部下との垣根を感じている上司の方も多いのではないでしょうか。しかし、「今の若い奴は・・・」と嘆く前に、まずは自らの力でその垣根を取り払っていきたいものです。そのためにも「笑顔」という強力な武器を忘れないようにしていきたいものです。いつも笑顔で明るく振る舞っていれば、それだけで周囲の人々は安心して心を開いてくれるものなのです。 私は仕事柄、一流選手たちのみならず彼らを育てた一流の指導者たちとも接する機会が多いのですが、指導者によって、賞賛するタイプ、叱るタイプ、理論派タイプ、感覚派タイプなど、それぞれに独特の指導法があります。しかし、一つ共通することは、どの指導者もとても素敵な笑顔を見せるという点です。 叱るタイプの監督、女子ソフトボールの宇津木 妙子さんと、叱るタイプのコーチ、女子シンクロナイズドスイミングの井村 雅代さんは、一見すると、怒った顔をして厳しい言葉で選手を叱ってばかりのように見えてしまいます。しかし、彼女たちの指導を観察していて私が気づくことは、時折見せる笑顔がいかに素敵か、ということなのです。叱られてしょんぼりしている選手のお尻をポンポンと軽く叩いて「いつまで落ち込んでいるの。クヨクヨしてる時間なんてないよ」と声をかける時の笑顔には、限りない愛情が込められているのです。 上司と部下が共に緊張したり、イライラしたり、落ち込んでいたりしていると、2人の間に良好なコミュニケーションは生まれず、まとまる話もまとまらないでしょう。まずは上司の側から心を開かなければ、部下も心を開きません。部下がそっぽを向いて話を聞くことすら拒んでしまったら、人を動かすどころの話ではなくなってしまいます。そのためにはやはり「笑顔」は最大の武器になるものなのです。 とはいっても、人間である以上、憂うつな気分の日もあれば、機嫌の悪い日もあります。そんな時に笑顔を浮かべるのは確かに難しいものです。しかし、精神状態が悪い時ほど笑顔を見せるべきなのではないでしょうか。人間は楽しいから笑う、悲しいから泣くという側面以外に、笑うから楽しくなり、泣くから悲しくなるという側面ももっているのです。たとえ作り笑いでもよいので、まずは笑顔を見せるのだという点に意識をおいてみましょう。
宇津木さんは毎朝、寮の朝食に顔を出して選手たちと食を共にしています。しかも食堂に一番早く着いて選手を迎えているのです。そして次々に来る選手一人ひとりに「おはよう」と笑顔で元気に声をかけるのです。なかには「おはようございます」という返礼に笑顔がなかったり、声に元気がなかったりという選手もいます。そういう時は、まず呼び止めて、宇津木さんはちょっとしたジョークを言うのです。すると選手はクスッと笑います。もちろん笑顔とまではいきませんが、少し明るくなります。そのタイミングで宇津木さんは「何か今日は元気がないけど、どうしたの」と声をかけるのです。同じこの言葉でも選手を呼び止めてすぐに聞いたのでは、選手の方も「いえ、大丈夫です」と答えるでしょう。しかしワンクッションほどジョークを交えて少し明るい気持ちになれば、両者の壁は低くなって話しやすい雰囲気ができるのです。そうすれば選手も「実は-なんです」と事情を口にしやすくなっていくのです。 笑顔は、元気で明るい気持ちの相手をさらに笑顔にしていけるし、元気のない暗い気持ちの相手を少し笑顔にしていけるのです。いつも仏頂面をしていたり、陰うつな顔でボソボソしゃべる人は、自ずから周囲の人々との間に垣根を作っているものなのです。こういう人は誰からも信頼してもらえないでしょう。その垣根を取り払おうとするには、まず日頃から大きな声で部下に声をかけることから始めてみましょう。簡単に言えば、宇津木さん同様に自分から部下に対して「おはよう」と声をかけるようにするのです。当たり前のことのようですが、最近の若い社員はこんな簡単な挨拶すらできない人が増えてきているようです。部下とエレベーターや廊下で顔を合わせるたびに、上司の方から「おはよう」と声をかければ、部下の方も挨拶を返さないわけにはいかないでしょう。 確かに「おはよう」「こんにちは」といった言葉は単なる形式的な挨拶にすぎないかもしれません。しかし、その言葉を明るく大きな声で口にすることで、少なくとも部下との間にある垣根は低くなるはずです。こうした挨拶を続けていくことによって、お互いの理解を深めあったり、お互いの状態を気付きあったりという土壌が自然に築かれていき、より親密な話ができるようになっていくはずなのです。
女子シンクロナイズドスイミングの井村 雅代さんは「笑顔の感性と表現力」を大切にしています。シンクロは技もさることながら選手一人ひとりの表現力がとても大切になってきます。笑顔で表現すると一言で言っても、観客にその笑顔を通して何かを感じさせなくてはいけないのです。単なる作り笑顔では、観ている人たちに何も訴えかけられません。井村さんは、叱った後に選手が笑顔を見せて「はい、わかりました」と言えるかどうかを「笑顔の感性と表現力」であると考えています。叱られた選手は、叱られて気分がイライラしたり、落ち込んだりしてしまいます。 しかしムッとした顔や元気のない顔で「はい、わかりました」と言うのは相手に対して失礼であると考えています。叱られた内容を反省して、その点を改めた新しい自分を心の中でイメージできてこそ、希望に満ちた笑顔で答えられるのです。そのイメージをもてれば、瞬時のうちに素敵な笑顔が作り出せるのです。演技中でもミスしたり、疲労してきたりして笑顔が消えてくると、井村さんはこのイメージを大切にするように指導していくのです。 「何でもよいから楽しいことをイメージしなさい。楽しいことを心の中で言い聞かせなさい」という井村さんの言葉通り、自分の心の中の状態がそのまま自然に表情として表れるのです。部下のマイナス面ばかりに目を向けて「全くどうしょうもないよ」などと心の中で思っている限りは、部下に見せる笑顔もどこか不自然なものになっているのではないでしょうか。心の中で部下のプラスの面に目を向けて、その部下が将来立派に成長した姿をイメージしながら、「おはよう」と笑顔で挨拶していくようにしてみましょう。