キャラクタドラマ・スタトレの魅力
世代を超えて続くSFのテレビシリーズといえば、日本ではガンダムが思い浮かぶけど、アメリカにもスタートレックというシリーズがある。
スタートレックは、アメリカで1966年に放映を開始した、邦題『宇宙大作戦』(今デジタルリマスター板がNHKのBS2で放送中)以来、5種類のテレビシリーズ、10本の映画、1本のアニメが作られてきた。
まあ、このブログを読んでくれている人で、スタトレを知らない人は少ないとは思うけど、詳しくはウィキペディアでもご覧ください。
さて、このスタトレなんだけど、ぼくは一応、日本で放映された実写のテレビシリーズ全エピソードと、公開された映画の、合計711本に関しては、少なくとも一回以上は見ている。(アニメは数話しかみてないけど。)
で、ぼくのいちばんのお気に入りは、2シーズン目くらい以降のネクスト・ジェネレーションと、3シーズン目あたりから7シーズン目のはじめころにかけてのDS9だ。
でも、ヴォイジャーは結局最後までほとんど乗れなかったし、エンタープライズに至っては、はじめは期待していたんだけど、結局それまで積み上げられてきた世界をバリバリにぶち壊してふざけんなってかんじ。
宇宙大作戦は、小学校2年のころにはじめて見てから、再放送で繰り返し見てきたので、まあ別格かな。
スタトレの世界の物語数は膨大で、これだけたくさんエピソードがあると、SF的なシチュエーションつーても限界がある。実際、似たような状況の話も少なくない。
それでも、また同じ話かよって感じにはあまりならない。
そのわけは、状況がほとんど同じであっても、登場人物の個性の違いで、全く違ったドラマが展開するからだ。しかもその個性は、所属する種族がもつものと、エピソードの積み重ねで描かれていく個人の歴史が重畳していて、深い味わいを醸し出している。
TNGの舞台である24世紀は、リベラリストの夢というか、日本国憲法の理念が実現したみたいなユートピアだ。戦争や差別は克服され、貨幣経済もなくなって、人はただ人間性の向上を求めて生きている。とくに、いかなる社会に対してもその正常な発展への介入を認めない「艦隊の誓い」が、この時代の最も重要なルールとなっている。
そしてピカード艦長は、この誓いを忠実に体現しようとする人物だ。しかし、直面する現実は、その理想を素直に実現させてくれない。その葛藤、困難を越えて、いかに理想を貫いていくかという、人間性の光の部分にウエイトをおいているのがTNGの魅力だ。
一方、DS9は人間性の闇の部分の複雑さを丁寧に描いていてすばらしい。
クリンゴンは、攻撃性が高く、プライドを重んじる種族だ。そして地球人に育てられたウォーフは、その生い立ち故に、クリンゴンの伝統と理想を、平凡なクリンゴン人よりもはるかに強烈に体現したいと願っている。その心理的な束縛が視聴者にはよくわかる。
そして、それほど名誉と誇りを重んずるウォーフが、より大きな問題の解決のため、あえて汚名を受けようとしたとき、その心を思ってものすごく感動しちゃうんだよね。
フェレンギはTNGの時と、DS9の時とでは性格が違うけど、DS9では心の底からの拝金主義者で、手段の如何を問わず金を儲けることが善とされる種族として描かれている。
クワークははじめ、その民族性を体現したステレオタイプのキャラクターのようにみえるけど、やがて金にもならないDS9に居続ける、フェレンギ文化の中のはみ出しものだということがわかってくる。そしてDS9の「クワークの結婚」というエピソードでは、クリンゴンの文化とフェレンギの文化について理解していて、その上でクワークの個性を知っていることで、彼がめちゃくちゃカッコよく見えるのだ。
カーデシア人は、謀略や背信を当然と考える、徹底したリアリストたちだ。
中でもデュカットは、異種族に対して冷酷そのものだけど、かつて植民地支配していたベイジョー人との間に娘がいたことを知るや、彼女を溺愛し、ユーモラスな人間味さえかいま見せるようになる。
ところがその溺愛していたはずの娘を、ある事件で失ったことを契機に、真の邪悪な存在へと変貌を遂げていく。
まあ、DS9も最終回に近づくと、これらの複雑なキャラクタの個性は消え失せて、単純なステレオタイプに成り下がってしまうので、見ている側としてはかなりへこむんだけどね。しかし、ある時期の彼らの描写は、SFドラマ史上最も精緻に完成された、芸術と言っていいと思う。
最終更新時間 2007年09月30日 22:41
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