第15回
福原有信の化粧品販売物語
〜品質に情報発信という付加価値をつけて〜
資生堂 創業者 福原有信氏

日本の高級化粧品として世界中にその名を知られているSHISEIDO(資生堂)は、高品質の化粧品で女性を魅了してきただけでなく、女性たちがあこがれるライフスタイルを提供し続けることで、流行を生み出し、その中心となってきた。明治の創業以来、東京・銀座から発信される"資生堂文化"は時代の先端を行く女性の支持を絶えず受けてきた。
創業者福原有信は、1872(明治5)年、25歳のとき、海軍病院薬局長の職を辞し、薬局の資生堂を設立した。「反権力者で理想主義者、反骨精神の強い人間」であった福原は、新時代の幕開けに、安定した官の座ではなくて、起業家として生きる道を選んだ。新しい時代の息吹を肌で感じ取っていた福原は、今までにないものを創る意欲に燃えていた。
「本当に良いものを供給する」、コンセプトは明快だった。多少高くても高品質のものを揃えることを厭わなかった。そのうち、医師も近所の薬局にないと、「銀座の資生堂へ行け」というぐらいの評判を博するまでになる。だが、医療制度もろくに整っていない時代にあっては、高価な薬を買うのはごく限られた人々。たちまち処分しきれぬ在庫を抱えることとなる。福原は窮地に追い込まれた。土壇場で福原を救ったのは、1877(明治10)年におこった西南戦争であった。東京の警視方からも部隊が出動するほどで、多数の負傷者のために大量の薬が必要となったのだ。資生堂はこれで息を吹き返すことになる。"武家の商法"を地でいった福原も、ここまでの失敗から自分がいくら良いと思ってもそれがマーケットのニーズにあっていなければ売れないということを身にしみて思い知った。そして次に手がけたのが化粧品。西洋化という時代の流れの中で、福原はニーズを読んだだけでなく、ニーズを作り出していった。その手法は流行の担い手に情報を発信し、商品を売るという文化戦略だった。
(2002年11月25日公開)











