まるきもの、汝の名は惑星・その10
それにしても、たかが惑星の定義を決めるだけで、どうしてこんなにややこしいことになっちゃうのだろう。
それはやっぱり、人間の素朴な認知では、自然を捉えきれないという問題に帰ってくるんじゃないかと思うんだよね。
惑星か、準惑星か、太陽系小天体かというのは、石か岩か山かとか、池か湖かとか、島か大陸かみたいな、人間的な尺度における認知に基づくと、そういう区別をつけたくなっちゃうけど、明確な違いはなかなか見つからないものだ。
これはあらゆる分野でいえることで、たとえば生物分類学でも、「種」という概念はすでにあまり重きを置かれなくなっている。まあ、生物多様性の保護という観点からは、種という概念も必要なので、ケースバイケースで用いられることはあるけど、純粋科学的には、種というのは、人間の認知の歪みが見せている幻想に過ぎないって感じ。
なんで?犬と猫は明確に違うじゃん。お互いかけあわせて、子どもが出来なければ異種で良いんでないのと思う人は多いと思う。でも、自然界を精密に観察すると、それに対する例外はいっぱいあるんだよね。
たとえばワタリバトの仲間には、ある集団が、A地点とB地点の間を渡り、別の集団はB地点とC地点の間を渡り、C地点とD地点、D地点とE地点、で、地球をぐるっと回って、E地点とA地点に戻るってのがいる。
で、この場合、AとBやAとEの集団どうしでは交配可能なのに、AとDではダメなんてことがあるのだ。また逆に、AとB、AとEでは交配できないのに、AとDでは交配できると言うことすらある。
さらに、二つに分離しかけているAとBという集団では、Aの雄とBの雌のカップルは、AどうしまたはBどうしのカップルより、たくさん子どもが出来るのに、Aの雌とBの雄のカップルでは子どもが出来ない、なんてことも起きる。
つまり、子どもが出来る出来ないなんて単純な話では、とうてい種を定義することは出来ないわけね。だから、系統学では、ある生き物の分化の筋道は重視するけど、それはリアルタイムで動いているものだから、静止画としての「種」なんてものはないとすら言う人もいる。
天体の軌道についても、たとえばこれはぼくの持論だけど、月と惑星は、果たして明確にわけられるのかというと、疑問があるんだよね。
地球と月の関係を見ると、月は地球の周りを回っている。ある惑星の回りを回る天体を月と呼ぶのは何の不思議もないように思える。
でも、太陽系を上から俯瞰して(ホントは上下って無いけどさ)太陽の周りを回る地球と月の軌道をイメージして欲しい。
この時、月の軌道は、直感的には、バネのようなものをビヨーンて引きのばしたときみたいな、ぐるぐるした輪が12個連なったような形になっているような気がするよね。
でも、実はそうじゃない。月の軌道は、円と12角形の間みたいな形になる。角が取れて、各辺がちょっと膨らんだ12角形みたいなのね。
なぜなら、主に太陽からの重力で太陽の周りを回っている天体の軌道は、運動方程式上、決して太陽に対して凸のカーブは描けないからだ。
このため、太陽から見た地球と月の関係は、ほぼ同じような軌道をめぐりながら、片方が前に行ったと思ったら、もう片方が前に行くということを繰り返しているだけで、片方がもう片方の周りをグルグル回っているというものじゃない。
つまり、地球の周りを月が回ると感じるのは、あくまで地球を中心とした座標系で見ているからで、太陽を中心とした座標系で見ると、そうは見えないわけだ。
それから、海王星と冥王星は軌道共鳴という関係にある。
つまり、海王星が3回太陽の周りを回ると、冥王星は2回太陽の周りを回るようになっていて、この関係は、太陽系ができた頃からずっと変わらず続いている。
だから、冥王星の軌道の一部は、海王星の軌道の中まで食い込んでいるけど、両天体が衝突することは決してない。
この共鳴軌道の関係というのは、抽象度を高めて考えると、地球と月の関係と同じといっていい。地球と月は、片方が1回太陽を回るとき、もう片方も1回太陽を回る共鳴軌道といってもいいからだ。
こういう見方は、人間の素朴認知からは納得しがたいけれど、生物における系統関係と同じような意味で、色々な星々を系統づける一つの方法になるかも知れない。
まあ、これは全く素人であるぼくが、勝手に思っているだけのことなので、そうなる可能性は限りなく小さいけどね。
最終更新時間 17:49 | コメント (1) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その9
ところが、その原案には、いちゃもんが続出してしまった。
一口に天文学者といっても、細かな専門に分かれていて、それぞれ立場がゼンゼン違う。全体が納得するような定義なんて、とうてい無理な相談だったみたい。
結局、国際天文連合がまとめた最終案は、まず第一に、この定義は我々の太陽系の天体に限るとされた。
なぜなら、90年代から見つかり始めた系外惑星は、太陽系で言うなら水星軌道より遙かに内側の軌道を回り、一年の長さが数日の巨大ガス惑星、ホットジュピターとか、長期彗星並の軌道離心率を持つ木星並みの天体、エキセントリック・プラネットとか、太陽系の常識が全く通用しないから。つまり、下手に一般的な惑星の定義とか言っちゃうと、系外でそれに当てはまらないのがいっぱい見つかりかねないわけね。
そして、太陽系の天体は、プラネットとドワーフ・プラネット、スモール・ソーラー・システム・ボディの三種類に分類された。
現在、日本学術会議は、ドワーフ・プラネットの訳語を「準惑星」に、スモール・ソーラー・システム・ボディを「太陽系小天体」としている。
ただ、天体の細かな定義については今後も議論がありそうで、その内容は高校レベルを超えるため、当面は、学校教育や社会一般で、準惑星を積極的に使用することは勧めないってことらしい。
惑星とドワーフ・プラネットは、自己重力で丸くなっていて、かつ月ではないもの。
自己重力で丸いとは、丸くなる主な原因が重力ってことで、真球率とかじゃない。だから土星は自転でかなり楕円に潰れているけどOKで、小さいけどたまたま丸く削れている天体はこれに当てはまらない。
惑星とドワーフ・プラネットの違いは、軌道近くに他の天体があるかないか。惑星は、自分の軌道のそばにある天体を自分の重力でほとんど掃き散らして、クリーンにしたもので、ドワーフ・プラネットは、そうでないもの。
これは原案にはなかった定義だけど、天体力学が入っていない惑星の定義なんてあり得ないだろ!といういちゃもんがついて、苦肉の策として入れられたものだ。
原案で軌道力学を入れなかったのは、遠方の天体で一年の長さが何百年とかにもなる天体だと、軌道を決定するまでにものすごく長い時間がかかるからだ。遠くの天体は、見かけ上少しずつしか動かないから、下手をすると何十年と観察し続けて、やっと軌道が決められるというケースも出てきかねない。だから、見つけて、大きささえ解れば、わりとすぐに定義できるものにしたかったようだ。でも、それは許せないという人が出てきて、この掃き散らしという概念が出てきたわけね。
じゃあスモール・ソーラー・システム・ボディは何かというと、自己重力でまるくなっていない小さなもののことをいう。で、ドワーフ・プラネットかスモール・ソーラー・システム・ボディか、判定しにくい場合の判定手続きは、今後決めることにした。
これで、惑星は水金地火木土天海の8つになり、冥王星はドワーフ・プラネットに属するとされたわけね。
この定義は、科学的で素晴らしいと褒める人もいれば、なんだかヘンだなあという人も多い。
たとえば、準惑星に分類される冥王星、ケレス、エリスなどは、できかたの性質が違うので、同じひとくくりにするのはどうよという意見もある。
それに、惑星は衛星じゃないものとなっているけど、衛星の定義がない。
西洋人には、惑星と衛星は根本的に違うイメージなので、原案には誰もやれとは言ってないのに、衛星も定義されていたんだそうだ。それによると、二つの天体の共通重心が、一方の天体に含まれていないとき、衛星ではなく惑星という。
これだと、地球の月はギリギリで地球の中に共通重心があるので衛星、冥王星とカロンでは共通重心が冥王星の外にあるので、二重惑星になる。ところが、カロンは衛星に決まっとるだろゴラァといういちゃもんがついて、提案は取り下げられてしまったのだ。
また、軌道をクリーンにしているという事についても、海王星は冥王星を掃き散らしていないのにどうなるの?とか、木星はトロヤ群という小惑星群を従えているから、クリーンじゃないだろとか。
まあ、これについては、ある天体と、その軌道上に残っている小さいのの質量比が、惑星なら5000以上だけど、既知のドワーフ・プラネットは1以下なので、明確に区別できるという人もいる。
いずれにせよ、大半の天文学者にとっては、そもそも決議なんて無意味だった。他から決めろといわれたから、しぶしぶ決めたけど、そりゃあやっぱり納得できない人が多いわけよ。
じゃあ、今後皆さん困るかというと、そうでもないらしい。
何でかというと、一般の論文発表に、この定義は何の拘束力も持たないからだ。
つまり、論文を発表するとき、この論文では惑星の定義はこれって書いとけば、それで良いんだよね。そういう意味では、この定義は華麗にスルーできちゃうわけね。
最終更新時間 17:48 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その8
で、国際天文連合は、まず原案を出して、こんなんでどうですかと問うた
半田さんの説によると、この惑星連合の原案は、惑星だけにプラネットという単語が入るように、概念整理を狙っていたようだという。
と、いうのも従来スモール・ソーラー・システム・ボディの中に、マイナープラネットというのも含まれていて、西欧の人にとっては、ワケワカランってな印象だったからだ。
日本人にとってはどれも星で同じようなものに感じるけど、西洋人にとって、スターとプラネットは全く別の存在ってイメージなんだよね。
これは宇宙の天体に対する、歴史的な素朴な概念が、西洋と東洋では違っているところに原因がある。
西洋では、アリストテレス哲学の影響で、宇宙は三層構造になっているとされていた。
まずアースは不動の中心。
天(ヘブン)はスターが並んでいる向こう側。
スターの外は神様の領域なので考えちゃダメ。
スターはまあ、立ち入り禁止の札みたいなものなわけね。
そしてプラネットは、天と地の間にあって、永久に回り続ける、スターでもアースでもないもの。
そしてそれぞれは本質的に違うとイメージされていた。
一方東洋は、天も地もあまり区別がないところがある。中国の歴史や星座概念では、天の上にも皇帝がいて、町があって市場があって、トイレもある。
天帝は北極星。星はその周りを回る。
だから、日本語では、惑星も恒星も空に光っているもので、おなじ星の仲間といってもとくに違和感はない。
でも、西洋人にプラネットもスターもまとめてスターだとは到底思えないわけ。
せっかく新しく定義するんだから、この辺のキモチワルサも何とかしたいという思惑が働いていたらしい。
最終更新時間 17:47 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その7
それでは、昨年の騒ぎは一体どうして起きたのだろう。
太陽系内の天体は、観測技術の進歩と、熱心に探す人が沢山いることで、今も刻々新しいのが見つかっている。
これらは軌道が確定すると仮符号が振られて、国際天文連合が正式名を決めるしきたりだ。で、そのデータベースを管理する、マイナー・プラネット・センターというのがあって、そこでは、小惑星などを整理しやすいようにセレスを1、パラスを2というように連番を振っていた。
で、その数がそろそろ9000を越えるし、さらにエッジワース・カイパーベルト天体も見つかってきた。一方、プルーティノっていう一群の天体のひとつなのに、冥王星に小惑星番号がないのは不便でしょうがない。だから、冥王星はキリ番の1万番にしようという話が出た。ようするに、その方がコンピュータでソートとかもしやすいし、整理が簡単になるじゃんという、全く実用的な話だったのね。
ところが、その内輪の話がなぜか外に漏れ、尾ひれがついて、冥王星を惑星から排除しようとする企みが進行中という話になってしまった。
まあ、いかにもジャーナリスティックにウケそそうな話題で、学者集団の内部というより、普通の人たちのほうがそうやって騒いだわけね。
で、この提案した人もあわてて、もともと彗星と小惑星に二重登録されている天体もあるんだから、冥王星に小惑星番号を振っても、惑星でなくなるわけじゃないんだよ~と弁解したんだけど、もう世間は祭りというか、炎上しちゃって誰もそれに耳を貸さない。
さらに、2002年6月にカリフォルニア工科大学のマイケル・ブラウンらが、クワオワを発見。マスコミで10番惑星発見かと話題になった。
でも、ブラウンさんは、これはKBOだし、もっと大きいのが見つかるかもだから、惑星というのは大げさだよといっていた。
ところが、2005年7月に同じブラウンさんが、仮符号2003UB313ことセドナをみつけた。
で、これは冥王星より大きくて、これなら10番惑星で良いんでないのと言い始めた。
まあ、たぶんブラウンさんにとっては、見つけた天体が惑星かどうかなんて、本当はどうでも良いことだったんじゃないかと思う。
でも、なんか周り(メディアとか、おそらく研究費を出しているスポンサーとか)から色々言われるので、どうでも良いけど、もうこれにしたらって言ったみたい。
天文学者たちのうちわよりも、一般人の世間のほうが、10番惑星とか冥王星とかについて盛り上がってしまって、いい加減はっきり決めろやゴルァみたいなプレッシャーが、国際天文連合にもかかって、しょうがないから決めますよみたいなことになっちゃったわけ
最終更新時間 17:46 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その6
それでは冥王星以遠に、太陽系の天体はもうないのだろうか。
それについては、1940年代にエッジワース、1950年代にカイパーが、海王星の外に小さい天体があるんでないのと言い始めた。
その理由は、短周期の彗星の遠日点は、海王星の少し外にあることが非常に多かったからだ。
つまり、色々バラバラに飛んでいたのが、海王星の影響でそこに遠日点が来るように調節されて、太陽系の内側に落ちてきているのかもよ。つまりそこらへんに、彗星のもとになるのがたくさんあって、それが海王星や冥王星の摂動で軌道が変わって楕円軌道になって、落ちてくるんじゃないかというわけね。
この天体のことを、日本ではEKBO(エクボ)っていう。
エッジワース・カイパー・ベルト・オブジェクトの頭文字でエクボね。
これは、軌道長半径が約30~48天文単位のところにある微小天体の帯だ。
太陽系が形成されるとき、星間ガスが円盤状になってその中で微粒子がくっつき合って、惑星などの天体ができるけど、これは惑星サイズにまでなれなかった名残とされている。
海王星や冥王星の影響で、ここの天体の軌道が変わって、太陽系の内側に落ちてくるのが、短周期彗星とされて、冥王星もこの天体に属すると考えられている。
ちなみに、カイパーはアメリカ人なんでアメリカではKBO というのが普通。
でも、日本では、アイルランド人のエッジワースのほうが先に言ったことだし、カイパーの理論は冥王星が分裂して彗星が出来ているという妙な説でもあるし、それにエクボってかわいくて良い言葉じゃんってことで、EKBOというわけね。
一方で、80年代くらいから、太陽系の形成モデルが、かなり信用されるようになってきた。つまり太陽系の惑星は、太陽のまわりにできるガスの円盤が起源という考え方ね。
そのモデルによれば、惑星になりきれなかった細かいのが、太陽系の外のほうにたくさんあるはず。しかもそれには太陽系ができたてホヤホヤの頃の情報が残っている可能性があって、見つけられたらすごく面白い。これは天文学者にとっては、いまさら惑星を探すとかより、もっとはるかに重要な意味がある。
その上、80年代後半くらいから、天体観測に写真乾板じゃなくてCCD が使えるようになって、望遠鏡の口径が一気に5倍になったくらいの性能アップが起きて、超暗い天体が観測できるようになったんだよね。
そして、1992年に、小惑星1992QB1が見つかる。
この軌道が、エッジワースとカイパーの予測値だいたい同じで、軌道の特徴としては冥王星と似た軌道を回っていた。つまり初めてのEKBO天体だったわけだ。そしてEKBOはその後続々と見つかって、今は1000個以上確認されていて、推定では10万から100 万はあるとされている。
つまり、1994~1995年ころまでには、冥王星を含む新しい天体の一群(プルーティノ)があることは、天文学者の間では常識になっていたんだよね。
最終更新時間 17:45 | コメント (1) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その5
結局、冥王星は84年後の1930年にローウェル天文台のトンボーによって発見された。
なんでこんなに時間がかかったのかというと、一つは軌道傾斜角が黄道面からだいぶ傾いていて、見つけにくい場所にあったからなんだけど、もう一つは、この頃天文学者にとって惑星なんかよりもっと面白いことがバシバシ見つかり始めて、惑星なんかもうどうでも良いよみたいな感じになっていたからってこともあったみたい。
当時、光のスペクトル分析とか、赤方偏移が観測できるようになって、星までの距離がわかるようになってきた。
その結果、一様に広がっていると思われていた星々が、銀河というかたまりになっているとか、さらにアンドロメダ星雲とかは別の銀河だったんだなど、宇宙のイメージを根底からひっくり返すような事実が次々見つかってきたんだよね。
こんなにすごいことが解ってきているのに、今さら惑星なんてつまらない。
9番惑星を探してるだって?ハッ、遅れてるぅ。
ただ、中には変わった人もいたんだよね。それが、パーシヴァル・ローウェルで、9番惑星の発見に、ずっと執念を燃やし続けていた。
この人、今にして思うとかなりイタい人で、もと実業家で私財で天文台を作り、火星人の存在を信じて火星に「運河」を観測してスケッチを残したりした。
うぬ。こいつが犯人だったのか!
科学者としてはちょっと疑問符がつく人だけど、一般人にはなかなか人気があったようで、今で言うならドクター中松みたいな人かな。違うか。
そのローウェルが、歳を取って観測が続けられなくなったので、その代わりに写真撮影が巧いやつがいるってことで雇われたのが、クライド・トンボーだった。
で、トンボーは9番惑星のありそうな場所を撮してねと言われたんだけど、新人さんで生真面目な人だったようで、まあ少し多めに撮しておこうと、事実上の掃天観測をやったんだよね。つまり、冥王星は全天をほとんどくまなく探した結果、偶然見つかったわけだ。
ただ、その時にはすでにローウェルは亡くなっていて、しかも発見位置が、たまたまローウェルの予測の近くと言えば言えなくもない場所だったので、報道ではローウェル予言が当たったといわれた。美談がねつ造されたわけん。でも、実際にはまぐれ当たりにすぎなかった。
さて、ここで人類栄光の歴史を振り返ろう。
まず、予測の根拠として全く意味のないティティウス・ボーデの法則に基づいてアステロイドが発見された。
つぎに、予測の根拠としては間違っていた天体力学に基づいて海王星が見つかる。
さらに、いまでいうなら限りなくトンデモさんに近い人の執念により、理論的にはなんの根拠もないところで、冥王星が見つかったわけ。
人生万事塞翁が馬。禍福はあざなえる縄のごとし。
ただ、この冥王星、当初からホントに惑星なの?という議論はあったんだよね。
なにしろ、まず第一に、この冥王星は、当時の望遠鏡では円盤状に見えなかった。
冥王星の角直径は0.15秒しかないので、地上の望遠鏡では今でも点にしかみえない。
つーかめっちゃ遠いので、つい数年前にハッブル宇宙望遠鏡で、やっと円盤状の像が見えたというくらいだ。
それに、軌道傾斜角も、他の惑星に比べると極端に傾いていて、なんか変じゃない?と思われていた。
さらに最初は地球くらい大きいと思われていたけど、それは衛星のカロンとひとまとまりに見えていたせいで、実際はかなり小さい(木星の衛星イオとかより小さい)こともわかってしまった。
ただ、トンボーが一生懸命やって見つけたんだから、まあ惑星で良いかって感じで、なんとなく冥王星は惑星にしとかれたわけだ。
最終更新時間 17:44 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その4
18世紀の後半、今ではティティウス・ボーデの法則と呼ばれる法則が知られるようになった。これは6大惑星(水金地火木土)の軌道長半径は、ある数式で表せるってものだ。
この式のnの値を0にすると金星、1が地球、2が火星、4が木星、5が土星になる。で、これが知られるようになった少し後の1781年に天王星が見つかって、これがn=6の値にぴったり合っていた。
うお。ティティウス・ボーデの法則、いーじゃんすげーじゃん。
と、当時の人たちは思って、そうなるとn=3の惑星がないのが気になるよね。そこで、たくさんの天文学者が、そこにフィットする天体を探し始めた。
その結果、1801年にケレスが見つかった。やった、法則カンペキ!と思いきや、翌年ほぼ同じ軌道上にパラスが見つかってしまう。
さらに2年後にもう一つ、3年後に4つ目と続々見つかって、いやこれはどうも惑星じゃないみたいってことになっていった。
そこでこれらをまとめてアステロイドと呼ぼうと、天王星を見つけたハーシェルが言い出した。
このアステロイドという名前は、アスターとオイドをくっつけた造語で、アスターは恒星、オイドはもどきのことだ。つまり、恒星もどき。
アステロイドの日本語訳は小惑星で、惑星のちっこいのってことだけど、アステロイドの意味は「恒星みたいなの」なんだよね。でも、なぜ惑星もどきじゃなくて恒星もどきなんだろうか。
それはアステロイドたちが、光の点にしか見えなかったからだ。
実はこの当時でも、惑星はどれも、少なくとも望遠鏡で見れば、大きさがあってまるく見えていた。でも、恒星は光の点にしか見えない。つまり、光の点か、まるいものかで、恒星と惑星が区別されていたわけ。
で、アステロイドは光の点だから、明らかに恒星もどきでしょってことなわけだ。
そしてこの頃、天体力学的な方法で、新たな惑星を見つけようという発想が現れた。と、いうのも、天王星の軌道をずっと観測していくと、なぜか力学計算と合わないんだよね。
これは天王星の外側に未知の天体があって、それが軌道に影響を及ぼしているからじゃないかと考える人が現れた。
その予想に基づいて、1846年に海王星が発見される。
ただ、これはティティウス・ボーデの法則には全く当てはまらない軌道で、あの法則はやっぱダメやねんということにはなったんだけどね。
ただ、これも後になって解ったことだけど、天王星の軌道に異常があるというのも、実は間違いだった。この計算は真面目にやるとメチャクチャ大変なので、それ以前は信じられていたティティウス・ボーデの法則は正しいものとして、それで補正をかけて簡単にしたものだった。
つまり本当の軌道とは全然違うんだけど、たまたま計算と本当の軌道とのズレがいちばん小さくなる時期にこの計算がでて、観測が行われたので、なんかまぐれ当たっちゃったのだ。
でも、当時としては天体力学による予測はスゲエ、当たるぜって感じになっちゃったわけだ。しかもそれを海王星に適応すると、海王星の軌道もなんだかおかしい。つまり、海王星の外にさらに何か天体があるはずと考えられた訳ね。
もちろん、天文学者たちはそれを探そうとしたんだけど、なかなか見つからなかった。
最終更新時間 17:42 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その3
西洋の歴史では、惑星を発見したのは古代ギリシア人とされている。
他の歴史では違うかも知らんけど、他の歴史のことは知らん。
彼らは、空に浮かぶ光のうち、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星は、他の星々と違って、空球の中を少し複雑な動き方をしていることに気がついて、これらをプラネテス(惑星の語源。放浪者の意味)と呼んだ。
ここで注目なのは、まず地球は惑星じゃないということだ。
この頃は、地球という概念はまだ無くて、足が踏みしめている不動の大地というか、宇宙の中心というようなもので、その回りを星々が回っていると思っていたわけだ。
当然、今の感覚からすると奇妙ではあるけど、太陽や月もプラネテスの一種だった。その名残りは西洋の占星術にあって、そこでは、今でもこの二つは「惑星」に分類されている。
ところが、16世紀。
1543年、コペルニクスによって、「天球の回転について」という本が書かれ、地動説というビックリ仰天な世界観が提示される。
つまり、宇宙の中心は地球じゃなくて太陽だったわけだ。
惑星とは太陽の周りを回る天体だと考えた方が、いろんな事がシンプルにすっきり解っちゃう!
で、この考えが受け入れられることによって、太陽と月は惑星からはずれ、代わりに地球が惑星に加わった。また、月は、地球という特別な世界の周りを回る、唯一特別な存在と思われた。
しかし、さらに17世紀。
1610年に、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を使って天体観測を行い、木星の回りを天体が回っていることを発見する。
この、太陽の周りも、地球の周りも回っていない天体があったってのも、かなりビックリな認識だった。つまり、地球の月みたいな天体=衛星は、色々な惑星の周りに存在していて、地球の月が決して特別ってわけじゃないって事が明らかになったんだよね。
最終更新時間 17:41 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その2
で、まあそもそも科学とは何かって話をまずしたい。
これは色々な側面があるのは当然だけど、非常に大きなポイントは、人間の素朴な認識を打ち砕いて、新しい世界観に到達させるものってことだ。
人間は普通に暮らしているうちに、自然とは、世界とはこういうものなんだよなーと、何となく解っちゃう。そしてそれに疑いを持たない。
これが「素朴認知」というものなんだけど、自然をよくよく観察してみると、実はその何となくこうだよなーと思っていた事が、全く違っていたことが解ることがある。それも頻繁にある。目ウロコってやつね。
人間は進化がもたらした制限によって、素朴には自然の実相を認識できない。
相対性理論も量子論も、感覚的にナルホドその通りだねってな具合にはなかなか解らない。頭を使ってよーく考えると、ちょっと解る感じもしないではないけど、心の奥底では、むしろそんなことあり得ないよなーとすら感じてしまうのが素直なところだと思う。
でも、事実として光速より速く動ける物は存在しないし、不確定性関係も揺るぎない。
たとえば、カーナビを成立させているGPS 衛星からの信号は、相対論による補正がかけられている。つまり、カーナビがきちんと機能すると言うことは、相対論が繰り返し実験的に証明されているに等しい。
量子論も同じで、現代のあらゆる電子製品に入っているトランジスタは、量子論で計算される通りの特性で動作している。あらゆる電子製品が機能するとき、量子論は実験的に証明されているわけだし、インターネットでこのコラムを読んでいただけるのも、量子論が正しいおかげというわけ。
「人間の素朴な感受性では、世界を真に理解することはできない」この決定的な事実に、気づいていることが、科学の力強さの源なんだよね。
で、天文学とは、人をこういう認識にたどり着かせてくれた、きっかけを与えた偉大な分野でもある。
そこで、以下に、人類がこの素晴らしい英知にたどり着いた、栄光の歴史を振り返ってみよう!!!!
最終更新時間 17:39 | コメント (0) | トラックバック
まるきもの、汝の名は惑星・その1
つい先日の6月15日、「冥王星、2度目の「降格」=準惑星エリスより軽い」というニュースがありました。
これは、米カリフォルニア工科大のマイケル・ブラウン教授のグループが、ハッブル宇宙望遠鏡などの観測データから、準惑星エリスを回る、衛星ディスノミアの軌道を決定して、それをもとにエリスの質量が冥王星より27%大きいことを突き止めたって話。
それは良いんだけど、この見出しは何だかなあ……って感じなんだよね。
冥王星の「降格」つー表現は、いい加減止めて欲しいんだよ。
この記事では、冥王星は準惑星では最大と見積もられていたって書いてあるけど、それはウソで、マイケル・ブラウンさんは、今のところ太陽系で最も遠い位置にある準惑星であるセドナは、発見当初から冥王星より大きいだろうといっていた。それに、冥王星が「降格」なんて表現も使っていない。これって、あくまでマスコミが言っていることなんだよね。
いずれにせよ、宇宙にまつわるニュースの中で、昨年、世間的にいちばん印象深かったのは、冥王星の「降格」騒ぎだったことは確かだと思う。
この話題は、短期間とはいえ、あらゆるメディアが取り上げていたので、普段は天文にも理系にも興味がない人でも、あー、冥王星はもう惑星じゃなくなっちゃったんだねってことくらいは、一般常識として衆知徹底されたんじゃないかな。
でも、あれを「降格」と呼ぶのは、いかがなものか。たこがなものか。
テレビも新聞も雑誌も、ほとんど全てがそう書いていたけど、天は星の上に星を作らず星の下に星を作らず。
IAU (国際天文連合)の定義で、冥王星は従来の惑星という分類から、ドワーフ・プラネット(日本語訳は準惑星)というカテゴリーに移されたわけだけど、だからといって、それで地位が失墜したとかそういうわけじゃない。
牛後鶏頭ともいうしね。
とはいえ、この新しい定義は本当に妥当なの?という疑問も実は残されているし、人間の素朴な世界観と、科学的な認識との間のズレというかせめぎ合いという点から見ても、これはなかなか面白い話題なんだよね。
実はこの件について、今年のはじめに、今回の騒動のあったIAUの総会に参加された、東京大学の半田利弘さんに非常に面白いお話をうかがうことができた。で、以下はその話をもとに、ぼく流のアレンジを加えて紹介したいと思う。
最終更新時間 17:36 | コメント (0) | トラックバック
我々は孤独か・その4
SFでは、地球とかけ離れた環境で、地球と違った種類の生命形態による文明社会がよく描かれる。たとえば、シリコン生命体。これは、炭素の代わりにシリコンをベースにした生命だ。そういうのを探す試みはないのだろうか。
地球生命のベースは炭素で、それは炭素が鎖状につながって、複雑で多様な化合物を作れるからだ。
DNAやアミノ酸、炭水化物など、生命の主要な化合物はすべてこの炭素の骨格をもとに構成されている。
一方、シリコンは元素の周期律表でも炭素の真下にあって、鎖状分子を作るなど、性質がよく似ている。だから、これをベースにした生命もアリなんじゃないのってのが、シリコン生命体というアイデアの根拠だ。
このタイプのシリコン生命は、1950年代のSFですでに登場していたけど、現実の科学の範囲ではあまり可能性があるとは考えられていない。
ただ、1980年代には炭素生命体は十分進化するとやがてコンピュータというシリコン生命体を産み出し、それが宇宙には数多く存在するってアイデアも登場した。
知性体とはつまり、ある媒体が高度な情報処理能力を備えたものと考えると、究極的には空間構造そのものに知性を宿すという、アーサー・C・クラークのアイデアのような存在もあり得るのかもしれない。
ただ、科学的には、現状で絶対に確かなのは、液体の水がある場所の炭素生命だけだ。だから、まずそういう生命体を探すのが、いちばん理にかなっている。
もっとも、地底生命圏のように、今の人類の認識を越えた生命の発見は、これからもきっとあるだろう。
人間の心にはどうも、人間ぽい知性のみを知性と呼びたがる、歪んだ人間中心主義のようなものがあって、世界にあふれている知性を見ても、あんなものは知性のうちに入らないと見下す傾向があるような気がある。
しかし、現実世界をサバイバルしている生命体のほとんどは、その環境にふさわしい高度な知性を発揮していて、それを人間は真似ることはできない。人間の知性は、それらのアッパーコンパチブルではない。
その意味で、知性の誕生は進化の必然だろう。
地球上での生命は、RNAワールドから細胞、細胞から多細胞、多細胞から群れを作る生物、群れを作る生物から文明というように、「階層」を越える進化を何度も繰り返してきた。でも、こういう進化は、宇宙の中でも非常に稀なことなのかもしれない。
過去に起きた階層越えの進化は、DNA のコードが全生物で共通だったり、細胞同士の接着メカニズムに共通性があったりすることなどから推定すると、たぶん一系統が起点になって起きたのだろう。つまり、あちこちで同時多発的に似たようなことが起きるような、多系統がありえないほど稀なことだったのかも。
多細胞生物は、細胞が高度に機能的に集合したものだけど、群れは多細胞生物が高度に機能的に集合したものと見ることができる。そして、その中でも飛び抜けて高度に組織化された存在である「文明」は、多細胞生物よりも一段階層が上の、超生命体だというのが僕の持論なんだよね。そして、その超生命体を、宇宙という新たな環境に解き放ちたいというのが僕の願いだったりする。
文明という超生命体が地球に生まれたのは、宇宙の中でも非常に稀なことで、これから地球を起点に宇宙に満ち、進化し、多様性を獲得していくんじゃないか。僕たちが他の惑星の文明と出会っていないのは、この宇宙に産まれた最初の文明生命体が我々の文明であって、その子孫たちが、やがて銀河に満ちていくのではないか。
ただ、そうではなくて、技術文明も進化の必然だけど、瞬時に滅ぶのが常なので、異文明間が同時に存在することはほとんど無く、コミュニケーションも存在せず、文明の痕跡も残らないという可能性もあるけどね。
どっちになるかは、今後100年くらいで結構明らかになるような気がするな。
最終更新時間 05:11 | コメント (0) | トラックバック
我々は孤独か・その3
この銀河に属する恒星のうち、地球型の環境=ハビタブル・ゾーンを持つ惑星が存在する確率は、1%~0.02%と予測されている。つまり、僕たちの銀河だけで、数百万~数億個の地球型惑星がある。また、宇宙全体では銀河は1千億くらいあるとされているから、合計で10の17乗~19乗ものハビタブル・ゾーンが存在することになる。
ハビタブルゾーンがあった時、そこにどれくらいの確率で生命が発生するかは、地球の状態から推定できる。つまり、地球は46億年の歴史があって、38億~40億年前から生物が存在していたのだから、生命の存在確率は83~87%。つまり結構高いわけだ。
しかも、このハビタブル・ゾーンは、僕たちの太陽とほぼ同じタイプの恒星から、惑星までの距離に基づいて考えられたものに過ぎない。だから、生命といっても、恒星のエネルギーを利用して生きるタイプのものしか考慮していない。それは、今知られている生命の、ほんの一部分なんだよね。
地球ではすでに、地下や深海底に、地熱をエネルギー源にして、硫化水素や鉱物など、星そのものを喰らって生きる生物が見つかっている。しかも、その生物は、質量換算で、太陽エネルギー利用型の生物と同じくらいいる。 地球での生命のあり方を見ると、生命は、液体の水と、なんらかのエネルギー供給さえあれば生存できそうだ。
だから、木星の衛星、エウロパの海底のような環境や、ハビタブル・ゾーンの外にあっても、やや大きめの固体惑星など、生命が発生し、生存する場所が、宇宙の至る所にあるだろう。
もう少し想像を逞しくすると、人類がこれまでに実際に見て、知っているのとは別種の生命形態も、存在できるかもしれない。たとえば、木星型の巨大ガス惑星の中とかね。
まあ、それについては存在を示す根拠はほとんどないから、限りなく空想に近いお話にすぎない。でも、いずれにせよ、この宇宙に生命が満ち溢れている事だけは確実だ。
でも、異星の文明ということを考えると、生命が発生できる環境というだけでは、たぶんダメだよね。
これまで考えてきた生命は、単細胞生物のような単純なものを含めた、すべての生命形態だった。だけど、十分な知性を備え、文明を持つところまでいくには、それなりに複雑な肉体を持っている必要がありそうだよね。
その前提で地球の歴史をふりかえってみると、多細胞生物の出現が今からおよそ10億年前、硬骨格生物の発生が5.45億年前だ。
ちなみに、今から5.45億年前からこちらの、地球の全歴史の9分の1くらいの時代を顕生代という。顕という字は、「あらわれる」という意味で、実は化石資料のほとんどが、顕生代のものなんだよね。なにしろ化石は、固い殻とか骨がないとまず残らないので、それ以前の柔らかい生き物の証拠は、よっぽど条件が整わないと残らない。
ただ、だからといって、それ以前に生物が少なかったワケじゃなくて、たとえばエディアカラ生物群という、体がシート状でサイズが1メートル以上もある生物がたくさんいたらしい。
まあ、しかし、ぼくらが感覚的に動物だと感じるような生き物は、すべて顕生代に発生したものと考えていいだろう。でも、どの程度の動物なら、知的生命体といえるのだろうか。
ここ2~30年の間に、動物行動学や、比較認知科学(動物と人間の心の違いを探る科学)という分野が発展して、ものすごく興味深い成果が次々見いだされている。これは、観察対象の生き物を「動物」とかいう抽象的な言葉でひとくくりにしないで、個体ごとに名前を付け、個性を持った存在と見なして、長期間、注意深く観察する手法が確立したからだ。ちなみに、この手法を編み出したのは、日本のサル学なんだよね。
で、その成果をみると、非常に多くの動物が、以前に人々が想像していた以上に高レベルの知性を備えていることが、明らかになっている。
たとえば、アリゾナ大学のペパーバーグ博士は、20年にわたってオウム(ヨウム)の認知研究をやってきた人で、その研究対象のアレックスの賢さは、正直言って驚きだ。アレックスは、100 語以上の英語の語彙を覚えていて、色や形、数の認識もできるし、感情もとても豊かに表現する。
実験に飽きると、わざと答えを間違え、博士が怒ると「I'm sorry」って謝るし、寂しいと「I love you」といって人を呼んだりする。アレックスの様子をビデオで見ると、完全に人間と気持ちが通じ合っている感じが、ヒシヒシ伝わってくるんだよね。
鳥の中には他にも賢いものがたくさんいて、たとえば仙台のカラスなんかは、硬い木の実を割るのに、道路で自動車に轢かせるのまでいる。つまり、道具として人間の運転する自動車を使っているわけだ。
でも、鳥ってば、はっきしいって大脳なんかちょびっとなのだ。シワもほとんどなくてツルツルなワケよ。そんなんでも、あれだけ知的に振る舞えるってことは、知性には必ずしも、人間のような脳は必要ないって事のように思える。ようするに、知性とは、時事刻々変化する環境の中で、自分をサバイバルさせるために、ほぼ必然的に発生したものなのだろう。
つまり、ハビタブル・ゾーンの中なら、生命が発生し、体が複雑になって、知性を備えるというところまでは、かなり高い確率で起きるものらしい。
でも、そこから人類のような文明社会を築くのはどうかというと、それはちょっと話が違ってくる。
たとえば、恐竜類は中生代の三畳紀から白亜紀までの1億7千万年以上、地球に君臨していた生物だ。そして、恐竜の一部の子孫が鳥だから、恐竜たちも、彼らの環境を生き抜くに十分な知性を持っていたに違いない。そして、優れたコミュニケーション能力を持った種や、ある程度の道具使用のできるものは、絶対に存在しただろう。
でも、今から6500万年前に滅びるまでに、ついに恐竜類の中からは、文明を築くものは現れなかった。
彼らが地球上に君臨し続けた時間は、文明の発生が必然なら、それが生じて当然といえるほど長かった。なにしろ、人類が発生してから500万年しか経っていないし、ぼくたちの直接の祖先であるクロマニヨン人が誕生したのは、わずか20万年前なのだ。
つまり、恐竜たちは、人間に比べて850倍も長い間、地球上で進化してきたのに、文明を持たなかったわけだ。
と、いうことは、文明の発生は必然ではなく、その発生確率は、低いと考えざるを得ない。そこで、これも地球全史の中の、20万年間を発生確率とすると、0.004%という値になる。
まあ、この値は、人類文明がこれからも永く続くならもっと大きくていいだろうし、逆に人類文明の発生が奇跡のような幸運ならば、もっと低くしなければいけない。その判断はできないので、とりあえずこれで考えると、僕たちの銀河には、文明が100 ~1万くらいは存在していると推定できる。これはやっぱり、結構多い数だよね。
文明の数が本当にこれだけあるなら、SETI(地球外文明探査)も、そう無意味な話じゃないだろう。でも、異星文明とのコミュニケーションには、もう一つ壁があるような気がする。
たとえば、カール・セーガン原作のSFで、ジョディ・フォスター主演の映画にもなった『コンタクト』では、こと座のベガからの電波が、明らかに知的生命体からのメッセージと解るよう、2~101 までの素数のパルス列で送られてくる。これは、数学はあらゆる知性体に普遍的だという、古くからある仮定に基づいたアイデアだ。
でも、本当にそうなのだろうか。たとえばチンパンジーやイルカは、「A=B、B=C、ならばA=C」という三段論法を理解する。でも、「A=BならばB=A」は、なかなか理解できない。これって、論理や数学の基本中の基本で、人間にとっては、何故わからないのか、わからないくらいだよね。
ただ、このことから、論理は、必ずしも全ての知性にとって、普遍的なものではないかもしれないと言えそうだ。
そして、チンパンジーには、文化はある。そうだとすると、知的な存在で、知識を世代を越えて伝えていける能力を持った生き物でも、必ずしも人間と同じ論理や数学を用いているとは限らないし、文明を持つとも限らない。
また、今のSETIは、異星文明の活動に伴って放射される電波を受信しようとするものだけど、ひょっとすると電波を出すような技術は持たない、文明社会のほうが普通かもしれない。
人類文明の歴史を約1万年、技術文明の歴史を約100 年とすると、技術文明の発生確率は100 分の1で、銀河における数は、最低で1になる。つまり、この銀河では、僕たちだけが技術文明を築いた存在かもしれない。それはちょっと寂しいカモ。でも、まあ、それを本当かどうか確認するには、人類自身が銀河に進出して、色々と見聞を広めていくしかないんだよね。
最終更新時間 04:49 | コメント (0) | トラックバック
我々は孤独か・その2
1995年の最初のホットジュピターの発見によって、プラネットハンターたちの認識はがらりと変化した。それによって、さらに違うタイプの惑星がたくさん見つかっている。
たとえばエキセントリック・プラネットといって、まるで彗星のような長楕円形軌道を描いて、灼熱から極寒までの季節をもつ巨大惑星の存在が、いくつも確認されている。
今や、太陽のような恒星には高い確率で惑星が存在することが明らかになった。そこで、研究者たちの興味は、大きく二つの方向性を持ち始めている。
ひとつは地球と同じような惑星系を持った、第二の地球を探す方向性。
もう一つは、地球の属する太陽系とは全く違う太陽系に属する惑星の探求だ。
以前のプラネット・ハンティングは、なにより惑星の存在確認が第一義だったので、探す恒星も太陽系の太陽に似たものを集中的に狙っていた。でも、そうじゃない星にだって惑星は存在しているはずだ。たとえば、連星系や赤色巨星などの、今の太陽系の太陽とはかなり違った恒星での、プラネットハンティングが始まっている。
果たしてそういう星々には、どんな惑星が存在するのだろうか。それは、ホットジュピターやエキセントリック・プラネットとも違った、もっと意外な惑星かもしれないし、そういう恒星系にも地球と同じような環境の惑星が存在できるかもしれない。
これまでの理論では、連星系のような恒星系の惑星形成や進化について、何も考えてこなかった。しかし、今やそういう分野の研究も盛んに行われるようになっている。
これまで見つかってきた外惑星の大半は、太陽系の天体とはかけ離れた、異形の惑星だった。でも、それは、地球みたいな惑星が、マイナーな存在だって事じゃない。
今、見つかる惑星が風変わりなのにはワケがある。それは、今の観測技術では、とりあえずそういう惑星が見つけやすいからなんだよね。
異星の惑星探しは、恒星のドップラー変位を観測した行われている。
どういう事かというと、恒星と惑星は、両者の重心の周りを回っているから、地球からその星を見ると、近づいたり遠ざかったりしている。だから、その星の光のスペクトル変化を見ると、惑星の公転周期にあわせて、赤方偏移したり青方変位して見えるわけだ。
でもそれは、惑星が小さかったり、公転軌道が真円に近いと、恒星があまり動かず見えにくい。それに、惑星の公転周期が何十年もある場合は、スペクトルの変化が一巡するまでそれだけの時間が必要で、長い間観測し続けないと結論を出すことができない。
そういうわけで、当面見つかる惑星は、どれも極端にヘンな姿というわけ。
ただ、その発見によって、惑星形成理論が大きく進歩しはじめている。それ以前は、専門家もぼくらの太陽系の惑星しか知らなかったから、理論もその前提で作られていた。
でも、異形の惑星群が見つかったことで、原始太陽系のまわりにあるガス円盤の中から、惑星系ができあがってくる時の様子が、より普遍的に解き明かせるようになってきた。
そして、生命の居住可能な範囲=ハビタブルゾーンも、より確かに推定できるようになってきている。
惑星形成理論の専門家、東京工業大学の井田茂さんの『異形の惑星』(NHKブックス)には、地球型惑星のハビタブルゾーンの条件が示されている。
それによると、主星の重さが僕たちの太陽系と同じ場合、海が蒸発せず、凍りつきもしない範囲は、地球軌道の0.85~1.6 倍だ。
もっとも、太陽の年齢が若いと温度も低くなるので、その範囲はもう少し内側に寄るし、星も晩年になると温度が上がりはじめるので外に移動していく。また、太陽より重い星は温度も高いのでハビタブルゾーンは遠く、軽い星なら近くにできる。
一方、その惑星に大気が存在できる惑星の重さは地球の0.3 ~3倍の間だ。
その惑星が地球の3倍以上重いと、惑星が作られていく時に気体がどんどん集まって木星のような巨大ガス惑星になる。逆にこれより軽いと、大気は宇宙に逃げ出してしまう。
……はずなんだけど、この間発見されたGliese 581 cは5倍の重さがあるのに、木星型の惑星にはなっていない。
これは、惑星形成理論に、また修正が必要になるのかも知れない。
ちなみに火星の質量は地球の0.1 倍なのでこの範囲から外れている。つまり将来的に火星をテラフォームしたとしても、なにか対策を打たないと、大気をずっと保つことは出来ないはずだ。
井田さんは、これまでにわかっている事実を組み合わせ、地球型の環境を持つ惑星が存在する確率は、この銀河で1%~0.02%だろうと予測している。
つまり、僕たちの銀河だけで数百万~数億個の地球型惑星があるってことだ。
そういう地球型惑星があった時、どの程度の割合で生命が発生するのだろうか。これは、地球では全歴史46億年のうち、38億年間は生物が存在していたのだから、地球と似た環境の星に生命がいる確率は、46分の38で83%くらいというのが妥当だろう。
つまり、地球型惑星なら、相当高い割合で生命が発生するってことだ。
そこで近い将来、他の恒星を回る惑星に、生命が存在する証拠を見つけようという観測プロジェクトが、実際に動き始めている。
その一つは、ヨーロッパ宇宙機構(ESA )が2010年に開始しようとしている、ダーウィン(DIRWIN)プロジェクトだ。これは、6機個の宇宙望遠鏡衛星を打ち上げて編隊飛行させ、その組み合わせで遠方の惑星の大気スペクトルを分析する大胆なプロジェクトだ。
この計画で観測しようといちばんに狙っているのは、オゾンの存在だ。何故なら、オゾンは気体の酸素に太陽光が当たってできる物質で、しかも非常に不安定ですぐ酸素に戻ってしまう。
つまり、オゾンがあるということは、そこに大量の気体状酸素がある事を意味する。
気体の酸素は、僕たちが見慣れた生物の生存には欠かせない。でも、これは実は、生物がいなければ大量に存在できないんだよね。
地球は今から46億年前に誕生したけど、それから19億年間は、ほとんど無酸素だった。でも、今から27億年前に、光合成を行う微生物が登場して、地球に酸素の大気を作っていったわけ。
、だから、オゾンの存在は光合成能力を持つ生命の存在を意味する。ダーウィンはここに目をつけたわけだ。
また、NASAでも2014年をめどに、同様のオリジン計画を進めていた。(けど予算が大幅に削られていて、今のところ休止状態ってかんじ)
この計画では、地球型惑星発見装置(Terrestrial Planet Finder)という、宇宙赤外線望遠鏡衛星を4つ以上打ち上げて横一列に結合したものが使われる予定だ。
これの第一の使命は、地球から半径45光年以内にある150あまりの恒星に、地球型惑星があるかどうかを調べることにある。この望遠鏡はダーウィン同様にオゾンの測定ができるので、もし地球型惑星が見つかれば、同時にそこに生命が存在するかどうかを調べることもできる。
Gliese 581 cの発見が、こういう意欲的な外惑星の生命探査プロジェクトを活性化してくれると、嬉しいんだけど。
ところで、これらの天文学よりの生命探査で想定しているハビタブルゾーンは、ようするに地球のような環境=大気があって、液体の水もある世界を意味している。でも、これはちょっと保守的すぎるようにおもう。
実はこれまた最近10年くらいで大きく認識が変わってきたのだけれど、生命の進化には必ずしも太陽や大気は必要がないらしいんだよね。その根拠は、地球の地表から10キロ以上も下まで続く、地下生物圏が見つかったことにある。
地球上の生物は、独立栄養生物と従属栄養生物という、二つのカテゴリーに分類できる。
独立栄養生物とは、光合成の能力を持つ細菌や植物などのことで、これは太陽のエネルギーと二酸化炭素から自分の肉体を作り上げ、子孫を残していく。つまり、他の生物を食べる必要がないわけね。
一方、従属栄養生物は、僕たち人間を含む、生存のために他の生物を食べる必要がある生物だ。このタイプの生き物の多くは、独立栄養生物を食べることで、間接的に太陽エネルギーを摂取して進化しているわけだ。
つまり、長い間、生命は太陽の恵み無しには生きられないと思われていた。
ところが、80年代半ば、深海の熱水の吹き出し口から、予想もしない生物が見つかった。そこは何百気圧、100度を越す高温で、どんな生物も生きられるはずのない場所だった。ところが、そんな極限環境でも平然と増殖する微生物がたくさん見つかったんだよね。
そして、その熱水はさらに下からわき上がっているワケだから、より深い地底にも生命がいるのではないかと、調査が行われるようになった。そうしてみつかったのが、地下生物圏だ。
これらの生物は、花崗岩とか玄武岩などの硬い岩石の中で、太陽の恵みを受けずに進化してきた。彼らは地熱と硫化水素や水素を酸化して得られるエネルギーを使い、メタンなどを分解して、炭素ベースの肉体を増殖させる。
そのため、岩石栄養性、または無機栄養性生物と名付けられいて、つまり星を食べて生きている生き物のワケね。
今では、生物は少なくとも2000気圧でも増殖することが確かめられている。
ちなみに地球最深のマリアナ海溝の底でも圧力は1100気圧にすぎないし、2000気圧というのも実験装置の能力の限界値で、本当はもっと高圧でも平気でいられると考えられている。
また温度も、少なくとも114 度まで増殖するのが見つかっている。(121 度という報告もある)そんなこんなで、今や地下8mより上にいる生物と同じくらいかそれ以上の質量の生物が、地底や海底下何キロというところで生きていると信じられるようになってきた。
この事からすると、火山活動などのエネルギー供給があって、液体の水のある場所なら、大気や太陽エネルギーはなくても、生命は進化できそうだ。
そんな環境は、太陽系内なら地球以外にも、木星の衛星エウロパとかたくさんある。
エウロパは、表面を氷で覆われた衛星だけど、木星の潮汐力の影響で火山と厚さ100 キロの液体の水があるとされている。
つまり、異星の惑星系でも、ハビタブルゾーン以外に、巨大ガス惑星を回るエウロパのような衛星に生命がいる可能性は十分考えられるわけだ。
こうしてみると、ドレイク方程式の生命発生の項までは、かなり高い値が代入できそうだ。でも、知性と文明の発生となるとどうなんだろう。
最終更新時間 04:31 | コメント (0) | トラックバック
我々は孤独か・その1
宇宙には、僕たちと同じような存在――つまり、文明を備えた知性体が、果たして他にいるのだろうか。
科学的な立場から、この問いに最初に答えようとしたのは、電波天文学者のフランク・ドレイクだ。
異星に「あるレベル以上」の文明があるなら、そこからは必ず何らかの電波が発信されているだろう。事によったら、彼らも自分たち以外の異星文明とのコンタクトを求めて、宇宙に向けてメッセージを発信しているかもしれない。そう考えたドレイクは、1960年、アメリカのウエストバージニア州グリーンバンクにある電波望遠鏡を使って、最初のSETI(search for
extraterrestrial intelligence :地球外知性探査)プロジェクトの「オズマ計画」を実行した。
ドレイクはまた、我々の銀河系の中に存在する技術文明の数を表す、ドレイクの方程式を提案している。
これは、銀河系の中で一年あたりに誕生する星の数や、生命が知的生命まで進化する割合など、いくつかの項をかけあわせたもので、その結果がこの銀河に存在する技術文明の数になる。
N =[R*]×[fp]×[ne]×[fl]×[fi]×[fc]×[L]
ドレイク方程式は、人によって書き方が微妙に違っているんだけど、まあ基本はこうで、それぞれの項の意味はこんな感じ。
N:この銀河系に現存する文明社会の数
R*:1年当たり銀河系で生まれる恒星の数。
fp:恒星が惑星を持つ確率
ne:その惑星系のうち、生命が存在可能な惑星の数
fl:その惑星で実際に生命が発生する割合
fi:その生命が知的生命体に進化する割合
fc:その知生体が技術文明を築く確率
L:技術文明社会の寿命(年)
各項にはほとんど定説はないので、Nの値は、人によって2億5000万から1まで、ものすごいばらつきがある。
まあ、ぼくたち地球人類がいるから最低1以上ではあるけどね。
この式は、ようするに、銀河にある技術文明の数を推定するには、どんな要素を明確にしたらいいかという、考え方を整理するためのもの、つまり思考実験用に考案されたもののわけね。
この式のうち、最初の三つの項、つまり銀河で年間生まれている星の数や、それが惑星を持つ確率、それらの惑星の中で生命の発生を許す惑星の数なんかは、天文学の観測や理論を進めることでかなり正確に決められるはずだ。
まあ、三番目の生命の発生を許す環境については、現代の生命科学全体の進歩からすると、とても天文学だけで推定できるとは思えない感じもあるけどね。でも、いちおうこれは地球とほぼ同じような環境という意味だとすると、それは天文学的に推定は可能だろう。
それでは、今現在、この三つの項はどれくらいの確実さで、求められているんだろう。
まず、ほぼ確実にわかっているのは、最初の項の、銀河系で一年当たり誕生する星の数だ。これは、10という値が割り振られる。つまり、数個未満というほど少なくはないけど、かといって百個以上ほど多くはないといったオーダーの数なわけね。
では、第二項の、恒星系が惑星を持つ確率は、どれくらいだろう。
実はこれについては、ここ10年くらいの間に、もの凄く大きな発展があったんだよね。
異星の太陽系に惑星があるかどうかという問題は、まあ直感的には、ないわけないじゃんって感じがする。恒星の中ではごく平凡なこの太陽系に、惑星がいくつもあるんだから、他の恒星系にだってそれがあって当たり前のように思える。
でも、本当にそうかどうかは、観測してみなければわからない。科学というからには、もっともらしい説明ができるだけではダメで、確かな証拠が必要になる。
そこで、1940年代以来、実際に異星の惑星を観測する試みが、たくさん行われてきた。でも、それで見つかったとされた惑星候補は、後にすべて間違いだと解っている。
とくに、太陽系から二番目に近いバーナード星は、軌道がぷるぷる蛇行しているという観測結果が発表されて、長い間、惑星を持つ恒星の候補にあげられていた。つまり、この恒星には、望遠鏡では見えない小さな暗い星が回っていて、それがバーナード星の軌道をぷるぷるさせているのではないかと考えられたわけね。
でも、その観測結果も誰も追試できなくて、1973年には完全に間違いと解ってしまった。
こういう否定的結果は、技術が未発達で、観測の精度がそれほど上げられなかったことが、一つの原因だった。
そこで1980年代になると、技術の進歩で可能になった高精度ドップラー法を使って、惑星探査が行われるようになった。
でも、その観測結果もことごとく否定的。
そして、当時最高の技術を持っていたカナダのゴードン・ウォーカーの観測チームは、1995年の8月、10数年間の観測の結果から、他の恒星には惑星はないという論文を発表した。彼ははもともと、他の天体に惑星があると確信を持っていたからこそ、このプラネット・ハンティングのプロジェクトを立ち上げたわけだ。でも、10数年の空しい観測で、ついにあきらめ、撤退宣言を行ったわけだ。
ところが、運命とは皮肉なものだ。 その論文が発表されたわずか2ヶ月後、1995年の10月に、スイスのマイヨール率いるチームが、ペガサス座51番星に惑星をみつけてしまったのだ。
ペガスス座は秋の星座で、ほぼ東西南北に平行な四角形がペガススの胴体になっている。その51番星は、四角形の西側2つのちょうど中間あたりで、双眼鏡で見れば簡単に見つけられる。
この結果は、直ちに複数の追試が行われ、確かにその存在が確かめられた。
それにしても、なぜゴードン・ウォーカーに惑星が見つけられず、マイヨールに見つけられたのだろうか。
それは、マイヨールがある意味、素人だったからだ。
ゴードン・ウォーカーは惑星探しのプロとして、太陽系の形成理論に精通し、異星に惑星があるとすれば太陽系とそっくりな姿になっているだろうと考えていた。
恒星に惑星があれば、全体の重心のまわりを恒星も回っているから、その恒星はぷるぷる震動している。つまり、地球からは、恒星がある周期で近づいたり遠ざかったりして見えるはずだから、それがドップラー・シフトとして観測できる。
そのとき、どれくらいの周波数で震動していれば、惑星があるといえるだろうか。ゴードン・ウォーカーは太陽系の形成理論をもとに、太陽からほどほどに離れたところに、木星や土星のような巨大惑星が、ほぼ円軌道を描いて回っているときの周波数を、いちばん可能性があると考えて、それを丁寧に探し続けていた。
でも、そういうものはついに見つけられなかったんだよね。
ところが、マイヨールは専門が恒星の連星で、惑星形成理論には詳しくなかった。そのため、太陽系の姿に似ているかどうかという前提なしに、恒星の異常なぷるぷるを、とにかく見つけようとしていたのだ。
マイヨールが見つけた惑星は、その後の観測で、主星から700 万キロしか離れておらず(太陽系ではいちばん内側の惑星である水星でさえ、6000万キロ離れている)、少なくとも木星の半分以上の質量(土星より大きい)を持っていて、地球時間の4.2 日で太陽の周りを一周していることが明らかにされている。しかもその密度は0.3 グラム/立方センチしかない。
つまりその惑星は、太陽に触れんばかりの近距離をまわる、巨大ガス惑星だったのだ。こんな天体が存在できるなんて、それまでの惑星形成理論では一度も考えられたことがなかった。まあ、理論の基本は間違っていないにしても、こんな応用問題があるとは、誰も想像していなかったんだよね。
観測の技術に関しては、ゴードン・ウォーカーはもちろん、世界中の専門家たちのレベルは、すでに惑星を見つけられる水準に達していた。
実際、マイヨールの発見からわずか1年で、世界で新たに10個、そして2002年までには100 個を越える惑星が続々と見つかっている。つまり、専門家ならではの偏見が、目の前にあるものを、見えなくしていたってことなんだよね。
今では、ペガサス座51番星のような惑星は、ホットジュピターと総称されている。
その異形の惑星は、太陽から受ける強大な潮汐力によって、ラグビーボールのように引き延ばされ、自転と公転が一致して常に同じ面を太陽に向けているはずだ。
その太陽側の面は、岩をも溶かす1300度の高温になり、夜の面に向かって猛烈なスピードで対流が起きているだろう。
しかも、内部に含まれていた岩石成分はほとんど全て蒸発して飛び去って、ほぼ純粋なヘリウムと水素からできていると予想される。
こんな高温のヘリウムと水素の固まりがどんな色に見えるか、確実なことはいえないのだけれど、おそらく深い青い色で、太陽面から夜の面に向かう無数の白っぽい縞模様ができているのではないかと考えられている。
その表面には、木星とはまるで違った複雑な渦ができているだろうし、とくに真夜中の部分、熱せられたガスが冷えて沈み込んでいくところは、一体どんなふうになっているんだろう。巨大な渦が深いくぼみを作っていたりするのかもしれない。
うーん、センス・オブ・ワンダーって感じ。ぜひ、その姿を間近で見てみたいなあ。
でも、ペガスス座51番星は地球から41光年離れているから、ぼくが生きている間にはちょっと無理かあ。
いずれにせよ、これらの観測によって、今では銀河系の太陽と同系統の恒星のうち、数個~数十個にひとつは、惑星をもつことが確実になっている。
でも、そこから異星文明の存在可能性まではまだ遠いよね。










