超生命体とは何か
前項までの2ちゃんねるやニコニコ動画の話をしたときに、「超生命体」という用語を使った。これはSF用語でもあるけど、オレ流のアレンジもあるので、それがどんなものか、きちんと説明しておこうと思う。(前に書いた気もするけど、たぶん、知らない人のほうが多いと思うし、ちょっと詳しい目にかいてみたいので)
まず、超生命体を描いた古典的な傑作といえば、スタニス・ワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』(早川書房版)または、『ソラリス』(国書刊行会版)だ。
この小説のSF的キモは、ソラリスの海が理解不能な知性体だってことだ。
惑星ソラリスにある「海」はひとかたまりの生命体なんだけど、それ以前のSFが描いてきた、話せば通じるような宇宙人とは全然違う。この発想はなかったぜって感じで、ものすごく画期的なものだった。
明らかに知的に振る舞い、人間に色々ちょっかいを出してくるし、その知的レベルは人間以上としか思えない部分も多々あるのに、全体として意味がわからない。お互いの規模があまりに違うため、双方のコミュニケーションが不可能なのね。
10代の頃にこの小説を読んだときは、そんな意味があるとは全く理解できなかった。でも、後にTRONプロジェクトで有名な東大の坂村健さんが、今は無き「科学朝日」という雑誌で連載した『電脳都市』というコラムでこの点を明らかにしていて、なるほどそうだったのかと思ったのね。
電脳都市では、超生命体の事例として、J・P・ホーガンの『未来の二つの顔』を取り上げている。この小説も、いまでは古典なのかな?、絶対に読んで損のない知能テーマSFの傑作だ。
この中で登場するコンピュータ・ネットワーク人工知能「スパルタクス」は、全世界にばらまかれている無数のセンサを感覚入力とし、ドローン呼ばれる一種の作業用ロボットを手足のように使うことができる。
これも存在としての規模が、人間とあまりにも違うので、人間的な意思の疎通は全くできない。そして、人間はスパルタカスと、果たして折り合いをつけて共存できるかどうかが、あるスペースコロニーの中で実験されることになる。
さて、それでオレ流のアレンジだけど、このような超生命体は、決してSFではなく、現実に存在しているのだというのがポイントなのね。
たとえばアリの中には、ハキリアリのようにキノコを栽培する(農耕)のがいたり、アリマキを飼育する(牧畜)ような、知的な振る舞いをするものが珍しくない。これらのアリは、何となく試行錯誤でそういう行動を行っているわけではなくて、どうみてもシステマチックな管理に基づいて、行動しているように見える。
でも、一匹のアリが持つ神経回路、知能の規模を考えると、これほど複雑な事ができるのは、不思議としか言いようがない。こんな単純な存在に、なぜこれほどのことができるのだろう。
その秘密は、アリの知性を一匹の存在レベルで見ずに、巣を単位として見てみると理解できると思う。アリは、アリどうしが、匂いなどの化学物質でコミュニケーションをしあって、全体がネットワークを構成している。そのネットワークという観点から見ると、実はかなり高度な知性を持てるんじゃないか。
考えてみると、一人の人間の肉体も無数の細胞から構成されていて、それらがホルモンなどの化学物質や神経によってコミュニケーションを行い、ネットワーク化されて、今のような存在になっている。
アリの場合、物理的には繋がっていないかも知れないけれど、巣という単位で見ると、実質的に、人とかも含む動物に匹敵する複雑さがあるんじゃないか。
それこそが、アリの高度な振る舞いの秘密ではないか。
翻って、我々人類はどうだろうか。
まず、身の回りを見渡してみて欲しい。そこには無数の人工物があるはずだ。
そのありとあらゆる人工物は、どれ一つとして、自分一人でゼロから作り出すことはできない。それは、携帯電話とかコンピュータのような複雑な電子装置だけでなくて、割り箸でも机でも舗装道路でもビルでもなんでもそうだ。
割り箸くらい、木を取ってきて切ってやれば作れるよと思うかも知れないけど、そうじゃない。どんな木を使ったらいいのか、生木じゃダメなのは明らかだけど、どうしたらああいう乾燥した状態にできるか、そのための道具、のこぎりやナイフは一体どうやって作るのか。道具を作るための金属はどこから取ってきて、どのように加工するのか……なんて考えはじめると、実際にはムリだとわかる。
その全貌を、一人の人間が全て把握できるかというと、まあ実質的に不可能だ。また、知識として把握できたとしても、それを一人で現実に形にすること(鉱石を採ってきて製錬して加工してなどのプロセス)は全く不可能だ。こういうと、ムキになってやり遂げる人が出てくるかも知れないけど、それに一生を捧げるくらいの努力をしないと、割り箸一本作れないんじゃないかな。
つまり、僕たちの身の回りに存在するありとあらゆる人工物は、一個の人間の知性と能力を遙かに超えた存在なのね。
これらのものは、ちっぽけな人間の知性や能力では、決して作れるはずのないもの。普段は気づかないかも知れないけれど、ぼくたちは、そういう無数の奇跡に取り囲まれながら、生活しているわけだ。
なぜそんな奇跡が起きているのか。それは、アリとアリの巣の関係と同じように実現されているのだろう。一個の人間は極めて単純で取るに足りないもののように見えるけど、文明という集団で見ると、遙かに高度に知的な振る舞いが起きている。
このことを、ぼくは、文明という超生命体現象だと考えている。
そして、現代文明という超生命体は、歴史上、いまだかつて無いレベルに高度化していて、かけがえのないものだと思う。さらに今という時代は、この文明超生命体が、宇宙へ産まれ出でることができるかどうかの境目にきている。
この地球で、文明という超生命体は、歴史的に勃興と衰滅を繰り返してきた。
その基本パターンは、新たに創発された能力によって、手近にあるエネルギー資源をがんがん摂取して巨大化していくけど、やがて手近な環境を汚染し、その文明が持つ能力で摂取できるエネルギー・資源を取り尽くして、自壊していくというもの。
たとえば、かつては肥沃な三角地帯といわれ、文明超生命体が栄華を誇った場所は、いまでは砂漠地帯として知られている。それは文明生命体が一時の栄華を誇って、やがて滅んでいった傷跡だ。
(まあ、この環境破壊の責任の全てが、文明超生命体にあるわけでもないと思うけどね。文明超生命体の振る舞いとは無関係に、地球全体の気候変動の影響のほうが大きいのかもしれない)
この轍を、現代文明生命体には踏ませたくない。と、オレは思っている。
なぜなら、宇宙へと産まれ出でられるレベルにまで達した超生命体は、現代文明が最初であり、おそらく最後だからだ。宇宙へ出られるチャンスは一回こっきりなのね。
すでに現代文明を駆動しているエネルギー資源は、高度な技術がなければ得られなくなっている。
現代文明超生命体を養っている最も大きな「栄養素」は石油だ。
石油は液体で取り扱いが便利だし、輸送も楽。石炭ほど不純物がないので低コストで安全に利用できる。さらにプラスチックなど、現代文明を支える重要な物質の原料でもある。
ところが石油はすでに、掘れば自噴してくるようなものは取り尽くされていて、深い地の底から高度なテクノロジーを使って絞り出さなければ、採ることができなくなっている。そのテクノロジーは、今も年を追うごとに高度化されていて、その進歩なしには必要な採掘量を満たすことはできなくなっている。
だから、現代文明が維持される限り、石油の枯渇はなかなかおきないだろうけど、文明が崩壊してしまったら話は別だ。いったん石油採掘の高度なテクノロジーが失われたら、同じハイレベルの技術を復活させることは、後の文明には不可能なのね。
高いところに上がるためのはしごが無くなっちゃって、だけどはしごを作るのに必要な材料は高いところにしかないという状態になってしまう。
エネルギーというだけなら、石炭はまだ、比較的ローテクでも、無尽蔵といっても良いくらい存在する。でも、石炭には硫黄などの不純物がものすごく多くて、クリーンに使おうとすると、今でさえかなり難しい。
輸送もしにくいし、プラスチックの原料にもならない。高度な技術を用いれば、液化したりプラスチック化することもできるけど、それは今か、今以上の文明レベルでなければできないので、いったん現代文明が崩壊した後、そのレベルにたどり着くのは至難の業だと思う。
一方で、現代文明は一歩間違うと自壊しかねないほど、爛熟しきっているように思える。これからの50年~100年の判断が、文明超生命体の先行きを決定づけると思う。
最悪のシナリオは、現代文明が宇宙へ産まれ出る選択をしないことだ。胎児である現代文明が、流産してしまうことだ。
これからの時代、環境変動がもとで、大規模な農産物の不作が繰り返し起きるようになるだろう。その対策を誤ると、国家間の紛争や国内の政情不安定が頻発するようになる。そして、破壊や暴動によって、現代文明を支えているキーテクノロジーの数々が、少しずつだろうけど、取り返しの付かない形で失われていく。超生命体を構成していた細胞や臓器が、ぐずぐずと崩れ去っていく。
その結果、現代文明超生命体は、宇宙へ産まれ出るチャンスを失い、流産する。そのとき人類はどうなるだろうか。
人類は滅びない。まあ、数百年くらいの間はひどい戦乱にまみれて、人口が10億人くらいにまで減るだろうけど、その後は、昔ながらのそれなりの生活に戻るだろう。あちこちで小規模な文明生命体が生まれては滅びる、人類史的な意味での日常の姿に戻るだけだ。
原爆・水爆とかも多少は使って、汚染地帯とかもできたりするだろうけど、そんなのは人類史的な観点からすると小さな話だ。メンテされない原水爆は数百年もすればほとんど使えなくなるし、汚染地帯だってその時代の人々は平気で住むようになる。要は慣れだ。実際、チェルノブイリは今、人が入ってこないので、野生動物のサンクチャリになっているしね。
そこに生きる一個の人間たちは、今の僕たちと全く同じように、喜びも哀しみも怒りも楽しみも同じように感じながら人生を生きていくはずだ。まあ、人類がかつて神のごとき力と栄華を誇っていたことを、懐かしく、もの悲しく思い出すことはあるかも知れないけれど。
そしていつか、かつて恐竜を滅ぼした、地球にとってはごま粒みたい隕石の衝突とかのつまらないことで、あっさりと滅んでしまうのだろう。
SF的な物の見方をしない人なら、まあそれで良いじゃんって思うかもしれない。でも、オレは根がSFなので、ここまで奇跡的に育った、現代文明超生命体を殺してしまうのは、あまりにもったいない感じがするんだよ。
現代文明がこれほどの力をもつことができているのは、究極的には人口が多いからだ。人口が多い故に、宇宙に達することが可能で、同時に環境問題も引き起こしている。
そしてこれほど人口が増えられたのは、ハーバー法の発明によって、空気中の窒素を有機物に変えられるようになったから。それが農業生産を上げている最も大きな要素で、緑の革命とかの品種改良も、それがあったから力を発揮したわけね。つまり現代人のたぶん8割くらいは、石油をエネルギーに、空気から変換されて生まれている。だから、石油があまり使えなくなれば、その数は自ずと減っていき、二度と増えることはない。
現代文明超生命体が宇宙に生まれ出でて、地球との臍の緒が切れれば、つまり宇宙にある資源だけで増殖、再生産できるようになれば、今考えられるどんな宇宙的な災厄にも耐えられるだろう。まあ、その宇宙文明生命体を構成する細胞は、もはや人類ではなく、人類とはかなり姿が変わった、人類の子孫たちだろうけどね。
最終更新時間 2008年03月31日 19:51
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ハーバー法とかスパンと出てきちゃうのがさすが鹿野さんって感じですが、でも原子力とかあるから大丈夫なんじゃない?って思っちゃいました。
原子力発電所でバンバンエネルギー生産して、核廃棄物なんて太陽に向けて放り投げるくらいのことしたら宇宙なんてあっという間に進出できちゃうような気がするんですが、そういう乱暴な発想は駄目でしょうか?
投稿者 Take4 : 2008年04月16日 10:43










