分かたれた存在としての人類(その3)の質問にお答えします
ヒトとイヌだけが指さしを理解するという話は、テンプル・グランディンの『動物感覚』(NHK出版)の中に出て来たと思います。
テンプル・グランディンは、アスペルガーの動物行動学者で、オリバー・サックスによって「火星の人類学者」と呼ばれた人です。
動物の心を理解するのが得意で、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどの、アメリカの大手食品チェーンが持つ食肉工場の設計を手がけているそうです。
サイエンスとしての信頼性にはやや怪しげな話題もありますが、示唆に富んだアイデアが多く、さすが「変わった物の見方ができる」神経学的マイノリティって感じ。
指さしを理解するのは人とイヌだけというのは、イヌに関しては検証可能ですが、他の全ての動物についてできるか否か検証した人はいないでしょうから、そういう意味での厳密性はありません。
「心の理論」という概念は、かなり曖昧なもので、メンデルの時代の「遺伝子」くらいの意味しか持っていないと思います。
メンデル時代の遺伝子は、「親から子に伝わる何か」程度の漠然とした概念に過ぎませんでしたが、今ではその担体がDNAである事をはじめとして、精密に色々なことがわかっています。最近になって、わからなくなってきたことも多いけど。
それに比べると、心の理論は漠然としたアイデアにすぎなくて、遺伝子におけるDNAのようなものについても手探りの状態といっていいでしょう。また、たぶん「心の理論回路」みたいなものは存在しなくて(ミラーニューロンは、心の理論に少しは関係しているけど、それで全てが説明できるような者ではない)様々な役割を持つ神経回路の組み合わせによって、そのようなものがあるように見えているだけのような気もします。
『自閉症とマインドブラインドネス』青土社のなかで、サイモン・バロン・コーエンは他者の心を読むメカニズムとして、意図検出器、視線方向検出器、共同注意の機構、心の理論の機構を考えています。
また、共同注意の機構というのも、一つのものではなくて本質的に異なるいくつかの要素に分けられるという考えもあります。
バロン・コーエンは心の理論の欠如が自閉症者の症状の本体と考えましたが、それは一面の真実はとらえているものの、それが全てというわけでもない。
自閉症者という神経学的マイノリティにも、心の理論はあるし、メジャーの人たちと同様に成長とともに豊かになるのですが、その発達過程や形がちょっと違っているわけです。
チンパンジーもサルも政治をするわけですから、広義の心の理論はある事は間違いありませんが、その深みはやはりヒトほどはない。
たとえば、言語を理解したり、瞬間視ではヒト以上の能力を示すチンパンジーですが、猿まねは松沢さんも驚くほど全くできません。猿まねができるのは実はヒトだけなのね。
頭に手をやって、真似してといっても、ヒトの頭に手を置いてしまう。
実は療育をしていない自閉症児も、同じような行動を取ります。
真似るという行為は、実は相手の意図をかなり高レベルに推定できないと、不可能のようです。
ぼくは、指さしの理解のような共同注意のメカニズムがなければ、心の理論は、多数派と同じ形には発達できないだろうと考えています。
心の理論よりも、指さしの理解、共同注意は、より基本的な神経回路で行われていて、遺伝的に強く規定されているはずです。共同注意などは心の理論というより体の理論だという人もいます。
ヒトには、遺伝的に規定された非論理的な認知の偏りがあって、それがあるから共同注意が可能であり、その偏りがあるから、他者との間で言葉の意味がほぼ共通化したり、他者の心の動きの推定がほぼ共通化すると考えています。詳しくはまた書く予定です。
その共同注意の部分が何らかの原因で障害されると、言葉の意味の共通性がメジャーの人と一致しにくかったり、人の心の推定が一致しにくくなる。自閉圏の人たちは、文脈による言語の意味の変化や、人の心理の解釈が、メジャーの人たちと異なってしまうのはそのせいではないかと思います。
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分かたれた存在としての人類(その3)
ヒトとチンパンジーの母子関係には、「見つめあう」「微笑みあう」という共通の性質がある。ただ、ヒトだけに顕著なのは、声を交わすことだ。
寝かされた赤ん坊の顔をのぞき込み、手であやし、声をかける。赤ん坊も見つめ返し、手をばたつかせ、声を返す。こういう一連のなにげない親子関係は、実はヒト特有の行動だと松沢さんは言う。
これもまた、母親と切り離されていても、仰向けで落ち着いていられる、ヒト独特の性質なしには成立しえない特徴だ。
もと霊長研で今は滋賀県立大学の明和政子さんによると、ヒトは9ヶ月頃には、他者が注意を払っているもの対象を視線で追ったり、見知らぬ物に出会ったときお母さんと見比べたり、他者に指さしをしてお母さんの関心を引き寄せるということをしはじめるという。
猫に指さしすると、指先を見つめはするけど、指さした先を見ることはない。
実は指さしを理解するのはヒトと犬だけなんだよね。
犬は、歴史以前の昔からヒトとともに進化してきた動物だから、その中で指さしの意味を理解する能力を獲得したのだろう。しかし、オオカミは指さしを理解しないらしい。
また、飼育下のチンパンジーは、あるていど指さしを理解する(自分では指さすことはない。ただ、手の甲を向けてそちら方向みたいな動作はすることがあるらしい)けど、野生ではそういう行動は一切ない。
つまり、それまでは母子の二項関係だったのに、母子+対象物という三項関係のコミュニケーションが行われるようになる。しかし、チンパンジーには、最後まで三項関係によるやりとりは芽生えない。
これも、ヒトが分かたれた存在であることと関係しているんじゃないかな。チンパンジーの場合、子は母につねに抱かれて一体化しているから、三項関係に基づくコミュニケーションの必要はないから。
でも、ヒトは、赤ちゃんが遠くを指さしてあれは何?と問うたり、母親が「猫ちゃんがいるねえ可愛いねえ」と声をかけたりすることで、親子の結びつきを作り出している。
この、離れた二人が、同じ物に注意できる共同注意の能力は、言語の習得や、心の理論の形成に、かなりクリティカルに影響しているはずだ。
同じ物を見つめながら発せられる音、同じ物を見つめながら伝えられる感情の響きの、無限回に近い繰り返しが、言語や心の理論を徐々に織りなしていく。
おそらく、自閉圏の人々は、ある時期、この共同注意が何らかの原因でうまく機能しなかったことが契機となって、多数派とは異なった神経回路網をくみ上げてしまうのだろう。
心の理論とは、きわめて曖昧かつ僅かな手がかりから他者の心を推定するシミュレーション・モデルだから、その計算には莫大な神経回路資源が投入されているはずだ。
チンパンジーの3倍の脳の能力の大半は、そこに費やされているのだろう。
そして、この神経回路資源を、心の理論の形成に割り当てさせるのが、共同注意というメカニズムだと思う。
だから、この部分でつまずいた自閉者は、莫大な神経回路資源を別の物に割り当て、人付き合いが下手になる代償と引き替えに、多数派には真似のできない能力を得るわけね。
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分かたれた存在としての人類(その2)
面白いのは、ヒトの脳の大きさと脂肪は深く関係しているらしいって事だ。
ヒトの脳は、チンパンジーに比べ重量、体積ともに3倍くらいある。
オックスフォード大学の、デイヴィッド・ホロビンは、これがヒトの脂肪蓄積能力に由来するという説を唱えている。
ヒトとチンパンジーでは、神経細胞の数自体は、多くて5割増し、せいぜい20%増量中くらいでしかない。それなのに、ヒトの脳がこれほど大きいのは、脂肪が多いからだ。実際、ヒトの脳の乾燥重量の60%が、脂肪と脂肪酸なのだ。
ホロビンは、これをただの理論的な仮説に終わらせず、脂肪代謝をいじって脂肪の蓄積をしやすくした遺伝子組換えマウスを二系統作っている。
その結果、面白いことに、これらの脂肪過多マウスは、通常のマウスより5割り増し程度の記憶力や知能を持つらしい。
だとすると、我々人類は、チンパンジーやボノボ、ゴリラ、オランウータンなどのヒトの仲間のなかで、飛び抜けて肥満できる能力を獲得したことで、賢くなれたといえるのかも。
また、ヒトの赤ん坊が地面に置かれて平気でいられるのと、ヒトの大きな脳との間にも、大きな関係がありそうだ。
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分かたれた存在としての人類(その1)
霊長類研究所の松沢哲朗さんと、共同研究者のアイの仲間やそのこども(チンパンジー)たちによる比較認知科学の研究は、今年で30周年を迎える。
松沢さんは今や、世界で最も長時間、チンパンジーと密接に暮らした人間だ。
2000年3月には、アイの息子アユムなど3名の新生児が誕生して、以来、霊長類の知性の深淵に迫る「ミレニアムプロジェクト」が続けられている。
これの凄いのは「参与観察」という研究方法だ。
野生においては、チンパンジーの母親は決して他人(ヒトであれチンパンジーであれ)に我が子を触らせない。ところが、アイと松沢さんのように、長い間の信頼関係を培ってきた間柄だと、いやいやながらでも、こどもをそばで観察させてくれたり、触らせてくれたりする。
そこで、毎日、親子と同じ部屋で過ごし、子どもの成長と知性の発達を、観察、研究するのがこの参与観察だ。こんなことが可能なのは、世界でも霊長研だけなんだよね。
霊長類は、しがみつき、抱きしめる生き物だ。哺乳類4070種の中で、220種の霊長類だけが、赤ん坊の母親へのしがみつきと、母親の赤ん坊の抱きしめ、という行動をとる。
進化的には、子どもからのしがみつきの方が古いらしく、共通先祖により近いワオキツネザルやマーモセットは、赤ん坊はしがみつくけど、親はあまりそれを助けない。
ニホンザルくらいになると「しがみつくー抱く」という様式ができるけど、赤ん坊は親からの支えが無くても、四肢を使って独力でしがみつく能力がある。
ところが、ヒト科であるチンパンジーの新生児は、足の把握力が弱いので、自力でしがみつくのは心許ない。そこで、おかあさんがいつも、片手を添えて運ぶようになる。
さらにヒトの赤ちゃんは自力ではほとんどしがみつけないので(と、いっても握らせた棒を持ち上げると、全身が持ち上がるくらい握力はある)お母さんは両手を添えて我が子を支えるようになる。
でも、つねに両手の自由を奪われていては、お母さんは何もできない。そこで、ヒトの赤ちゃんは、お母さんから離されても平気な性質を進化的に獲得している。
ヒトの赤ちゃんは、地面に仰向けに置かれると、そのままじっと、安定して寝ていられる。これは当たり前のことようだけど、チンパンジーでさえ不可能な能力らしい。
チンパンジーの赤ちゃんは、母親が決して手放さないので、自然状態で地面に置かれることはないんだけど、人工的にそうさせてみると、すぐに手足をばたつかせて、ごろごろと寝返りをうって決して安定しない。
また、チンパンジーは、赤ん坊の頃から生涯、体脂肪率は4~5%しかないのに、ヒトの赤ん坊は20%以上ある。
ヒトの赤ん坊は、これほどの脂肪があるから、サバンナのような夜の寒いところで、親から離れたところに置かれても、凍えることがない。
つまり、ヒトの赤ちゃんは、ある程度お母さんから離れて生きられる能力を持っているわけだ。










