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2009/08/31

ゆめみるヒト

「今、ここ」って言葉は、精神療法の分野などでよく聴くものだと思う。
様々な形の悩みを抱え、苦しんでいる人は、こころが今ここでないどこかに束縛されているために、そのような状態になっている。

それは確かにそうで、不安や絶望というものは、今ではない、将来が自分の望むようには決してならないだろうという思い込みから来るものだし、悔恨も、今となっては変えがたい、今ではない過去の選択にこころがとらわれて生じる感情であり苦しみといえる。

2006年の9月26日の朝、霊長類研究所にいる、当時25歳のチンパンジーのレオが、倒れているのが発見された。脊髄炎を起こし、それ以降、全身が麻痺して寝たきりの状態になってしまった。

全身が動かないため、ただ寝かしておいてはたちまち褥瘡ができて、体中が傷だらけの酷い有様になってしまう。

褥瘡とは、圧迫によって血流が滞り、その部位が壊死してしまうもので、寝たきりになった人などでも、酷い時は背中の肉がごっそりなくなって背骨が露出してしまったりすることさえある。これを防止するには、2時間程度に一度は体位を変えて、同じ場所が圧迫されないようにしてやらないといけない。

レオがこのような状態になった時、誰かえらい人が指示を出したわけではないのに、ごく自然に、若い教員、大学院生、飼育関係者たちが、ボランティアで一日24時間の看護体制をしいた。

それが一年にもわたって続けられ、結局今ではレオは下半身には障害が残るものの、上半身は動かせるまで回復しているそうだ。

興味深いのは、このときレオがゼンゼンめげなかったことだ。
レオはもともと、いたずらやんちゃな性格で、ちょっとゆだんしていると口に含んだ水をぴゅっと吹きかけたりする。新人の若い学生などには、がーっとすごんで脅かしてみせたりする。それが、闘病中も全く変わらない。

これがもしヒトだったとしたら、希望を失って、死すら望むかも知れない。このまま自分は一生身動きが取れないだろうなどと思い悩んで、絶望の深みにとらわれ、レオのような冗談をやってみせるこころの余裕など、そうそう沸いてこないだろう。

でもレオは、今ここにだけこころの焦点が結んでいて、時々刻々目の前に現れる人たちとの関わりの中で、いつもと変わらぬいたずら好きな行動をし続けた。

それにしても、期せずして、こういう「寝たきりになってしまったチンパンジーの行動の観察」についての知見が得られたのは、日本ならではのことだったようだ。

日本人なら、寝たきりのチンパンジーの面倒を親身になって見るということは、ごく自然な行為と感じると思う。そういう文化風土があるからだ。

でも、欧米では、こういう状態になったら、すぐに安楽死させるのが普通で、結果としてこんな「研究」はなりたたない。

チンパンジーは絶望しない。今ここだけをいきているからだ。

一方、ヒトは、今ここでないところに、こころがとらわれやすい。
ふと気づくと、ヒトのこころの焦点は、今ここでないところに結んでいるのが普通と言っても良いくらいだ。

それは絶望を産み出す原因でもあるけれど、未来への希望や夢を見ることができるということでもある。

いま、ここでないことに思いを馳せるということは、論理の飛躍であり、つまり非論理的であるという事でもある。

論理というものは、本来的には、現実にある、現実に起きる現象と不可分のもののはずだ。だからチンパンジーやイルカなどの動物たちは、極めて論理的であり、今ここを生きている。

動物が、今ここを生きられなかったとすれば、リアルタイムに進行している現実と自分の間にずれが生じて、それは生存に不利に働き、たちまち淘汰されてしまうのではないだろうか。

しかし、ヒトの場合は、なんらかの、そうはならずにすむ環境ができたのだろう。

ヒトの脳の情報処理回路には、ある種の非論理が生じやすい傾向が、進化の過程で備わった。それは、リアルタイムな現実との間にずれを生じさせるものだから、自然界の中に、ヒトが孤立して存在していると考える限り、生存には不利だったはずだ。

でも、ヒトの場合、とくに出現の初期に、何らかの巡り合わせによって、そういう現実のリアルタイム性からずれてしまう非論理性というハンディキャップがあっても、それが進化的に中立か、むしろ有利にになるような環境条件に、たまたま巡り会えたのではないかと思う。

それは、ヒト集団(ヒトの祖先集団の中のヒト)という社会の中での生存さえ保たれれば、個としての生存は担保され、かつ社会の中での生存のためには非論理性が有利に働くといった感じかな。

ヒトはこの進化によってはぐくまれた非論理性によって、悩み苦しみ、夢を見、今のような文明を築くことができる存在となったのだろう。

最終更新時間 2009年08月31日 19:55

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いつも楽しく拝見しています。

今でない時、ここでない場所に思いを馳せれるどころか、人は「自分でない誰か」に対しても簡単に夢見る事ができるのがとても不思議です。
私もそうですが、人が物語を摂取するのに費やす時間的・金銭的コストは計り知れません。
また、宗教も言わば物語ですが、物語の影響力というのもとても強いものだと思います。
それこそ、前述の「逆も真なり」の非論理的飛躍から、「自分=人=物語の主人公」ゆえに「主人公=自分」という所から感情移入が始まるのでしょうか。

投稿者 夕七 : 2009年09月02日 14:21

レオのエピソードも、霊長研公開講座での、松沢哲郎さんの話です。

投稿者 鹿野 司 : 2009年09月22日 13:11

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