第1回
本田宗一郎の自動車製造物語 第1号車はスポーツカー、という決断 〜
オリジナリティがもたらした勝利〜
本田技研工業 創始者 本田宗一郎氏

ホンダは自動車メーカーとしては後発組である。そんなホンダが今日Hondaとして世界中で多くの人々の支持を得ているのには訳がある。技術力、品質、サービス、もちろんこれらの要素が大きいのは当然である。だがこれだけならどこでもやっていること。それ以上の何かが… 高性能、スタイリッシュ、スポーティー…ホンダのクルマといえば、他社とは違うと期待できそうなイメージがある。カギは、1963年に登場したS500というホンダ初の市販乗用車にすでに芽生えていた。
まだ自動車といえば4人乗り小型セダン、もしくは軽自動車が主流の時代であった。S500はそんな中で登場した。2人乗りスポーツカー、水冷直列式4気筒DOHC、531cc、44馬力、最高速度130km、45万9千円。当時の新人サラリーマンの平均年収2年分ではあったが、この性能としては予想を下回る価格。S500は、小型ながらその高性能エンジン、斬新なボディデザイン、そして輸入車よりは現実的な価格で人々の心を捉えた。"国民車"と銘打ってトヨタが発売した4人乗り小型セダン、パブリカが空冷水平対向2気筒、697cc、28馬力、最高速度105km、42万9千円の時代である。高速道路の建設が緒についた時代、初の国産スポーツカーが新たなメーカーより誕生したのだ。
そしてこのクルマの誕生の裏に、この男のキラーパスがあった。
(2002年4月15日公開)









