、「いやいや、ありません」となってしまう。けれど、「あれもやりたい、これもやりたい」という気持ちは日本人も持っています。それを柔軟に広げていけば、日本人らしい夢の在り方、幸せの在り方に行き着けるのではないかと思います。

森のような共生社会

 僕は森が好きです。森には、多様なものが共生しています。特に日本の森は生物の種類が多く、いろいろなものが力を合わせて生きていることを実感できるのです。そこからは、「日本人が本来やってきたことはこれなのではないか」ということが感覚としてわかります。森のような国というのは、ただ森で覆われた国ということではなく、人々が森の部品であるということ。つまり、大きな木もあれば小さな木もある。昆虫もいて、細菌もいる。すべてが助け合いながら、共生している社会です。

 近代以降の社会は、戦って勝った者がすべてを得るという「戦い社会」だったのですが、それでは地球全体が維持できなくなります。だとすれば、「全員に意味があるのだ」ということを認め合いながら、力を合わせる社会のほうがいい。ですから、日本の政治・経済・会社・学校の制度、あらゆる制度を森のようにする、つまり単にトップダウンのきちんとした組織にするのではなく、いろいろな横のつながりがあって助け合う。しかも、資本主義としてお金の回り方だけで人々がつながるのではなく、ボランティアなど「善意のつながり」がまさに森のように縦横無尽に張り巡らされた、昔の村社会のようなつながりが全国につながるという感じでしょうか。

 ただ、村社会には悪い面もあります。みんなに見られているようで、ちょっと息苦しいからです。そこを、現代社会のよさと、村社会のよさをうまく組み合わせることによって、「資本主義社会ではあるけれども森のような、アメーバのようなつながりがある社会」にする。そういう複雑なものをつくれるのは、日本がいちばん適しているはずです。慶應義塾ではもともと「半学半教」と教えています。半分教えて、半分学ぶということ。つまり先生が教えて生徒が学ぶのではなく、みんなが教え合うのだという考え方がずっとあるわけです。私たちの研究科もまさに社会人大学院なので、そういうやり方をやっています。たとえばチームラボという会社がありますが、あそこは「チームでやっていきましょう」と、会社自ら「俺だけでは決めない」といっています。そういうフラット組織は、たくさんできてきていると思います。

 そして、人間の幸福の対局にあるのが戦争です。戦争のない社会をつくるためには、2つ方法があります。1つは、相手が武力を持ってきたら自分も強く持ち、戦いによって均衡を設けるというやり方です。いまはそうせざるを得ない状況になりつつあると思いますが、もう1つはみんなが武力を持たないで信頼し合って、尊敬し合うこと。理想論ですけれど、それができればいちばん平和だと思うのです。それに近づくためにはなにができるかを、もっと考えていくことが必要だと思います。

 私は、日本がすごく進んでいると思うのです。相手は軍備を持っています。でも、日本が持っていないというのは遅れているのではなく、ものすごく未来的なことを実現しているということ。ですから、「持たないということをみんなもやろう」と、そういう理念を広めるべき国なのではないかということです。理念としての憲法9条、本来は武器を持たないのが世界の理想だということを広める国なのだと、みんなが理解し、自覚できたらいいと思います。


(FM TOKYO「未来授業」2015年7月20日(月)~7月23日(木)放送より)


(2015年9月11日公開)



Copyright ©NEC Corporation 1994-2017. All rights reserved.