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2008/02/28

おなかにありがとうとか書いておけば羊水はきれいになるかも

 もうだいぶ経ったからみんなもう忘れちゃっていると思うし(とはいえ今月の話なのねん)、タレントの人のこととかはあまり知らないので、スルーしとこうと思ったけど、やっぱりちょっと気になるので覚え書きとして書いとく。

 気さくな人柄で人気の倖田來未さんが、ラジオで何気なくしゃべったガールズ・トークがえらいことになっちゃったようだ。ネット発(なのかな?)で批判が爆発的に広まり、化粧品広告サイトなどからは彼女の仕事は全て削除され、報道番組で謝罪会見が行われたけど、その謝り方がよろしくないと、なお世間の批判は続いていた。

 まあ、リアルタイムで話題を追跡はしていなかったけど、ようつべやネットを使えば、後からだいたい把握できる便利な世の中やね。

 倖田さんの名前は、以前『水からの伝言』というトンデモな話を世間に吹聴する困った人と言うことで、聞いたことがあった。

 ちなみに、水からの伝言とは、水の容器にきれいな言葉を貼り付けて氷らせると、きれいな結晶の氷ができるというお話。分別を持った大人なら、本気で信じるわけの無い稚拙なファンタジーに過ぎないんだけど、思いのほか世間に受け入れられ、教師がこれを教材に使ったりしたこともあって、こういう話が社会に広がると、世の中が悪くなるんだよと、心ある人たちが批判をしていたのだった。もともとこれ言い始めた人が、オカルトサギ商法の人だしね。

 まあ、それはともかく、今回の発言で世間が問題にしている論点は二つ。

 一つは、その言葉でどれだけ傷つく人がいると思っているんだ!という情緒的なもの。

 もう一つは、このような科学的に根拠のない話がふれ回るられ、世間に広がると、それによって差別が起きたり、医学的な合理性のない不安が作りだされて、オカルト療法などの素地になるという理性的なもの。

 倖田さんのしゃべり方を聞くと、あれは明らかに、親しい仲間たちとの親交を深めるためのガールズトークの中で語られたものだ。

 誰でもそうだと思うけど、日常会話の76.3パーセントは大して根拠のない話だ。この文章もたいして根拠はないけどね。数字を半端にするともっともらしくなるけど( ・∀・ )

 うろ覚えだったり、適当に作ったり、なんだかいい加減なことを語り合うのが、日常会話なのね。その意味で、倖田さんの言葉は、誰でもやっているようなもの、特に目立って罪深いものではない。

 このことをわかっている人もたくさんいて、でも、なお、倖田さんの言葉は良くないのだと言いつのる人も多い。

 普通の会話ならいいけど、影響力の大きい人が、ああいうことを言うのはまずいんだよ。想像力があれば、ああいうことをメディアで言ってはならないことはわかるだろう。とかね。

 まあ、それはその通りであるのだけど。

 ただ、人は誰も、オレもそうだけど(オレは特に、か)、想像力なんてたいしてないんでないの。いつでも完璧であれというのは、非人間的な要求なんでないの。

 今回の騒動の印象は、森首相の時と同じかんじ。
 気さくさと、うかつさは、連動するのだろう。
 気さくな人は、その気さくさ故に、ある文脈の中ではたいして罪のない、うかつなことをしゃべる。その言葉が、文脈から切り離されて伝えられたとき、世間は猛り狂う。

 世間がそういう淘汰圧をかけ続けると、公に発言できるのは、言を左右して決して誤りを認めない、木っ端役人みたいな人ばかりになってしまう。

 まあ、お笑いの人とかなら、同じことを言ってもたぶん批判されたりはしないんだろうけど。

 この問題で語られている批判は、どれももっともらしくて、否定しづらい。そのもっともらしさは、ネットの炎上やこういった舌禍事件が繰り返されるたびに、とぎすまされてきている。

 つまり、失言をした人をよってたかって粉砕し、その擁護者をも沈黙させる、強力な言語武器が鍛え上げられてきている。その武器は、やがて全ての人を抑圧する、人間疎外の道具として使われることになるんじゃないかな。つーか、もうなっているのか。

 ちび黒サンボを発禁にさせるような、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)ほど嫌なものはない。明らかに正当性は欠いた主張なのに、それに正面から反対すると、その反対者が悪者にされちゃうような、屈折した形の正義の主張。

 著作権を非親告罪化する動きとか、最近では、児童ポルノ単純所持を、犯罪にしようという動きとかもそれにあたる。
(http://picnic.to/~ami/repo/youbousyo.htm とか)

 ある人の小さな過ちを、多数がよってたかって責め立てるのは、ポリティカル・コレクトネスの、日本的な現れのようにも思える。

 キリストなら、罪無き者から石を投げよとか言うだろうけど、現代のすれっからしな人々は、その言葉の重みに恥ずかしさを感じることもなく、びゅんびゅん石を投げるだろう。でも、その石は回り回って自分に当たる。情けは人のためならず。

 あの言葉は人を傷つけたという情緒的な批判に関して、凄くぶっちゃけていうと、あのていどの言葉で、自分は傷ついたと触れ回ったり、それをいつまでも蒸し返すような人は、人間として未熟としか言いようがない。

 誤った知識が世界に広まるのことに懸念をもつ理性的な批判には、人はそもそも、いい加減な言葉と知識の嵐の中で、サバイバルしているのだと言いたい。
 もちろん、目立つものを叩くという戦略はありえるのだけど、その事によるメリットと、よってたかって失言した人を叩く風潮に乗ってしまうことのデメリットを、少し落ち着いて考えてみても良いのではないだろうか。

眠くてぐだぐだになってきたのでここまで。

最終更新時間 2008年02月28日 13:49

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