オレ様的超生命体論をふまえてもういちど野尻さんに答えます
間が開いちゃったけど、さて、そういうきちがいじみた超生命体論をふまえて、野尻さんの意見に答えます。
まず、ぼくと野尻さんの話がちょっとかみあわないのは、超生命体とはなにかというイメージの違いに起因するものじゃないかと思います。
> 私が20年のネット歴で培った活動指針は、古き良き?スタイルで、
> (1)見栄を張るな。自分の非はすぐ認めろ。
> (2)正直を貫け。ネタ以外で嘘をつくな。
> (3)隠し事をするな。見られて困るものはネットに置くな。
はすごくよくわかる。
ぼくも、日経MIXやPC-VANとか以来培ってきたネットでの行動原理は、基本的にそんな感じ。
こういう条件を満たせば、記名だろうが、匿名(無名)だろうが、とくに問題が起きることはないだろうし、行き違いが生じてもあんまり酷い事にはならないというのは、古くからネットをやってきたものなら誰でも感じる、共通の実感じゃないでしょうか。
ただ、この条件は、ある目的を持った、質の高い議論ができる場を作るために、必要なものなのだと思います。
野尻ボードのようなハイレベルの楽園を維持するには、厳格なルールを設定して、それをきびしく適用しないと、無礼者がすぐに現れて荒廃してしまう。せっかくの楽しい会話が、くだらないノイズでかき乱されてしまう。
だから、野尻さんは、野尻ボードという楽園管理者の立場から、匿名であることの価値を認めにくいのではないかと思います。
でも、2ちゃんねるはそうではない。
2ちゃんねるには、野尻ボードのような目的はない。
局所にはそれに近い場所もあるけど、ノイズのレベルは非常に高いし、最大でも1000の書き込みで次のスレッドに移動しなければならない、はかないもの。長期にわたってハイレベルを維持することは不可能だし、それを望む人もいない空間です。
前に文明は超生命体だと書いたけど、2ちゃんねるも同じ意味で超生命体です。
2ちゃんねると、2ちゃんねるに書き込んでいる人の関係は、文明と人間の関係、あるいはアリの巣とアリの関係と同じ。
一匹のアリは、たぶん自分のしたいこと、自分のできることをひたすらやっているだけなんだけど、総体としてのアリの巣は、一匹のアリよりも遙かに賢い振る舞いをする。
2ちゃんねるも、参加する人々はそれぞれの興味で、それぞれ好きなことを書いている。
だけど、しばしば誰も予期できなかった、全く新しい表現が生まれてくる。一人の人間を越えた何かが現れる、その創発的なところが、2ちゃんねるのおもしろさです。
野尻さんの書かれている、『そんなふうに上から目線で観察される材料になって、本人は悔しくないの?』というのは、たぶん、超生命体という考え方について、野尻さんとオレの間に合意ができていなかったから出て来た言葉でしょう。
そもそも、オレという一個人は、超生命体の細胞に過ぎないわけだから、上から目線も下から目線もないですし、『そういう人たちは自分が超生命体の部品扱いされて悔しくないんでしょうか。』という問いも、あなたは文明の一員だといわれているのと同じことで、悔しい思いをする理由はないと思います。
「よかれと思って2chでなにか教えると「なんだよ、上から目線で語りやがって」と反発されることがある」というのは、これとは全く別の問題じゃないかな。
まあ、人に何事かを教えようとするのは、実社会でも、ネットでも、一筋縄でいかない、なかなか難しい問題だなってことだと思います。
オレは、超生命体の振る舞いを、個の「意志」によって変えることは、ほとんど不可能ではないかと思っています。
人とは階層の違う知性なので、人間がソラリスの海やスパルタカスを理解したり、コントロールできないのと同じように、2ちゃんねるや文明の行く末を、個人の意志で制御することはまあほとんど不可能でしょう。少なくとも直接的には無理。
ただ、だからといって、野尻さんのいう
『そんなわけで「超生命体」は確かに興味深いけど、それを構成している「個」が虚のままなのは「文明は意志の力で前進しなければならない」という信念とはちょっと噛み合わないです。』
ということにもならないと感じています。
たとえば、2ちゃんねるから匿名性を排除してしまったら、2ちゃんねるにある創造性の非常に多くの部分が破壊されてしまうと思う。
それは逆に言えば、超生命体の性質は、それを構成するルールやポテンシャルのようなもので、変わりうるということです。
文明という超生命体に対しても、個の意志の直接的な反映としてどうこうすることはほとんど不可能なんだけど、ルールやポテンシャルに影響を与えることで、間接的にある程度の制御はできるかも知れないなと思います。
そうそう、個人のレベルでの匿名性、無名性のメリットについては、2001年に北海道新聞に書いているので、それも採録しておきます。
知っている人は多いと思うけれど、「2ちゃんねる」という、インターネット上の掲示板がある。『「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする巨大掲示板群』と銘打たれ、発言者は基本的に匿名で、書き込み内容にも強い制約はない。誹謗中傷も公人が対象ならOKだし、昨年5月に起きた西鉄バスジャック事件の犯人は、ここで「ネオむぎ茶」と名乗り、犯行40分前に「ヒヒヒヒヒ」と予告を残していた。
こういうできごとや、ルール無用の匿名掲示板であることから、2chを悪口や反社会的な書き込みが蔓延する場所と決めつけている人もいる。ところが、実際にここの書き込みを読むと、ある種の秩序が保たれていて、その内容も優秀なものが少なくない。
もちろん、ちょっとしたツッコミにすぐ切れて悪口を書き散らすようなケースもあるのだが、いろいろなテーマの掲示板を読んでいくと、政治、経済から、科学、技術まで専門性の高い正確な書き込みや、深い洞察力でうなずける意見もかなり多いのだ。
匿名なんだから、適当なデタラメを書いても良さそうなものだけれど、そうはならないことが多い。なぜなら、言論としていい加減なものは、確実に叩かれるからだ。
それを書き込んだ人は、匿名だから大きく傷つくことはない。これが実は非常に良い効果を持っているようだ。
まず、匿名故に、過去の発言から、あいつはこういういい加減な事を言うヤツだというような偏見が生まれない。
メールアドレスを公開させるようなところでは、一度ヘンな事を書くと、あいつはダメだという印象を持たれて、次にまともなことを書き込んでも、誰も取り合ってくれなくなりやすい。
ところが、2chでは匿名故に、ツメの甘い内容を書き込んで叩かれた人も、次回の書き込みが気楽にできる。
書き込みが評価されなかった人は、匿名とはいえ、自分のプライドは軽く傷つくだろう。その結果、その人は次に書き込むとき、もう少しきちんとしたことを書こうと努力する。つまり、これによって自分の意見をまとめたり、表現する技能が磨かれるのだ。
もちろん、そうではなく激しくグレて、悪口の達人になる人もいる。それはそれで、うまいと思うこともあるし、読みたくなければ無視できる。 匿名意見は信頼できないことはいうまでもない。つまり、その意見を評価するには自分の見識を磨く必要がある。
その自己責任の原則が徹底されているからこそ、2chはとても面白い対話の場なのだ
最終更新時間 2008年04月30日 20:04
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超生命体論に知的興味が沸くと共に、
「そんなふうに上から目線で観察される材料になって、本人は悔し
くないの?」
という意見には心情的に強く共感します。
ハリ・セルダンになんでも予想されてたまるかよ、と銀河帝国興亡史を途中で投げ出してしまったクチなので。
議論を横道に逸らしてしまってすいません。
投稿者 匿名の人 : 2008年05月01日 11:43
このエントリを見逃していて、コメントが遅れました。
文明を超生命体とみなす意義が、やっぱりよくわからないです。長年のマクロ経済学の取り組みをうっちゃって、超の字をかぶせた「わからないもの」にしてしまおうという姿勢にはむしろ反発を覚えるのですけど。
社会で働いている人はほとんどが記名で活動している。無名なだけで匿名ではない。学生だって授業は記名で受けている。結局、社会的に活動している人間は匿名ではいられない。そんな人たちの一部が、いわば夜の顔になって、匿名で2chを利用している。
したがって文明の大半は記名活動で成立しているのであって、一部にしかない匿名活動をことさら重視する気になれないです。
2chから生じる創発について整理してみますが、私はゼロ、正、負の区分で認識しています。サイン曲線のように上半分に正、下半分に負の領域があって、真ん中にゼロの線があるイメージです。ただし、各々のスレッドがこの三つのいずれかに分類できるのではなく、それぞれの区分の重ね合わせになります。
【ゼロの区分】
ゼロは線だから区分じゃないのですが、まあゼロ付近ということで。
2chの大部分は普通の掲示板です。いまや匿名発言がネットの常識なんだから、普通になるのが当たり前ですよね。ここには普通の社会があり、社会であるゆえに個を超えた創発が生じうる。
【正の区分】
ネガティブな響きを持つ「匿名」よりも「無私」と言いたい活動。そこから面白い創発が生じることはあるでしょう。
個人のエゴの集合体は経済学で扱えるけど、無私の協調行動はそうじゃないのかな? 近頃の経済学をなめたら痛い目にあうので仮定の話にしておきますが、もし経済学で扱えない創発活動だとしたら、「超生命体」という言い換えにも意味があるでしょうね。
【負の区分】
「2chぽい」といわれるスレッドは、実際には2chの標準からかなり離れたところにある。そこでの活動傾向の当人たちの快・不快に直結していて、人間性の中にあるケモノ性が表出してくる。匿名であることは知性や社会性のタガを外す道具として機能している。稀に社会問題を引き起こし、マスコミが2chの典型として叩くのはたいていこの区分です。
善悪はさておき、そこから面白い創発が生じることはあるでしょう。でもそれは、人間より高次にある超生命体というよりは、タガの外れた人間が群れているうちにもやもやと人間めいた複合体になっているというイメージです。
このうちゼロと正の区分は、負の区分ほど匿名性が重要ではないと考えています。負の区分が生み出す創発は、面白くはあるけど、そんなに称揚するもんじゃないかなあ、とも思っています。
そんなわけで、文明全体についても、2chについても、「匿名」はそんなに重要ではないというのが私の認識です。
鹿野さんが北海道新聞に書かれた、個人レベルでの匿名の長所については同意します。ただし、匿名は過渡期のもので、ネットリテラシーを身につけたら記名に移行してもいいのでは、と思います。
裏を取ったわけじゃありませんが、アメリカのネット社会は記名が普通だというし、それでも活発な創発があるように見えます。もし向こうのネット社会で鹿野さんの論を述べたら、どんな反応になるでしょうか。
投稿者 野尻抱介 : 2008年05月10日 17:08
とてもおもしろく読みました。
匿名掲示板におけるメリットが良く分かります。
匿名(または変名)による発言の機会は奪われてはならないものと思いますが、実際に実名で批判されてみるとなかなか厳しいものがあります(笑)。
第1点は「間違いをどう是正したらいいか」ということ。相手が誰だか分からないのだから連絡のしようがありません。こういう場合は自分も匿名で書き込んで修正していいのでしょうか?
それから、2点目として、「発言者が誰だか分からないと、言葉の解釈がとてもむずかしい」という点があります。発言者によって偏見があってはいけないという意見は、数学の論文などでは無条件にそうなのでしょう(建前として言葉の定義の完全合意が可能な分野ですね)。また、発言する人が勝手に発言し、読む人が勝手に感動したりしなかったりしてもいい分野(文芸などはそうかな。勝手に解釈することにも価値が認められる分野)でもそうなのでしょう。「月がきれいだ」と誰かが書き、「ああそうだな」とか「いやそうじゃないな」などと勝手に誰かが読むのは楽しいことです。
しかしながら、世の中のある種の出来事は、そのどちらでもなくて、誰が言っているかで言葉の意味が変わるように感じるのです。偏見ではなくて、前の論文から順に読んでいかないとコトバの意味が分からないという出来事としての署名の連続性が欲しいと匿名掲示板ではもどかしく感じます。
ボードの進行でゆるやかに言葉の意味が変わっていったりする様はまさに超生命体ですので、相手の提示した意味にこだわらずに発言者はどんどん言葉をねじっていっていいのだというルールなのでしたら気楽ですが、それでいいのでしょうか。それだと、多数の臣下を使えるプレイヤーは、匿名掲示板で言葉の意味を変えていくといったことが可能なような気がしますが、それも創造でしょうか? また、言葉が通じないといった印象を抱いたプレイヤーは去っていき、あるいは無視されて細かい言葉の定義の違うセルが生まれるような気がしますが、それはコトバの創造なのでしょうか? それともコトバの死なのでしょうか?
このあたりについてもご鹿野さんの意見を拝読したく存じます。
投稿者 近藤功司 : 2008年05月20日 09:23










