第5回
後藤新平の東京改造物語
〜50年後、100年後を見据えた大風呂敷〜
元東京市長、内務大臣兼帝都復興院総裁 後藤 新平 氏

東京は水辺の都である。永代橋をはじめ隅田川にかかる橋の多くは関東大震災による被災後、新しい東京のシンボルとして架け替えられた。これらの橋には焼け野原となった東京を一国の首都に相応しい街に作り変えるという夢が託されていた。 その夢を押し進めたのが内務大臣後藤新平である。
医師として出発した後藤は、若い頃より好奇心旺盛、一つのことにのめり込むと寝食を忘れて取り組み、常に一歩先を行く男だった。1週間着物も袴も脱がずに眠くなれば机にもたれたまま寝て目覚めるとそのまま勉強を続けたこともあったという。「直絶物欲期成業」(一切の物欲を絶って成業を期す)、若かりし後藤が詠んだ詩の一節である。
1892年(明治25年)若くして内務省衛生局長に就任、日清戦争帰還兵23万人の検疫事業を成功させ、後藤の名は一気に知れ渡る。その後、台湾総督府のナンバー2、満鉄初代総裁と歴任した後藤は、1920年(大正9年)、汚職事件に揺れていた東京市の市長に就任する。政党に属さず政争とは無縁の後藤に伏魔殿と呼ばれていた東京市政再建が託されたのだ。それだけではない。欧米の首都に負けないような近代都市に東京を改造する、東京市長後藤はゴールを定めたのだ。
(2002年7月3日公開)











