− 第1回 −
今後の米国IT界をシリコンアレーから占う
連載の第一回に当たるこの項では、現在のニューヨークのIT事情やそれを取り巻く環境、そしてこれまでの経緯や今後の予測などをざっと振り返り、米国の中でのニューヨーク、ひいては東海岸のIT界の姿を振り返りたい。
そしてそれらの中には今後のIT界を示唆する事象が隠れているようなのである。
創られたブーム〜シリコンアレーの成り立ち
金曜日の夕刻、マンハッタンはウオールストリート近くの路地の一角にある古びたアイリッシュバー。多忙な金融関係のビジネスマン達が一週間の疲れを癒す為、一杯の冷たいダーク・ビールを手に入れるために集まってくる。ネクタイを緩め歓談する彼らは揃ってダークスーツに身を包んでおり、カジュアルな装いの客はあまり見かけることはない。しかし数年前にはこの店ではスーツ族とTシャツ姿の若者とが隣り合わせで飲んでいたものである。そして実はこのエリアには今でも多くの新進のIT企業が拠を構えているのである。
シリコンアレーという言葉をお聞きになったことがあるだろうか。西海岸のシリコンバレーをもじったこの言葉は、ニューヨーク/マンハッタンの南側およそ1/3程のエリアを指し、1996年頃から始められたニューヨーク市の施策のキャッチフレーズとして、一気にその名が知られるようになってきた。不景気を打開するために当時の市当局が採った施策は、流行のIT産業への特化だった。西海岸のシリコンバレーの成功を目にした彼らが、その後を追おうとしたのはある意味当然でもあった。
シリコンアレーがマンハッタン南部を中心としたのは幾つかの理由がある。表向きは金融破綻により無人となった空きビルが密集していたことや、初期のネットインフラ開設に適していたということなどが上げられる。しかしこれらは合理的な面からの採択でしかない。実はこのエリアが選ばれたのには別な側面もある。ITベンチャーに必須の資金導入を果たしやすかったのがこのエリアだったと言うことだ。ウオールストリートに近く、金融関連企業に勤めるビジネスマンから裕福な個人投資家達などとコネクションを構築しやすかったということが初期のシリコンアレーの隆盛の一因であったことは言うまでもない。このような事情から、シリコンアレーの中心とされるNYITC(=NewYork Information Technology Center〜ニューヨーク情報技術センター)ビルは、ウオールストリート近く、ニューヨーク証券取引所に程近い場所に設置されたのである。

シリコンアレーの中心地である「ニューヨーク情報技術センタービル」。1995年のオープン時に、既に高速のインターネット回線やビル内LAN、光ファイバー網などが用意されていた。
ところで冒頭に上げたバー。ネットバブル華やかしき頃には、10時を過ぎるとよれよれのシャツを着たITベンチャーの起業家が仕事を一段落させて一杯やりに来ていたことも多く、その両者が隣り合わせで懇談する場をよく見かけたものだ。場所の選定に関しても目論見通りの成果をもたらしたと言えるだろう。
*ウオールストリート近辺のバーでは、6-10時頃までが金融関係者。9-12時過ぎあたりまでがIT関係者。深夜になると近辺の港湾関係者やリムジンの運転手などが立ち寄ることで、複数以上の客層が順に入れ替わる。それぞれが少しずつ関わる職種と言うことで、カウンターでの客同士の会話などで思わぬ情報を手にすることができたことも多かった。

ウオールストリート近く、会社帰りのビジネスマンでにぎわうテラスバー。
フランクな中でシリコンアレーの起業家と金融街の重鎮が懇談することができたのが特徴的。
さて、体よく資金を手にした起業家は自身のビジネスを拡大させ、仲を取り持ったスーツ族は非常勤の取締役などを兼任し、お互いが直接/間接にその恩恵を受けることが出来ていた。ストックオプションや高額な給与など、どのような立場であれ、シリコンアレーそしてITベンチャーに関わる人々全員が公私共々幸福感に浸っていたのがこの時期であったのだ。また急に裕福になった若者が増えたことから、品の良いレストランやカフェ、ギャラリーやスポーツクラブなども増えることとなり、街全体も活性化した。シリコンアレー政策は確かに成功を収めていたのである。
しかし蜜月は、突然終焉を迎える。アマゾンのような有名大手ITベンチャーでさえもなかなか利益を出すことができないことなどから、この分野の成功を疑問視する声も聞かれ始め、徐々にIT不況は広がりつつあった。そしてそれに追い打ちをかけるかのように起こった2001年のテロ事件では多くの企業が様々な面での被害を受け、その後にやってきた経済全体の低迷と相まって、ITバブルの崩壊という形でシリコンアレーの第一幕は終わりを迎えることとなったのである。
*余談だが、米国でもシリコンバレーを模した他のエリアでの導入事例は多い。しかしビルや工場用地など入れ物ありきの日本の手法と、政治や教育など有形無形の周辺環境まで考慮に入れたシリコンアレー政策とは一線を画すものであり、教育機関との連携などと合わせ、改めて見直したい成功事例である。
また日本で幾つかのITベンチャーの成功事例が知られるようになったのは、アマゾンなどの大手がきちんと利益を出す手法を確立した後で、事業としてITビジネスが確立されてからのケースが大半であり、決して先鋭的な手法ではなく他の事例を見ての安全策でしかない点も大きな違いである。











