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2007/05/07

オカルトは大人の心の平安のためにある

 教育、それも年の若い子供への教育には、ある程度のオカルトというか、非理性的なものの混入は避けられないところがあると思う。

 で、水伝を小学生の授業に使うのは、全く良いこととは思えないけど、でも、敢えて、使うとするなら、「きれいな言葉を使うと水の結晶もきれいになるって話があるんだよー」という話をした後で、いっしょに「いや、でも、ことばをかけたって結晶はきれいになったりするわけ無いけどね」という話をしとけば良いと思う。

 ……と、いう話を友人たちにしたら、「自然科学の真理は教育の必要より優先するべき。教育の任務のひとつは、自然科学の真理を伝えることであって、それに反するようなことは、あとで打ち消しても混乱するのではないか」とか、「『ことばをかけたって結晶はきれいになったりするわけ無い』は、天下りに言うだけでは、『きれいな言葉を使うと水の結晶もきれいになる』と同じで、オカルトを疑う心は育てられない」という反論をもらった。

 これは言葉の上では、たしかにそうだと思う。
 一方で、これは言葉の上での論理的な整合性にこだわりすぎているって感じもする。

 でも、人間というのは、そんな風に世界を理解していかないだろうと、ぼくは思うんだよね。それと、子供はそれほど、大人の言うことを真に受けたりしないしね。

 世間でよくある教育論議は、子供は大人の言うことを聞くものだ、子供は大人によって自在にしつけることが可能だという、誤った観念にとらわれている気がするんだよなあ。

「閻魔様に舌を抜かれる」と言われたって、子供はそれを心の底から信じて、震え上がるから従っているわけじゃない。

 もちろん、子供には色々な個性があるから、そういうケースがあって不思議はないし、そういうことをいわれて本当に怖かったと、子供時代を思い出す人もいるだろう。でも、たとえそうだとしても、実際は、それが決定的な要因ではなかったと思うんだよね。

 ほとんどの場合、非常に幼い子の場合でも、お話だけでは、閻魔様って本当にいるのかいないのか、怖いのか怖くないのか、よくわからないんじゃないかと思う。少なくとも、大人の期待するような形ではわかっていない。だけど、まあウソをつくのはあまり良くないみたいだなあ、程度の感じを持つわけね。

 つまり、「閻魔様が……」と言う、その物語が、子供にウソをあまりつかなくさせる決定的な要因にはなっていない。

 子供は、親、教師、大人のいうことを、てきとーに聞き流しているわけ。てきとーに聞き流しながら、自分に役に立つかもと感じた部分はつまんで取り入れたりはするけど。

 現実には、子供は様々な社会的な経験(同年代の友人たちとのつきあいを含む様々な体験)を通して、ウソは原則ついちゃダメなんだなあと言うことを、だんだん理解していく。

 一度に完全にわかってしまうなんて事はあり得なくて、そもそもウソとはどういうことかということ自体、ものすごくおぼろげなところから、少しずつ形を為していくようなものだ。実際、ウソとは何かって、本気で考え始めたら、大人だってたぶんよく解らなくなってしまうような深い命題なのよ。

 つまり、しつけとは大人だけがするものではなく、その子の社会的体験によってされていくもので、むしろ社会的な体験の効果のほうが大きいだろう。

 閻魔様が云々というのは、子供の側にとってはむしろどうでも良いことで、あまり教育効果もないだろう。

 では、何故こんな言い回しがあるかというと、そのしつけをしなければいけないと思う大人の側の、心の平安のためにあるんじゃないかと思う。

 ウソはダメとか、丁寧な言葉を使えというのは、論理的にきちんと説明すると、非常に手間がかかる。それに、子供の年齢が低い場合、社会性についてもたぶん十分に理解できていないので、ウソをついていると社会的信頼を失って自分が損をするよというような論理的な説明では、理解させられない部分も残ってしまう。

 なんの根拠も示さず、とにかくダメというのも良いんだけど、そのやり方は、たぶん現代の大人の側に、よりどころのない心細さを感じさせてしまう。

 だから「これこれ」だからウソはダメ。「これこれ」だからきれいな言葉遣いをしようと、何らかの理由付けをしたくなっちゃう。その「これこれ」が閻魔様や水伝ってことだ。

 それから、「後で打ち消して混乱する」のは大いに結構なことだと思う。つーか、子供はかなり賢い存在なので決して混乱しないだろうけど、教室は混乱して良いと思う。

 授業の場面で、「いやでも、ことばをかけたって結晶はきれいになったりしないけどね」と教師が言えば、子供たちは「なんだー、じゃあきれいな言葉使っても意味ないじゃん」とか、絶対にツッコミを入れるはず。教室が健全に運営されていれば、そうならないほうが不思議だ。

 そしたら教師は、それに応じて色々なことが言える。こういうときに、子供たちにどう対応していくかが、教師のアート(技)であって、それを通じて「きれいな言葉を使った方が良いよ」ということと「まあオカルトを信じるとしてもほどほどにね」みたいなことは伝えられるはず。

 こういう話をしたら、別の友人が、「科学を装ったオカルト話より、いっそ不条理な怪談の方が子供には効くんじゃないか」って。

 そうなんだよね。悪い子はいねが~とか。

 人間には個性があるし、その時の気分、状況もいろいろあるので、一つの方法で何かがうまくいくなんてありえない。

 ウソついちゃダメということに関しても、社会の中にはそれを促すしかけがいっぱいあって、そういうフックの数々に少しずつ引っかかりながら、だんだん身についていくものだろう。

最終更新時間 2007年05月07日 08:33

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サイエンスライター鹿野司さんのオカルトは大人の心の平安のためにあると云うエントリを読んだ。  なんの根拠も示さず、とにかくダメというのも良いんだけど... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年05月08日 22:46

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