第20回
小田 孝の女将物語
〜箱入り娘が、もてなしの心で日本一の旅館を築くまで〜
加賀屋 元女将 小田 孝 氏

和服をキリリと着た温泉旅館の女将というと、なんとなく男性の心をくすぐるものがある。「ごめんくださいませ…」という穏やかな声とともに襖が開けられ、女将の丁寧な挨拶が続く。思わずこちらも身を正して挨拶を受ける…。 今やどこの旅館でも見受けられるこの光景、最初に始めたのは、能登半島七尾湾に面する和倉温泉の老舗旅館加賀屋の2代目女将、小田孝といわれている。旅館とは縁のない地方政治家の箱入り娘だった孝は、失敗を重ねた末に真心のこもったおもてなしとは何かを体得、加賀屋を「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(旅行新聞新社)で22年連続総合1位をキープし続けるまでに育て上げた。
孝は、1913(大正2)年、同じ石川県だが富山県に近い津幡町で村弥一の娘として生まれた。父弥一は津幡町の町長や県議も務めた名士。孝は何不自由なく育てられたが、幼い頃から肋間神経痛を患うなど、体が弱く、心配した父は孝をよく和倉温泉の加賀屋に湯治につれていった。
"箱入り娘"孝は、女学校を卒業すると、好きだった油絵の道に進むことを断念、お茶や生け花などの嫁入り修業に精を出す。1932(昭和7)年、19歳で金沢の青草問屋の若主人に嫁いだものの、夫は披露宴当日召集され、負傷して1年後に帰国、孝の看病の甲斐もなく、7年後にひっそりと世を去った。
家に戻った孝に、父は再び縁談をもってきた。相手はやはり数年前に妻をなくし、2人の娘をかかえていた加賀屋の若旦那小田与之正。見合いの席で、与之正から「旅館の仕事は体がきついぞ、大丈夫か」と言われたものの、父の意向に反対するわけにもいかず、孝は「はい」と答えたのみだった。与之正はもっと若くて丈夫そうな人を望んでいたが、娘の「この人がいい」という一言で話は決まった。1939(昭和14)年6月、孝は26歳にして加賀屋の女将となった。未知の世界に突然飛び込んだ"箱入り娘"の奮闘がはじまった。
(2003年2月3日公開)











