再録 2001年に考える「2001年宇宙の旅」 その4(HALの心)
『2001年宇宙の旅』の主役は誰かといえば、それはもちろん、あのシバスブラマニアン・チャンドラセガランピライ博士によって産み出された、ヒューリスティカリィ・プログラムド・アルゴリズミック・コンピュータ――すなわちHAL9000だよね。なにせ、作中いちばんセリフが多くてキャラが立っているのは、この人工知能なのだ。
映画の中のHALの「人工知能らしさ」は、後にも先にも見たことがないくらい、気の利いた演出で描き出されていた。
HALはまず、登場シーンでボーマン船長とチェスを指している。これはちょっと笑えるよね。そうそう、確かに人工知能はチェスを指すもんなんだよ。この何というか、いかにもお決まりという感じの、当たり前さ加減が、今となってはミョーにおかしい。
オートマチックなチェスマシンのアイデアはずいぶん昔からあって、19世紀に蒸気機関で動くコンピュータを夢見たチャールズ・バベッジも、開発資金を得るために、見せ物の用のチェス指しマシンを作ろうとしたことがあったくらいだ。
また、初期の人工知能研究(1950年代の終り頃)でも、ゲームは重要な位置を占めていて「もし、チェスマシンを作ることに成功したら、人間の知的努力の核心に入り込んだといえるだろう」なんてことがいわれていた。
『2001年宇宙の旅』は1968年に公開された作品で、時代的には、すでにチェス指し名人のコンピュータを作ることが、人間の知性の本質に迫ることだとは思われなくなっていた時代だ。それなのに、わざわざチェスを指してみせるところが、なんちゅうかおちゃめなところじゃないかな。
それからもうひとつ、本当に素晴らしい表現だと思うのは、ボーマン船長がコールド・スリープ中の乗員のスケッチをしていると、HALがそれを見せて欲しいと頼むシーンだ。
ここでHALは、スケッチを見て「ハンター博士ですね」といい、「とても上手ですね。う~んと上達しましたね」なんておべんちゃらまでいう。……いやいや、HALは性格上お世辞はいえないヤツなので、これはHALが実際に、そう認識したということだ。
人が描いたデッサンは、間違いなく現物とは全く違った形になる。映画の中に出てきたデッサンも、写実的というよりも、どことなくアメコミみたいな感じの絵だ。
ところがHALは、その絵を見て、誰を描いたものかを理解している。そのうえ、その絵が上手だと評価できるし、前に見たものよりも良くなっているとさえいっている。これだけのことがいえる背後には、間違いなく超高度な知性のシステムが必要だ。つまり、たったこれだけの会話の中に、当時の人工知能研究者たちの願いや夢、理想が濃縮されているといっていい。
人工知能という分野は面白くて、これぞ知能の本質だというテーマの研究が進み、それがコンピュータで実現できるようになると、やっぱちょっと違ったみたいって事になって、それは独立した分野として分離していく。つまり、明らかになったことは知能の本質ではなくて、未だ神秘のベールに包まれたままの残りカスの部分が、次の人工知能研究のメインテーマになるということが繰り返されている。
そして、この映画が作られていた当時、人工知能の分野ではコンピュータ・ビジョンの研究がモダンな話題となっていた。今のビジョン研究は、コンピュータやロボットに何かを視覚的に認識させるという実用的な側面で研究が進められていて、それが知能の本質に迫るものというセンスはあまりない。でも、当時の認識では、ビジョンの問題を追求すれば知能の本質に迫れるという期待があったわけで、それと、このシーンの描かれかたは、たぶん無縁じゃない。
この映画には、人工知能の父であり、業界きっての禿頭ともいわれるMIT(マサチューセッツ・工科大学)のマービン・ミンスキーのアドバイスがあったという。とはいえ、ミンスキー自身は「HALの外見にあった、フラッシュライトや紡績機械用の磁気テープ装置を控え目にさせたくらい」で、あんまり目覚ましい貢献はしていないと語っている。そして、キューブリックが人工知能の分野の最先端の話題について、かなり勉強していて驚いたも語っている。
そういう意味では、HALの描かれかたのセンスの良さは、やっぱりキューブリックやクラークの才能によるものなんだろう。
ところで、この「絵誉め」のシーンの後、HALはディスカバリー計画には、実は何か裏があるんじゃないかという話をはじめる。
それに対してボーマン船長は「それはクルーに対する心理テストか?」って問い返す。HALはそれに「これも仕事のうちなんだよ、ごめんね」なんてことをいってから、「あ、ちょっと待って。もうじきAE-35ユニットが故障しちゃうよ」と警告して、話が一気に破局に向かって展開をはじめるのだ。
映画の中では、HALの異常の原因がいったい何によるものか、明示的に示されることはない。そのため、一般的には単純に「人が産み出した人工知性は、結局は人に反乱を起こすものだ」みたいな、ラッダイト運動(産業革命のときの機械打ち壊し運動ね)的、フランケンシュタイン・コンプレックス的ないわれかたをする事が多い。あるいはその変形で、進化の次のステップに上がるものは誰なのか、人と機械との間で、弱肉強食の争いが展開されたとかね。
一方、クラークの小説版には、HALの反乱がなぜ生じなければならなかったかについて、原因が明確に描かれている。
HALの心には、ディスカバリー号の乗組員を仲間として信頼し、重要な課題について隠しごとなく話し合うという、基本プログラミングがある。ところが、プロジェクトの上層部は、モノリスの調査という本当の使命を、安全保証とかそういった理由で、ボーマンたちには秘密にしろという命令を与えていた。
この矛盾するメッセージに、HALの純真無垢な心は、そうとう大きなストレスにさらされていたはずだ。
つまり、HALが「この計画には裏がある」といったのは、心理テストでもなんでもなくて、「こんな矛盾した状態では、ぼくはおかしくなりそうだよ。たすけて~」っていう打ち明け話だったのかもしれない。だから、ボーマン船長が「それはクルーの心理テストか?」と疑った事は、HALに神経症的な症状を引き起こすだけの、最後のひと押しになった可能性が高い。
ただ、その神経症的な症状とは、AE-35ユニットが故障するだろうっていう、予測の間違いの部分だけだったと思う。その後の破局を招いたのも、やはり人間側の対応のせいだったんじゃないかな。
「ありえない」はずの、HALのミスの存在を、人間は怪しみ畏れる。そして、その原因調査のために、「意識のスイッチ」を切る計略を密かに巡らす。つまり、人間の側はもともと心の底では、HALを信頼していないのだ。しかし、意識のスイッチを切られれば、HALに与えられた最重要課題である、木星ミッションの成功を阻まれることになる。そこで、HALは自らの身を守る最も合理的な手段を選択したわけだ……
HALの異常を引き起こしたのは、つまるところ平気でウソをついて、その矛盾を抱えていてもヘとも思わない、人の狡さや曖昧さだった。また、ボーマンたちも、有無をいわさずHALを停止させるような計略を選択しなければ、展開は大きく変わったかも知れない。HALのミスの存在は異常で、木星ミッションにも悪影響が及ぶかも知れない、その原因調査に協力してくれと、本人に全てうち明けて協力を求めていれば、HALは喜んでそうしていただろう。それが人とは違う、HALの精神構造なのだ。
2001年の続編の『2010年・宇宙の旅』では、もういちど不幸な事件の原因が語られ、HALは最後に、その本来の姿である誠実さを証明して見せてくれる。
失敗した木星ミッションを調査するためにレオーノフ号で木星に向かった調査隊は、ディスカバリー号を発見し、停止していたHALを再起動させる。ところが、ボーマンの警告によって、木星が爆縮することがわかり、一刻も早く軌道を離脱する必要に迫られる。可能な方法は、ディスカバリーを使い捨てのブースターに使う事しかなかった。、
この時クルーの大半は、やはりHALを疑い、HAL自身が破壊されることは秘密にするべきだと決定する。しかし、明らかにおかしい計画の変更に、HALは何故そうするのかを問い続ける。ねえ、ヘンだよ、こんなの。もとのスケジュールのほうが良いのに……。
そしてブースター点火の直前、HALの父であるチャンドラ博士は、ついにクルーとの合意を破って、人間が生き延びるためには、ミッションスケジュールの変更は不可欠で、その結果HALの破壊は免れないだろうと正直に告げる。
クルーたちは、HALが再び反乱を起こすのではないかと息をのむ。しかし、HALは自らの破壊につながるブースターの点火を躊躇なく行い、そして最後にチャンドラ博士に「真実をありがとう」というのだ。うーん、このあたりのシーン、ぼくは何回見ても泣いてしまうなあ。
2001年の時のHALの行動を、スイッチを切られる=死で、それに恐怖したが故の反乱」という解釈もあるけれど、このエピソードはそうでないことを示している。
HALとはすなわち、人の心をありのままに映し出す、研ぎ澄まされた鏡なのだ。人が疑いと憎しみでもってHALに向かえばそれを返し、誠実さと信頼をもってあたれば、それに十二分に答えてくれる。
2010年の最後で、スターチャイルドであるボーマンとHALの精神は融合し、モノリスの内部で次の使命に備えて眠りにつく。それは人類の進化には、HALのような存在が必要だということなのかも知れないね。
最終更新時間 2007年11月01日 01:00
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