第8回
佐治敬三のビール市場参戦記
〜アッといわせるしかけをつくれ〜
サントリー株式会社 元会長 佐治 敬三 氏
サントリーと言えば、メセナ活動に力を入れている企業として知られている。美術館やホールの設立、音楽賞や文化賞などその活動は多岐にわたる。そしてこれらの活動を率先して引っ張ってきたのは、創業者であり父である鳥井信治郎の後を継ぎ社長に就任した佐治敬三であった。佐治は経営者の中では数少ない文化人肌。後に消費財メーカーの社長として初めて関西経済連合会副会長に就任、大阪商工会議所会頭も務めるなど、財界人からも一目置かれ慕われた。
しかし、佐治はそもそも寿屋(現サントリー)の後継者になるとは予想だにしていなかった。1919年(大正8年)に信治郎の次男として生まれた佐治は小学生の頃母方の親戚佐治家の養子に入っており、阪大で学者を志し、アミノ酸合成の研究をおこなっていた。だが転機は突然訪れる。1940年(昭和15年)父が後継者と目していた兄吉太郎が突然病に倒れ他界、その2年後には、学徒出陣を命ぜられ、結局学者の道は断念せざるを得なかった。
終戦直後復員して寿屋に入社した佐治は、現場へ出て仕事を覚えつつも、学者への思いが消えなかったのか、科学啓蒙雑誌を発刊したりしてしばしば父と衝突した。物静かな学者、温厚な紳士、寿屋の2代目は、世間でこう評されたものの、父親譲りの反骨の気概の持ち主でもあった。そんな佐治が"行動の人"として"起業家"経営者になるきっかけを掴んだのがビールだった。
かつて寿屋はビールで大失敗していた。
1929年(昭和4年)に父が売り出し、5年で撤退した「オラガビール」である。戦後寿屋がウイスキーでその地位を不動のものにしたとき、佐治に経営者としての意識が芽生え始め、父のリベンジ、そして父を超えるという大目標が頭をもたげてくる。そしてそのために佐治が取った作戦は、ビール業界の常識を覆す、ということであった。
(2002年7月24日公開)











