wisdom Business Leaders Square
ビジネスに役立つ「次の一手」をあなたに
ビジネス用語辞典 Wisdomブログ

経営戦略 成功ストーリー マネジメント ビジネススキル ITトレンド IT講座 マーケティング ちょっと一息

2008/02/29

無名の世界

 前のエントリーにも書いたけど、世の中に匿名の掲示板を批判する人は多い。
 でも、それは匿名性のもつ害にばかり目がいっていて、その重要性やすばらしさを認識できていないからなんだと思う。

 匿名というと、自分の名前を知られたくないという、積極的というか、意識的な使い方のことをイメージするように思う。そして、名を隠すのは、後ろめたいことをするつもりなのだろうというわけね。

 でも、現実にはそれと違った、無名的な行為もそこに含まれている。

 そして、匿名と無名は、ネット掲示板ではきれいに切り分けることはできない。

 匿名(無名)じゃなければ意味がないもの、匿名(無名)だから輝くもってのがあると思う。

 実際、僕たちの実生活のほとんどは、匿名(無名)の存在としての行為で成り立っている。

 コンビニに入るとき、後から来る人のためにちょっとだけ扉を長く開けておいてあげるみたいな行為は、名乗るようなものではない匿名(無名)の行為。

 そんな些細ではかない匿名(無名)行為ってのが、人生を満たしているわけさ。

 で、2ちゃんとかはそういう匿名だから可能になる、匿名でなければ意味がない行為が様々に展開されていると思うのね。しかも、それは、実生活ではたぶん不可能な形のものにまで拡張されている。

 みんなで延々冗談を言い続けるスレとか、全く知らない人同士が突発的にボケツッコミやったり、困っている人には意外と優しくしてあげたりするところがあったりね。

 電車男みたいな作品形態の出現とか、ミクミクダンスみたいなのも、やっぱり匿名(無名)というか、作者は仮の名前を一時的に持ちはするけど、その作品のすばらしさをたたえつつ、ある意味で一緒になって作品を作っていくオーディエンスたちは匿名(無名)なことがほとんどだし、匿名(無名)だからこそ輝いているようにも思う。

 それらの匿名性(無名性)が放つすばらしさに比べたら、匿名性(無名性)の害など小さな事だとおもうのね。

 2ちゃんねるが面白いのは、完全な匿名と、1日間だけ(夜の12時を越えるまで)有効な記号が割り振られる場合と、その書き込みが確かに自分だと示せる署名の機能があることだ。

 この、自分の匿名性(無名性)のレベルを、自由に変えられることが、2ちゃんねるの豊かさを産み出している秘密の一つじゃないのかな。


 匿名性という言葉に含まれる無名性は、それだけで大きな価値がある。

 また、あえて名前を隠してなにかを言いたいという匿名の行為というのも、利点は多々ある。

 匿名の行為が暴走してしまうのは、正義をきどって、というか正義という言い訳のもと、誰かや何かを攻撃するときに、ほとんど限られるんじゃないだろうか。

 わるものがいるぞ、わるものをやっつけるなら何やってもかまわないぞ、あるいは、これを知らせるのは良いことだぞ、そのためには手段は何使ってもいいぞ、という雰囲気が醸成されると、歯止めがなくなり酷いことが起きる。

 こういうことは、あってはならない。
 炎上的な現象は、なんとか防がなければと、なるべく多くの人が意識して考え続けて欲しいことだ。

 それは、誰か他の人が悪いから起きる現象じゃない。本質的には、自分自身の問題なのね。

 自分が何を信じるのか、信じたものは果たして正しかったのか、安易に知らない人の攻撃をしていないかといったことは、自分が肝に銘じていつも考えているべきことだ。他人が自分に比べて愚かだと思う決めつけほど愚かなことはない。

 メディアリテラシーとして、誰もがこの意識を持って欲しいと思う。

 なぜなら、それはネットに限らず、非常に普遍的な現象だから。

 戦争へ向かうときの雪崩を打ったような世論の集中や、メディアスクラムによる被害者への迷惑とえん罪を産み出すミスリーディング、産婦人科医や小児科医がいなくなり救急病院でたらい回しが起きる医療崩壊、環境対策のあやまった方向付け、などなど、この世で起きるイヤンな事の非常に多くが、この現象と深く関係している。

 これは匿名性の害が強く出ているものといえる。

 とくにマスメディアで、ある記事を書く人の名前が匿名であったり、観測筋の情報とか、自民党幹部はこういっていたとかいう、情報源の存在そのものが本当かどうかわからないような匿名性が、ひどい炎上の着火の原因になることが多いように思う。

 でも、だからといって、記事の全てを記名にし、情報源をすべて明かしては、価値のある記事を書くことも非常に難しくなることは明らかだ。

 マスメディアから出てくる情報の多くは、そう悪いものではないし、すばらしいものも少なくない。酷いことを引き起こす情報は、全体の一部にすぎない。

 マスメディアはダメだという決めつけは、2ちゃんねるはダメだという決めつけと、全く同じ言い方で、真実をついてはいないと思う。

 マスメディアも2ちゃんねるも、すばらしいものなのだ。
 もちろんそこには見過ごせない瑕疵はある。
 だから、それは何とかしないといけないねって、いつもみんなが心にとめて、悪い方向に雪崩をうつことがないようように、行動し続けて欲しいと思う。

 でも、多くの人はすぐに忘れちゃうからもう一度いうけど、それは基本的にすばらしいものなのね。
 悪い部分は、ごく一部なんだよね。

最終更新時間 20:20 | コメント (2) | トラックバック

2008/02/28

イージス・ハンソン

事故から何日も経っているのに、このだじゃれを誰も言わないとは何事か。
絶望した。半村良にあやまれ。

ジャーナリストの田岡俊次さんが、そもそもなんで護衛艦に自動航法装置をつけるのか、といっていた。
なるほど。
護衛艦は、その性質上、そもそも単独行動することはほとんど無いはず。
自動航法装置の出番は基本的にはないはずで、また自動航法装置に頼ると、監視員とかもすることが無くなってかえって眠くなっちゃう。

田岡俊次さんは、なんだかなあと言うことも言う人ではあるが、なるほどあということも言う人。

今回の事件でオレが気になっているのは文民統制のことと、メディアスクラムによる批判の矛先の錯誤のこと。

メディアスクラムによる批判の矛先の錯誤とは、まあずっとまえから常に起きていて、ちゅうごくしょくひんこわいよって話もそれに属するし、倖田來未さんの話もそのバリエーション。

みんな、実情をたいして知りもしないのに、ほんとうはどうなのか調べようともせず、なんだか知らないけど腹を立てて、あらぬ方向を攻撃しまくるのが最近の風潮。

そういう傾向があると、炎上マーケティング的な手法でイヤンな人たちにイヤンな方向へ自由にコントロールされちゃうよ。ですからみなさん、腹を立てる前に、10数えて欲しい。
それと怒りっぽい人は、傷の治りも悪いみたいよ。

今回の報道でずっといわれていて気になるのは、情報が二転三転しているのは、防衛省は何かを隠そうとしているのだろうということと、大きな軍艦だから、そこのけそこのけと漁船にたいして傍若無人に振る舞ったのだろうという勘ぐり。

 ニュースを見ていると23日くらいから少しずつ言われはじめているけど、あたごはいまのところ海上保安庁によって取り調べられていて、全乗員が船の中に止められていて外部との連絡も取れない状況にある。

つまり防衛省は、どんなことがおきたか隊員に直接聞いて事情を把握することもできていない。情報がないのだから、防衛省からの発表が煮え切らないのは当然なわけね。

また、レーダー記録やGPSなど様々な装備のもとにこんなデータならあるはずだってなことすらなかなかいわないのは、軍がこれはあるはずだという事が、海上保安庁へのプレッシャーになることもあるから。

自衛隊はあんまりこわい感じしないから、ぴんとこない人もいるかもだけど、戦前の軍であれば、軍が何かを言えばそれは相当な力を持っていた。だから、そんなむかしのようなイメージの存在と解釈されることのないように、かなり抑制的になっているわけね。

だから、いま新聞やニュースに出て来ている内容は、防衛省の発表、海上保安庁の発表、海上保安庁に張り付いている記者が得た断片的な内容、識者の想像などで、それぞれには客観的な事実もあれば、見当違いの勘ぐりも含まれている。受け手は、そのあたりをよく吟味して見ていかないと。

(と、思っていたら、そうじゃなかったことが明るみに。24日の朝のNHKの番組で、石破さんは、今の時点であたごの乗組員とは一切接触していないと言い切ってたけど、実は事故当日にへりで呼びつけた航海長に直接会っていた。こりゃだめだ。明白に、国民に向かってウソをついたんだな。しかし、そんなことしても、誰にも何利益気もないのにね。不思議なことだ。)

あと、自衛隊は、憲法によって軍法会議ができないと規定されている、情報が得られずこんなことになっていると言う側面がある。

でも、これは良いことだと思う。それは文民統制にかなっている。

これも田岡さんの主張だけど、現代の軍に軍法会議は必要ない。また軍法会議が存在すると、軍内部の腐敗が隠蔽されてろくな事にならない。

軍法会議は、今みたいに交通も情報通信も発達していない大昔に、遠方の戦地において軍人が犯した犯罪を、いちいち本国に送り返して裁いていられないところからできた物らしい。

でも、現代においては、情報も移動も簡単にできるのだから、わざわざ軍法会議というような特別なものを設ける必然性はないし、仲間内で裁くようなものに健全性が保てるわけがない。

自民党の憲法草案には、軍法会議の復活が書いてあるらしいけど、それは全く時代を理解していない馬鹿げた物という事ね。

つまり、防衛省が今の段階で満足な情報を得られないのは、文民統制が利いているからといえる。

今の自衛隊、特に海上自衛隊には、かなり問題があることは様々な事件が起きていることから明白で、それは改善されなければならない。だけど、ただしく批判しないと、かえって問題を修正できなくしてしまいかねない。防衛省は何か隠してるとか横暴だってな情緒的な反応ばかりでは、世界を良い方向には変えていけないと思うんだけどなあ。

文民統制については、石破さんとこまで報告が1時間半もかかっているのはかなり問題。
情報は、通常、現場の武官(軍人)から文官(軍人)へと伝えられ、文官はなにを上に伝えるか判断して、最終的に文民である大臣(民間人)に伝えている。

でも、2004年、中国の原子力潜水艦が領海侵犯したとき、大臣への情報伝達に2時間以上かかったため、これを1時間以内にしろという通達があったのに守られなかった。

この事情はまだよくわからないけど、どうも文官のところで下から上に伝達するときに、上の人が、その情報は正しいのか?確認せよとか下に言うと、その確認だけで何十分もロスするかららしい。まあいかにも、間違うことだけを心底恐れる、役人らしい対応だけどね。

しかし、情報伝達がダメダメだってのは、満州事変みたいなデタラメなことが起きうる状況がそこにあるって事だ。

石破さんは前々から、文民統制の重要性を説いてきた理論派で、軍事という小さな範囲についてはわりと信用できる印象がある。まあ、直ちにクビを切れという人もいるけど、与党も野党もおおむね、石破さんを今クビにしたら、直せる物も直らないからあんまりやめろやめろとは言わないふいんきにはなっとりますが。(これも、ここまではっきりウソついたことがわかっちゃったら、如何に余人を以て変えられない人でも、まかせるわけにはいかないよなあ)

石破さんは、古典的なスタイルを貫くだろうから、一通り改善ができたと満足したら、辞任するはらではいるでしょうね。まあ、でもそれができる前に政権が変わっちゃう可能性も大だけど。

軍事という小さな問題という意味は、たとえばミサイル防衛はやらなきゃいけないと言っていることね。ミサイル防衛は、軍事という観点から見ると、やるべきことに見えなくもないところはある。

でも、国全体の費用対効果という観点からは、金がかかりすぎる。

そもそも張り子の虎なんで、そんなものに最低でも何十兆円で、今後いくら増えるか上限はないってものに賛成はできない。

平和憲法を持つ日本なのだから、同じ金額をかけるなら、高度な外交力を持った人材を多数育てて、ミサイル防衛など使う状況を作らせないようにするというのが、王道のはず。いかに外交ベタな日本人とはいえ、数十兆円をぶち込めば、そういう人材は作れるんではないかなあ

最終更新時間 14:58 | コメント (2) | トラックバック

匿名掲示板って悪いものじゃないと思うんだけど

倖田來未さんの事件を巡っては、こんな記事があるって教えて貰った。

失言騒動は仕組まれたのか?~倖田來未の“事件”から見るネットの影響力

熱心に過去ログを探した努力は凄いと思うけど、仕組まれたというのは陰謀論っぽすぎるし、ぼくならちょっと違う解釈になるかな。

この記事が書いている、最初のネットへの投稿は、「【芸能音楽速報】-倖田がうざいと思う人専用」という板に書き込んだ「862 :読者の声:2008/01/30(水) 02:08:48 ID:8HrgPOLb」という人。

それを見た誰か(たぶんラジオを聞いていない人もいる)が別のスレッドに、おもしろがってちょっと文章を直してコピペしたけど、それらはスルーされている。

2ちゃんねるにはルサンチマンの排泄場みたいな場所があって(それが全てじゃない。ごく一部)、最初の投稿はまさにそこでされている。つまりうんこはトイレでしているわけで、作法は守られているから、あまり広がりもしない。

でも、おもしろネタをネットから拾う習慣があるマスメディア「J-CASTニュース」が取り上げたことで、ブログにも取り上げられて炎上したって事ね。

つまり、記事にある『倖田來未バッシングのための"意図的な"書き込みが"祭り"としてマスメディアで報道されたことで、本当の"祭り"になっていったのではないだろうか』はその通りだろう。

つまり、炎上を創り出したのは、ネットではなくマスメディアなわけね。
うんこを町の中にばらまいたのは、マスメディアだったわけ。

だから、マスメディアがネットを煽って炎上を引き起こしたというのが、時系列的には正しいんでないのかなあ。

毒を吐く場所で毒を吐いている人は、吐くだけで、他の人の言うことなんかほとんど聴いてない。でも、マスメディアが注目してくれたことによって、この言葉は「使える」と認識してもりあがっちゃったわけね。

ちょっと話は変わるけど、2ちゃんねるとかの匿名掲示板のことを、こういう炎上事件などを根拠に否定する人は多い。
匿名は良くない、匿名は卑怯だなんてことを、割とものわかったかんじの人でも言ってしまう。

でも、それはたぶん、匿名巨大掲示板のすばらしさを、知らないからそんなことを言えるのだと思う。

2ちゃんねる、ニコニコ動画、初音ミクなどの世界では、「匿名性の害」というものを圧倒的に凌駕する、「匿名であるから表現できるすばらしいもの」たちが、無数にあり、つねに新しく創造され続けている。

これほどの創造空間、日本人の文化風俗の粋を担っているものはほかになくて、本来なら、税金を使って、国会図書館などに全ログを永久記録しておくべき、貴重な歴史的財産だと思うんだよね。

全体の中のほんの少しの瑕疵を、はげしく悪ときめつけて叩いてしまう行為においては、2ちゃんねるの祭り参加者も、匿名掲示板の存在を否定する人も、ある意味似ているのかもしれない。

最終更新時間 14:05 | コメント (1) | トラックバック

おなかにありがとうとか書いておけば羊水はきれいになるかも

 もうだいぶ経ったからみんなもう忘れちゃっていると思うし(とはいえ今月の話なのねん)、タレントの人のこととかはあまり知らないので、スルーしとこうと思ったけど、やっぱりちょっと気になるので覚え書きとして書いとく。

 気さくな人柄で人気の倖田來未さんが、ラジオで何気なくしゃべったガールズ・トークがえらいことになっちゃったようだ。ネット発(なのかな?)で批判が爆発的に広まり、化粧品広告サイトなどからは彼女の仕事は全て削除され、報道番組で謝罪会見が行われたけど、その謝り方がよろしくないと、なお世間の批判は続いていた。

 まあ、リアルタイムで話題を追跡はしていなかったけど、ようつべやネットを使えば、後からだいたい把握できる便利な世の中やね。

 倖田さんの名前は、以前『水からの伝言』というトンデモな話を世間に吹聴する困った人と言うことで、聞いたことがあった。

 ちなみに、水からの伝言とは、水の容器にきれいな言葉を貼り付けて氷らせると、きれいな結晶の氷ができるというお話。分別を持った大人なら、本気で信じるわけの無い稚拙なファンタジーに過ぎないんだけど、思いのほか世間に受け入れられ、教師がこれを教材に使ったりしたこともあって、こういう話が社会に広がると、世の中が悪くなるんだよと、心ある人たちが批判をしていたのだった。もともとこれ言い始めた人が、オカルトサギ商法の人だしね。

 まあ、それはともかく、今回の発言で世間が問題にしている論点は二つ。

 一つは、その言葉でどれだけ傷つく人がいると思っているんだ!という情緒的なもの。

 もう一つは、このような科学的に根拠のない話がふれ回るられ、世間に広がると、それによって差別が起きたり、医学的な合理性のない不安が作りだされて、オカルト療法などの素地になるという理性的なもの。

 倖田さんのしゃべり方を聞くと、あれは明らかに、親しい仲間たちとの親交を深めるためのガールズトークの中で語られたものだ。

 誰でもそうだと思うけど、日常会話の76.3パーセントは大して根拠のない話だ。この文章もたいして根拠はないけどね。数字を半端にするともっともらしくなるけど( ・∀・ )

 うろ覚えだったり、適当に作ったり、なんだかいい加減なことを語り合うのが、日常会話なのね。その意味で、倖田さんの言葉は、誰でもやっているようなもの、特に目立って罪深いものではない。

 このことをわかっている人もたくさんいて、でも、なお、倖田さんの言葉は良くないのだと言いつのる人も多い。

 普通の会話ならいいけど、影響力の大きい人が、ああいうことを言うのはまずいんだよ。想像力があれば、ああいうことをメディアで言ってはならないことはわかるだろう。とかね。

 まあ、それはその通りであるのだけど。

 ただ、人は誰も、オレもそうだけど(オレは特に、か)、想像力なんてたいしてないんでないの。いつでも完璧であれというのは、非人間的な要求なんでないの。

 今回の騒動の印象は、森首相の時と同じかんじ。
 気さくさと、うかつさは、連動するのだろう。
 気さくな人は、その気さくさ故に、ある文脈の中ではたいして罪のない、うかつなことをしゃべる。その言葉が、文脈から切り離されて伝えられたとき、世間は猛り狂う。

 世間がそういう淘汰圧をかけ続けると、公に発言できるのは、言を左右して決して誤りを認めない、木っ端役人みたいな人ばかりになってしまう。

 まあ、お笑いの人とかなら、同じことを言ってもたぶん批判されたりはしないんだろうけど。

 この問題で語られている批判は、どれももっともらしくて、否定しづらい。そのもっともらしさは、ネットの炎上やこういった舌禍事件が繰り返されるたびに、とぎすまされてきている。

 つまり、失言をした人をよってたかって粉砕し、その擁護者をも沈黙させる、強力な言語武器が鍛え上げられてきている。その武器は、やがて全ての人を抑圧する、人間疎外の道具として使われることになるんじゃないかな。つーか、もうなっているのか。

 ちび黒サンボを発禁にさせるような、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)ほど嫌なものはない。明らかに正当性は欠いた主張なのに、それに正面から反対すると、その反対者が悪者にされちゃうような、屈折した形の正義の主張。

 著作権を非親告罪化する動きとか、最近では、児童ポルノ単純所持を、犯罪にしようという動きとかもそれにあたる。
(http://picnic.to/~ami/repo/youbousyo.htm とか)

 ある人の小さな過ちを、多数がよってたかって責め立てるのは、ポリティカル・コレクトネスの、日本的な現れのようにも思える。

 キリストなら、罪無き者から石を投げよとか言うだろうけど、現代のすれっからしな人々は、その言葉の重みに恥ずかしさを感じることもなく、びゅんびゅん石を投げるだろう。でも、その石は回り回って自分に当たる。情けは人のためならず。

 あの言葉は人を傷つけたという情緒的な批判に関して、凄くぶっちゃけていうと、あのていどの言葉で、自分は傷ついたと触れ回ったり、それをいつまでも蒸し返すような人は、人間として未熟としか言いようがない。

 誤った知識が世界に広まるのことに懸念をもつ理性的な批判には、人はそもそも、いい加減な言葉と知識の嵐の中で、サバイバルしているのだと言いたい。
 もちろん、目立つものを叩くという戦略はありえるのだけど、その事によるメリットと、よってたかって失言した人を叩く風潮に乗ってしまうことのデメリットを、少し落ち着いて考えてみても良いのではないだろうか。

眠くてぐだぐだになってきたのでここまで。

最終更新時間 13:49 | コメント (0) | トラックバック