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先達に学ぶ決断の時

第10回

吉本せいの興行ビジネスにかけた人生
〜笑いは商品、質の高い商品をたっぷり安定的に〜
吉本興業 創業者 吉本 せい 氏

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吉本興業は、今や日本経団連に加盟する一流企業である。しかし、そんな吉本興業ももとは芸人を連れたお大名遊びがこうじて事業に失敗した亭主を立ちなおさせるために言った女性の一言から始まったのだ。

「『それやったら、いっそのこと、毎日、芸人さんと一緒に居て商売になる寄席しはったらどうだす』」(山崎豊子『花のれん』)

その女性は吉本せい。1889(明治22)年、明石で商家の三女として生まれた。女中奉公先を自ら探し出してくるほどのしっかりものだった。二十歳の時に大阪の荒物問屋「箸吉」の息子吉本吉兵衛(後に泰三と改名)に嫁ぐ。泰三は、繁盛しているときには、ひいきの芸人を連れ立って芝居やお茶屋に繰り出し大盤振る舞い、しかし傾いてくると自分は家を抜け出して知らん振りという気弱なところがあった。店の切盛りは、自然と船場のご寮人さんのせいの肩にかかってくる。結婚して4年目の1911(明治45)年、せいの奮闘の甲斐なく店は倒産。ついにふがいない泰三に向かってせいは「寄席しはったらどうだす」と言いはなったのだ。

せいと泰三は、店を処分して得た500円を元に端席、つまり中心地から離れた二流の寄席を手に入れ文藝館と命名、経営に乗り出す。しかし、表も裏もある興行の世界、芸人の扱いも難しかった。それでもせいは踏みとどまり、ついには吉本興業の基盤を磐石なものとするシステムを作り上げる。それまでソフトである芸人の仕切りは興行師である太夫元、ハードである寄席の経営は席主と分かれていた興行の世界を、芸人と寄席を吉本という1つの企業が管理することで"笑い"を商品として確立し、消費者に供給したのだ。まだ女性が職につくことも稀だった時代、1人の女性経営者が笑いをビジネスにしたのだ。

(2002年8月28日公開)

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