「夜中に犬に起こった奇妙な事件」を読んで
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(早川書房)
マーク・ハッドン著 小尾芙佐訳
自閉圏の少年が書いた小説という体裁をとったミステリー。
はじめは、早川の児童書シリーズで出ていたらしいけど知らなかった。
で、去年出た新装版で読んだ。面白くてすごく読みやすい。かなりお薦め。
主人公の少年は、ある晩、向かいの家の庭で、農業用のフォークで串刺しにされた犬に遭遇する。おもわずその犬を抱き上げ、血まみれになった彼は、はじめはその犯人と誤解され、かけつけた警官を殴った(合理的な理由がある)ことで補導されてしまう。
少年には、多数派の人には自明なことでも、わからない事がある。
多数派の人にとっては、そんなことがわからないなんてことが、あり得ると思うことすらできないようなことが、わからなかったりする。
しかし、それとは逆に、多数派の人がまず気づかないようなことを、敏感に察知することもある。それも、多数派の想像を遙かに超えた事柄について。
そんな彼が、この事件を契機に、犬を殺した犯人を見つける決意をし、それを養護学校の先生の薦めもあってミステリー小説のスタイルでまとめはじめる。そして、驚くべき謎が解き明かされていく……。
著者は、自閉圏の人と働いた経験がある神経学的多数派(健常者)なんだけど、自閉圏の人の推定できる内面を、とてもリアルに描いている。
もちろん、他者の内面なんてホントのことは解るわけはない。
ましてや神経学的マジョリティの人に、神経学的マイノリティの内面がわかるわけないといえばその通りなんだけど、まあカタいことはいいっこなし。
読んでいくと、自閉圏の人は、確かにこういう感じだなあと思えることの連続だ。
自閉圏の人は、多数派から見ると、しばしば理解しがたい振る舞いをしたり、言動を行ったりする。理由のわからないことにものすごく頑固にこだわったり、
多くの場合、それはとても厄介だと認識される。
しかし、それは、その人の内部では、きちんとした理由があって、その人なりの論理的な振る舞いなのね。ほとんどの場合、意味なく強情なわけではない。
多数派の人が抱くいちばん大きな誤解は、そういう振る舞いをしているときの自閉圏の人が、感情的に、自分を困らせてやろうと思っているに違いないと思うことだ。
でも、実際には、そんな意図は全くない。
たとえばこの少年は、黄色のものと茶色のものが嫌いで絶対に触らない。
一方、赤と銀色が好きなので、カレーを食べるときは赤い色素で真っ赤にしてから食べたりする。黄色い車を5台連続で見てしまうと、それは最悪の日なので、誰がなんと言おうと部屋から外に出ない。(それらの理由は他の人には語らない(理由を説明すればわかって貰えるという発想もない)ので、両親はじめまわりの人は何故外に出ないかわからず、困り果てたりする)
この物語を読むと、逆説的だけど、他者の内面を理性的に理解することが、他者とよりよくつきあうためのコツのひとつかなという感じがする。
それはたぶん、多数派の人同士でも同じなのね。
あまりにも手強い、ワケのわからない人の内面にも、その人なりの理由がある。それはなんだろうと考えることができれば、そういう人とよりよくつきあうための入り口になる。
相手にイヤなことを言われたりされたりしたとき、反射的に怒るのではなく、いや、反射的に怒るのはしょうがないとしても、しばらく時間をおいて自分の気持ちが静まってきたら、そういうところに目を向けてみる。いつまでも、自分の一時の情緒の高ぶりにとらわれて、相手が悪いと決めつけていては、解決の糸口はみつからない。
もちろんそれはメチャクチャ大変なことなので、誰彼かまわずそういう態度で挑むのはしんどすぎるわけだけど、家族とか、どうしてもつきあわなきゃいけない人とかの場合は、それを試みてみても良いんでないかなあ。
最終更新時間 2008年05月31日 07:34
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今回のエントリ、本当に言いたいことは言わず、寸止めしている気がします。なんとなく。もしかして近々本が出るのでしょうか?
投稿者 素数モロン : 2008年06月07日 17:37










