第42回
鮎川義介の自動車メーカー立ち上げ物語
〜老舗がやらないならオレがやる、そこにビジネスチャンスがある〜
日産自動車 創業者 鮎川義介氏

鮎川義介には様々な面がある。戦前の新興財閥「日産コンツェルン」の総帥として、金融や貿易を柱とした三井、三菱とは違い当時最先端の重化学工業を中心に経済を引っ張り、日本の満州経営にも大きく関わった人物。
しかし、鮎川は財閥のトップとしては珍しく、受け継いだ事業を守り大きくするタイプではなく、いくつもの企業をつくり育てた文字通り"企業"家だった。さらに日本の工場から米国の鋳物工場に渡り一介の作業員として働き、もの作りの現場も熟知していた。
その鮎川の真骨頂が自動車。国産メーカーはほとんど潰れかけ、自動車産業はなくてもよい、とまで言われていた大正時代、自動車製造こそが日本の工業化に不可欠と気づき、チャンスを逃さずフォードやGMに対抗して大量生産方式の自動車製造に乗り出したのだ。
(2005年8月22日公開)











