明後日の男
野尻さんや木全さんのご意見とも関係するけど、この記事が凄く面白い。
ひろゆきさんとは、いうまでもなく2ちゃんねるやニコニコ動画の管理人さんだけど、彼はニコニコ動画の未来についてこんなことを言っている。
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「高画質化とか動画広告の挿入とか、動画ビジネスの“明日”はYouTubeやDailymotionとか他サービスに任せて、ニコニコ動画はあさっての方向を目指す」
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すばらしい。
日本では、なぜグーグルの創設者や、アップルのスティーブ・ジョブスのような凄い才能が産まれないのか、なんて話を聞くけど、ちゃんといるじゃん。ひろゆきさんは、まさにそれに匹敵する凄い才能の持ち主だよ。
ところが、日本では、わりとものがわかっている人でも、彼のことを犯罪者というか、捕まっていないホリエモンみたいなものとしか思っていないのねん。
2ちゃんねるや、ニコニコ動画は、これまでになかったものすごい創造空間だ。
人々が様々に交流しあって創り出している多様な作品群は、誰の予想をも超えているかんじ。
まさしく超生命体の活動だと思う。
前エントリのコメントで、木全さんが、企業内のデザイナーは、昔からずっと匿名でお互いに協力し合って創作してきたと書いていらして、それは非常に面白い指摘だと思う。(匿名性と言うより無名性といったほうがしっくりくるかもだけど)
でも、2ちゃんねるやニコニコ動画は、ほとんど見知らぬ人たちが、企業的な方向付けもないのに、お互いに協力し合って、クリエイティブな作業に嬉々として取り組み、そしてすごい作品が生まれている。それは企業内のクリエイティビティとは根本的に違う、全く新しい動きだと思う。
なんでこんなことが起きるのだろう。
ソフトウェアってのは、これまで、なるべく人に頼らず、自分でなんでもできるようになりたいっていう方向付けて作られてきたフシがある。
その結果、人々は、いちいち協力しなくてもかなりのことができるようになった。
でも、副作用として、ばらばらに分断され、一人あたりの作業量も大変になった。
それは、西洋の持つ個人主義的なモチベーションが、無意識に反映された結果じゃないかと思う。
でも、2ちゃんねるやニコ動は、それとは違う、人と人とを結びつけることを指向する、東洋的なモチベーションを持っている。
だから、2ちゃんねるやニコ動からは、あれほどクリエイティビティがある動きが出てくるんだと思う。
ニコニコ動画を初めて見たとき、同じ映像を見てみんながコメントを付けて盛り上がるのは、ロッキー・ホラーショーみたいな感覚だなって思った。擬似的ではあるけど、他人と同じものを見て盛り上がる一体感は、凄く面白い。そして、擬似的な一体感を経由して、多くの人たちが、これまで忘れていた協力し合うことを再発見しているんじゃないかな。
そういうことが起きるには、匿名性(無名性)を確保したり、過度に厳しい著作権の縛りを無視することは、絶対に必要なことなのだと思う。
それは、お行儀のいい人たちからすれば、無法であり違法であるには違いないのだけれど。でも、法とは本来、硬直的なものであってはならないわけで、こういう新しい存在に応じて、柔軟に変えていこうという考え方のほうがぼくは好きだな。
あと、そんなのLinuxコミュニティとかでは昔からあったよって思う人もいるかもしれない。たしかにそれと似ている部分はあるとおもうけど、やっぱり2ちゃんねるやニコニコ動画は、これからどんなふうに成長していくか予想できない、全く独創的なものというほうが正しいような気がする。
日本人はどういうわけか、日本人の独創性を無視しがちなところがある。
それに、ひろゆきさんはしばしば挑戦的な言動というか、悪ぶる感じでいろいろな発言をするから、快く思わない人がいるのは、まあしょうがない。
でも、人々を分断する方向を向いていたこれまでにソフトウェアとは違った、人々を結びつける方向のソフトウェアの可能性を示している功績は、ものすごく大きいと思うんだよね。
最終更新時間 2008年03月06日 11:54
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やりとりとしてはこれで終わりですか? だとすると、全然かみあわなかったような(^^;
投稿者 野尻抱介 : 2008年03月10日 21:09
まだまだ続くよ-。でもちょっと待ってね。
投稿者 鹿野 司 : 2008年03月10日 22:07
やはり、2ちゃんねるの将来と企業内の製品開発の将来を同列に語るのは無理があるなあと思いつつ、この議論に参加していいものかどうか、ちょっと悩んだのですが、二人の議論を読んでいて、私が問題にしていたのが「無名性(匿名性)」と「創造性」の関係だと気がついたので、また、参加しちゃいます。
鹿野さんが「2ちゃんねるやニコニコ動画は、ほとんど見知らぬ人たちが、企業的な方向付けもないのに、お互いに協力し合って、クリエイティブな作業に嬉々として取り組み、そしてすごい作品が生まれている。それは企業内のクリエイティビティとは根本的に違う、全く新しい動きだと思う。」と書いていますが、それは本当でしょうか?炊飯器やテレビやビデオやウォークマンやiPodを開発する企業内のクリエイティビティは、凄くわかりやすい。それこそ、クリエイティビティだと思います。では、それと根本的に違う2ちゃんねるやニコ動にあるクリエイティビティってなんなのでしょう?
揚げ足を取るつもりは全くないのですが、「2ちゃんねるのキモだと思っているのは、ほとんど生産性のないようなもの、たとえばひたすら(*´・ω・)(・ω・`*)ネー って書き込み続けるスレみたいなのなので、余計にそうだと思う。なんだか知らないけどほっとするんだよね。」と言う世界にクリエイティビティは有り得るのでしょうか?
昔、無名だからこそ創造性の神様が下りてくると唱えた日本人がいました。日本民藝館を設立した柳宗悦です。無名の職人達が、毎日同じものを作り続けていくうちに伝統が生まれ、伝統が真の創造性を生む。それが「民藝」だというわけです。確かに、日本民藝館に収蔵されている民藝品は、不思議な格式の高さを感じさせます。
でも、民芸品にもピンからキリまであって、田舎に行くとどこでも得体の知れない民芸品が売られていたりしますが、それらの粗製乱造品と民藝館のものとは全く違う。現在では残念ながら、眼力のある観賞家にしか本物の民藝は観賞できないという状況になっています。
柳宗悦の思想は、どちらかと言うと、宗教的な背景が大きく、無名の市井の人たちが、真面目にモノを作って、真面目に生きていけば必ず救われるのだという浄土宗や真宗ような思想なので、粗製乱造の民芸品はもともと眼中にないのですが、粗製乱造まで含めて工業製品だと考えると、「無名だからこそ創造性の神様が下りてくる」というのは、論理が逆で「無名でも創造性を発揮することがたまにある」という結果になっているように思えます。
鹿野さんの言う「2ちゃんねるやニコ動は、それとは違う、人と人とを結びつけることを指向する、東洋的なモチベーションを持っている。だから、2ちゃんねるやニコ動からは、あれほどクリエイティビティがある動きが出てくるんだと思う。」というのは、柳の考え方に少し似ているように感じます。ある意味、理想主義に過ぎるような。もしかすると、2ちゃんねるやニコ動のクリエイティビティも眼力のある人にしかわからないかもしれない。。。。
前回、2ちゃんねると企業内の製品開発が似ていると書きましたが、付け加えると、野尻さんのいう「一日3スレッド消費するVOCALOID本スレなどは、進行速度に応じて柔軟に規範を変え、話題を交通整理しています。そういう誇るべきものに携わりながら、名前を明かそうとしない。この過剰な奥ゆかしさも私には理解できないんだなあ(^^;。」というのは、「日本人の美徳」やムラ社会を持ち出すまでもなく、そのまま企業人のメンタリティと言い換えて全く問題ないと思います。日本だけでなく海外だって、企業内ではみんなそうやって仕事をしています。
冗談ではなくて、私は「2ちゃんねる」が「超生命体」なら、「企業」だって「超生命体」になりうるんじゃないかと思います。グーグルなんてそういう新しい会社なんじゃないでしょうか?そして、たぶん、その場合には、企業のほうがクリエイティビティの効率・生産性が高そうです。
では、そういうクリエイティビティが人々の幸せに結びつくのか?鹿野さんの言う「人々を結びつける方向のソフトウェア」って、工業デザインが目指しているものに限りなく近いのですが、そのようなものは、企業の論理の中からは出てこないものなのでしょうか?そこに、個人のリテラシーはどうからむのか?(なんか、設問の立て方が独りよがりすぎるような気もしつつ。。。)
投稿者 木全賢 : 2008年03月11日 01:54
2ch やニコ動の匿名性のメリットは肩肘を張らずに
参加出来るという点だと思うのですが。それじゃ簡単
過ぎますかねぇ…
投稿者 *namu* : 2008年03月12日 15:16
>>*namu*さん
結局そういうことなんじゃないかと思います、僕も。
記名に比べて、匿名であることにはある種の「お気軽さ」があって、それが膨大なコンテンツを生み出す流動力を生む。生み出すというよりは出てくるままに垂れ流してるわけですが。
そうしたコンテンツのほとんどはあまり価値のないものなんですが、ときおりタイプライター猿のように、確率的に価値あるものを生み出すんじゃないかと。
猿と違うのは、各住人には幾ばくかの創造力があるところで、それは相互に反応しあったりして、価値を生み出す確率を無視できないところまで押し上げる。
まさに「無名でも創造性を発揮することがたまにある」って理屈なんですけど、その「たまに」という機会が無名で(かつ、ネットであることも重要でしょう)あることから膨大な量にふくれあがり、結果として現実にも発揮されてるんじゃないでしょうか。
投稿者 teru : 2008年03月24日 02:44
何度もすいません。無名性と創造性の問題、少しだけ見えてきました。創造性といったときに作り手側のことしか考えてませんでした。評価する側の創造性もありますよね。「これ、すごいじゃん」って気がつけるかどうか、それも創造力だ(と思う)。
美術やデザインの歴史もその繰り返しで、岡本太郎が縄文土器を見て「これ、すごいじゃん」って言わなきゃ、誰もそのすごさに気づかなかったし、柳田國男がいなければ遠野の民話は消えてなくなっていたかもしれない。
今までそういう再発見は、発信力のある個人に頼っていたけれど、ネットの中には、大勢の無名の批評家たちによる再発見の機構が生まれていて、その再発見の創造性が今までと違うし、企業とも違うのかも。
企業の物差しは、売り上げだけだからなあ。
namuさんの言う「匿名性のメリットは肩肘を張らずに参加出来る」の「参加」は、作り手というよりは「批評家」としての参加であり、肩肘張らない批評精神が発揮できる場がネットだったということかも。
大勢の無名の批評家たちがいることが、個人の創造性にドライブをかけるということかな。
大勢の肩肘張らない批評精神によって、個人的な思い込みや思想を離れたところで、大多数の総意として意外と客観的でなおかつ新しい視点の批評が成り立つところにあるのじゃないのかな?
作り手と受け手の双方の無名性が創造性をはぐくむということか?
うーん、そういわれれば、最近の製品デザインはあまりに寿命が短くて、批評される前に市場から消えていってしまう。批評にさらされる余裕すらないことが、製品デザインの問題点なのかなあ?
(いつも長くてすいません)
投稿者 木全賢 : 2008年03月26日 17:00










