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先達に学ぶ決断の時

第19回

島津源蔵の発明物語
〜日本のエジソンは努力に加え反省〜
株式会社島津製作所 元会長 島津源蔵 氏

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ノーベル賞の田中さんで注目を浴びた島津製作所だが、その2代目、"日本のエジソン"といわれ、明治時代に、もうハイテク企業を目指していた島津源蔵もユニークな人間だった。実は現代の我々も彼とはおなじみだ。もし自分の車のボンネットを開け、バッテリーに「GS」という文字が入っていれば、それが島津源蔵のイニシャルなのだ。

島津源蔵は、幼名を梅次郎といい、京都の仏具の職人だった初代源蔵の長男として1869(明治2)年に生まれた。細工物の技術を持っていた父は、設立されたばかりの京都舎密局(「舎密」はケミストリーの漢訳、現在の工業試験場のような機関)で理化学の実験や研究を手伝うようになる。これが"西洋鍛冶屋"島津製作所の創業につながった。新しもの好きで、1877(明治10)年には、日本で初めて人を乗せた軽気球の飛行に成功、島津源蔵の名は世に知れ渡るようになる。このDNAが梅次郎にも流れている。

小学校に入ったばかりの梅次郎は、父の創業と共に手伝い始める。梅次郎は次々と修理のために持ち込まれてくる外国製の機械を見るたびに、「なんで日本人にこないな機械が作れんのやろか」と父に聞く。「作れんのやない、機械の勉強した人がおらんのや」、この何気ない一言が梅次郎の心を揺り動かす。小学校での勉強にも自然と身が入った。しかし、人手が足りなくなってきたこともあり、父は泣いて勉強したがった梅次郎をむりやり2年で退学させる。だが梅次郎の向学心は衰えない。仕事の合間に自ら舎密局に出入りし、フランス語の物理学の本を借りてきて、図や絵を眺めて想像をたくましくする。そのうち赴任してきたばかりのドイツ人学者ワグネルをつかまえて質問を浴びせかけるようになった。梅次郎にとって、ワグネルは最先端の知識を与えてくれる願ってもない師だった。

1884(明治17)年、15歳の梅次郎は、前年に英国のウィムシャーストが発明した感応起電機(静電誘導を利用して高電圧を発生させる装置)を図解したたった1枚の挿絵から完成させた。人々ははじめて見る電気の火花とパチパチという音に興奮した。翌年京都博覧会でこの装置を見た文部大臣森有礼も梅次郎を絶賛、電気こそ梅次郎の創造力を刺激し続けるものとなった。

(2003年2月3日公開)

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