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技を伝える

− 第11回 −

江戸押絵羽子板 江戸の粋と美を引き継ぐ (2008年1月28日掲載)

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南川さんの作るきらびやかな羽子板の数々。昔は歌舞伎役者の似顔絵や浮世絵の美人画が大半だったが、いまはやさしげな目元のお姫様風が売れ筋だという。押絵羽子板は顔や手を書く「面相師」、板を作る「板屋」、着物をそろえる「生地屋」、小物の飾りを作る「部品屋」など多くの職人の経て、最後に南川さんが組上げる。

たかさごや2代目の南川さんの話しぶりはまるで落語の名人の語りを聞くように心地よい。「昔はカネがなくても人にゆとりがあったねぇ。職人なんざ、先に給金を借りちゃ、花見で呑んでかっぽれ踊っちゃうんだから、おちゃらけた連中ばかり。それで済んだんだね」

「しがねえ恋の情けが仇」で有名なお富さんに恋する「切られ与三郎」の羽子板。先代尾上松緑を写したもので、かつては人気役者の演じる弁慶や助六など当たり役が売れ筋だった。

江戸押絵羽子板を作る部品を組上げる際にへらを使って綿をつめ、立体感を出す。その作業が難しく、「素人がやるとぬいぐるみになっちゃう」(南川さん)という。板に取り付けるときには、「まくら」と呼ぶ桐の木片を顔や中央部にかませ、絵が飛び出るように見せる。

 年の瀬の風物詩として浅草の浅草寺境内で一二月一七〜一九日に開かれる羽子板市。江戸初期から戦時中の一時期を除き、三〇〇年以上も続く伝統の行事である。

 羽子板は邪気や災厄を「はねのける」縁起物としてかつては商家の旦那衆が多く買い求めた。

 「これいくらだい? 負けなよ」

 「しょうがねぇな、そいじゃ、鶴の一声だよ」

 「よし、買った」

 「ありがとうございます。お手を拝借! ヨォー」の三本締めが景気よく客を見送る。

 「するとね、『祝儀だ、取っときな』ってんで、負けた分を置いてくわけだよ。粋だったね。そんな粋な客が昔はいたもんさ」

 羽子板市を仕切る東京歳之市羽子板商組合の南川行男組合長(七八歳、たかさごや二代目)は名調子で語る。

 南川さんは一六歳から六〇年間も羽子板市に参加している。

 「損得じゃないんだよ。羽子板が好きでしょうがない羽子板野郎なんだね。今は駆け引きできる客がいないのが寂しいね」

 羽子板の歴史は室町時代にさかのぼる。一四三二年に宮中で羽根突きが催された記録が残っている。綿を正絹でくるみ、立体的な絵柄を桐板に張る「押絵羽子板」が登場するのが江戸初期だ。

 当初は花鳥風月などが描かれたが、文化文政期(一八〇〇年初期)になると、歌舞伎役者の舞台姿を写し取った押絵羽子板が大流行し、歌舞伎の賑わいと共に今日までその伝統が引き継がれている。

 江戸押絵羽子板は八〇種類もの部品から作られている。かんざし、花、キセルなどは精巧なミニチュアのようだ。着物は本物の正絹を使い、そのたびに違った柄の部分を切り取るため、同じ「弁慶」「助六」「藤娘」でも一品ごとに異なる。すべて手作業のため月に一〇枚できるかどうかと、南川さん。

 部品作りの職人たちも次第に姿を消し、「経済効率だけじゃ伝統工芸は続かないね」という。伝統の灯を消してはならない。


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