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先達に学ぶ決断の時

第2回

日本初のキャリアウーマン津田梅子 学園設立に"外資"導入
〜武家の娘のアメリカ的発想〜
女子英学塾(現津田塾大学) 創立者 津田 梅子 氏

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明治時代は日本の女子高等教育の黎明期である。近代国家として立つために、"寺子屋"以上の女子教育を望む声が高まり、官民、そして海外の宣教師らが相次いで女学校を設立する。

1900年9月に津田梅子が開いた女子英学塾(現津田塾大学)は、その中でも異色の学校だった。ミッションスクールでもないのに、主に英語を教えることを主旨としていた。

しかし、梅子は開校式でこう述べている。「"オール・ラウンド・ウーマン"を作るのに必要な事柄をないがしろにしてはいけません。英語の習得のみではなく、他の分野についても研鑚を怠らず、幅広く通用する女性になれ」と。

旧幕臣の娘として江戸時代末期に生まれた梅子は、1871年(明治4年)7歳の年、日本初の女子留学生5人のうちの最年少としてアメリカに渡り、17歳で帰国。その後、女子教育に一生をささげることになる。

もちろん、明治という時代、自由や権利は制限されており、個人で教育事業を立ち上げるのは容易なことではない。まして女性が自らの意志で女性のための教育機関をつくるということは、当時の常識では無謀な計画以外のなにものでもない。しかし、梅子はこれを実現する。周りの男性たちが思いもつかない方法で。そこには武士の娘のアメリカ的な発想があった。

(2002年6月5日公開)

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