第14回
松永安左ヱ門の電力事業再編成物語
〜電力の鬼、GHQと渡り合う〜
財団法人 電力中央研究所 理事長 松永 安左ヱ門 氏

"公共事業にも効率化を"、"民間でできるものは民間で"という今日の常識を50年前に唱え実現した男がいた。戦後、国策会社の日本発送電の1社独占を打ち破り、日本の電力事業を分割民営化した松永安左ヱ門である。日本の電気の黎明期、明治の終わりには、夢を抱く男たちが官の力を借りず、各都市に電灯会社を設立し、熾烈な競争の中、頭角を現してきた会社が地域の電力会社へと発展していった。後に「電力の鬼」と称されることになる松永も、そんな男たちの1人だった。電気の重要性に気づいた官から何度か試みられた官営化への圧力も、競争の中で力を培ってきたこの男たちが封じ込めてきた。
松永は1875(明治8)年長崎県壱岐島に生まれ、慶應義塾で福沢諭吉に学んだ。自由奔放、一本気で、負けず嫌い、"我が人生は闘争なり"をモットーとした松永は、33歳の時、佐賀の広滝水力電気の監査役に就任したのを振り出しに、九州、関西を征し、1922(大正11)年、名古屋に東邦電力を創設、全国の5大電力の一つに数えられるまでになった。次に挑んだのが念願の首都圏。当時、首都圏で圧倒的なシェアを誇っていたのが東京電燈。松永は東京電力を設立、水力が主流であった発電方式に火力も加え、コストを下げて善戦、東京電燈に東京電力を合併させるところまでいった。松永は東京電燈の筆頭株主と取締役の地位を獲得。ついに松永は日本の電力王と呼ばれるようになる。
しかし、戦争準備のため、1938(昭和13)年、電力会社はついに国家の管理下におかれる。国営の日本発送電株式会社(日発)が設立され、発電と送電を担当、利用者への配電つまり小売は地区別の国営配電会社9社が行うことになったのだ。その中心は官僚たちだった。松永は「民間の活力があってこそ、電力事業は伸びる。国営化は自由経済を殺すもの」と反対した。その正論に耳を傾けるものは数えるほど。松永は全ての職を辞し、隠居生活に入った。
そして敗戦。松永は戻ってきた。戦後の電力事業を官僚の手から奪い返すために。"電力王"から"電力の鬼"になるために。76歳になった松永は、電気事業再編成審議会委員長に就任した。
(2002年10月28日公開)











