− 第9回 −
伊万里鍋島焼 家族で守る鍋島の秘法 (2007年9月25日掲載)
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青木妙子作「色鍋島秋草文高台皿」 鍋島には3種類ある。呉須(ごす)と呼ばれる藍色の染料で描いた「鍋島染付」と、白磁の肌に藍色の染付と赤・緑・黄を基調とする上絵を施した「色鍋島」、そして「鍋島青磁」である。青木さんは呉須による下絵付を中心に作陶してきた。下絵付師はデザインを決め、上絵付や釉薬、焼き方などの指示を与える役目だ。
呉須を含ませた「だみ筆」と呼ばれる太筆で下絵付を行う青木さん。集中し始めると何時間も没頭し、「約束なども忘れてしまうので、よくみなさんにご迷惑をかけています」と笑う。
虎仙窯を守る川副家の家族たち。父の為雄さんは3人姉弟を3本の矢になぞらえて窯を守れと教えたという。左より、妙子、虎隆、昌勝(妙子の長男=28歳)、秀樹、民枝(虎隆の妻=51歳)<敬称略>
鍋島焼の伝統文様を生かした陶板をはめ込んで青木さんが試作したテーブル。伝統を守りながら新しいことに挑戦しようとする青木さんや虎仙窯の姿勢の現れだ。文様にはイスラム文明の影響が見られるという。
佐賀県伊万里市の奥深い谷間に三方を屏風のような岩山で囲まれた「大川内山(おおこうちやま)」という秘窯の里があり、三〇数軒の窯元が軒を連ねている。
一六七五年に佐賀鍋島藩は密かにこの地に御用窯を置いた。入口を関所で閉ざし、集めた陶工たちに禄を与え、名字帯刀を許して武士階級として遇する一方、外界から隔離して、採算を度外視した最高級の磁器作りを命じた。
藩命をかけて完成した「鍋島青磁」は二〇〇年間にわたり秘法を守り、宮中や将軍家への献上品、諸大名の贈答品などに珍重された。
このため一般に出回ることはなく、「鍋島」は大正時代になって知られ、世界の陶芸史上の金字塔とまでいわれるようになった。
日本で最初に磁器を作り出した鍋島藩は国内外向け一般用を有田で焼き、最高級品を大川内山で作った。だが、有田焼が伊万里港を経て輸出されたことにより海外では伊万里焼と呼ばれた。実は、正確には伊万里焼は鍋島を指す。
御用窯のために招聘された陶工の一人、川副蔵之助の血脈を継ぐのが虎仙窯(こせんがま)だ。川副為雄さんが一九六三年に独立して窯を開き、現在、その子ら三姉弟が鍋島を守り続けている。
長女の青木妙子さん(五七歳)は絵付師として活躍し、鍋島の伝統を基に桜など花をモチーフとしたデザインに人気がある。九一年には有田を含めて十七人程度しかいない伝統工芸士に認定された。
長男の虎隆さん(五五歳)は絵付と、釉薬や窯全体を担い、伝統の鍋島青磁の研究に没頭、一〇年をかけて開発に成功した。父からは青磁に手を出すと窯がつぶれると諌められたが、今では青磁の虎仙窯として知られる。次男の秀樹さん(五三歳)はろくろの名手だ。
妙子さん、虎隆さんの長男たちも修業中だ。妙子さんは「一〇年間みっちり鍋島の伝統を学び、その後、お客様に喜んでもらいながら個性を発揮してほしい」という。焼き物は芸術の前に実用品だ。顧客に喜ばれてこそ伝統が生きる。










