脳科学のダメな人・その1(中編)
前編で書いたような結果を見て、みなさんはどう感じるだろうか。
すばらしい、脳研究は社会にこんなに役に立つのだから、どんどん応用すべきだと思うだろうか。
うーん。実は僕は、そうは思わないんだよなあ。まあ、現状はまだそうひどくはないかもしれないけれど、これを安易に敷衍していくのは、イクナイと思うのだ。
まず、そもそも前頭前野が活性化することが、そう単純に良い事と言い切れるのだろうか。
散歩や軽いジョギングは健康維持のために良いかもしれないけど、スポーツ選手の大半はスポーツによる傷害を抱えている。だとすると、脳トレにも限度があるかもしれない。
脳を活性化させすぎると、かえって傷害が起きる可能性もあるかもよ?……まあ、これについては、ぼく自身は、脳トレに大して効果があるとは思っていないし、脳を傷害するほどの力があるとも思ってないんだけどね。
川島さんは、ゲームをしているときの前頭前野の沈静化を、リラックスと関連づけて説明している。
別の計測で、前頭前野は美しい絵を見て静かな音楽を聴いているときにも沈静化するし、マッサージをしてもらって、気持ちいいと思ったときも沈静化することを明らかにしている。また、マンガを読んでいるときも沈静化する。
だから、学校で前頭前野をフルに使ってきた子どもたちが、お家でゲームやマンガで脳を癒すのは、良いんじゃないのとおっしゃる。
あー、良かったね、川島さんはサブカルの味方だよ。
しかしだ。実は川島さんは、携帯電話を使っているときの前頭前野も、働かないことも突き止めている。
で、脳が成熟した大人が携帯を使うのは良いでしょう、しかし、脳の発達途上にある子供や、脳が衰え始めた高齢者が使うのは、果たして良いことなのでしょうか?とも言っているのだ。
ポカーン( ゚д゚)
えーっと、これはどういう事なんでしょう。
前頭前野が働かない状態は、ある時は癒しだから良くて、あるときは危ないというのは、カナーリ恣意的なように思えるのですが。
携帯電話で話すときは、面と向かって会話するときよりも、前頭前野は働かない。
だとすると、携帯電話はリラックスできて良いのか、前頭前野を使わなくしてしまうので脳機能の低下につながりかねないのか、一体どうやって判断するのだろう。
ひょっとしたら、脳機能が衰えてきていると思われるお年寄りは、マッサージなどを受けると、前頭前野が活性化しなくなってボケちゃうかも知れない。
それから、料理は脳を活性化するけど、同じ野菜の皮むきでも、包丁だと活性化し、ピーラーを使うと活性化しないという。まあ、ピーラーより包丁のほうが怪我をするかも知れないから、そういうことは起こりそうなことだとは思うけど、では包丁を使った方が活性化して良いのか、ピーラーを使ってリラックスした方が良いのだろうか。
挽肉をこねたり、鰯を手開きするときは、計算するときよりも脳は活性化しないので、これらの作業は子供やお年寄りには危険かもですよ?それとも、勉強に疲れた子供には、挽肉をこねさせてリラックスされてやるべきなのか。
老人施設の結果も、実は脳トレとあまり関係ないのかもしれない。
あの結果では、前頭前野が活性化したのに、認知症が進んだ人もいる。
また、脳トレ以外のことを15分間やった人との対照もしていない。
その理由は、もし脳トレが効果があるとしたら、対照実験で脳トレをやらない人を用意することは、人道的に問題があるんじゃないかと思ったからだそうだ。
でも、それでは科学実験とはいえないよなあ。
この学習療法については、「ブレイン・イメージング・ドリーム」というサイエンス・チャンネルの番組の中で、介護老人福祉施設、永寿園の山崎律美副園長という方が、「脳に刺激を与えたら痴呆が改善するかも知れないという現場の直感を、科学的に誰かが証明してくれないかなという思いがあった」と語っている。
この言葉から推察すると、「学習療法」的な手法は、もともと山崎律美さんが介護の現場の中で編み出したもので、川島さんはその正しさを証明するために実験を行ったのではないかと思う。
学習療法は、いかにも介護の現場が編み出した感じのする、優れたツールに思える。
これのキモは、一日15分間だけでも、この学習療法を介して、援助者と、介護される側が、密接に関わる事にあると思うんだよね。
援助者は、いかに善意で働いていたとしても、無表情でいつもぽかんとしているような人たちと接していると、この人たちにはもう能力はないんだな、と感じてしまうだろう。
そういう人たちと接することは誰にとっても辛いことなので、ある意味で遠ざけ、事務的に仕事をこなしていくという感じになってしまいがちだ。
しかし、学習療法を行うと、援助者たちは、この目の前にいるお年寄りは、どの程度の問題なら解いてもらえるか、その問題が解けなかったとき、どうフォローしてあげたらよいか、説けたときどういうふうに喜びを分かち合ったらいいかということを考えるようになる。その時、援助者は、熱心に相手を見つめることで、目の前の人が無個性でかわいそうな痴呆のお年寄りという認識から、個性を持った一人の生きた人間として見られるようになると思うんだよね。
その人は、何もできないわけではなく、何かができる可能性が残っている。そこに注目して、すくい取っていくことで、できる可能性を持っていたけど使うことが無かった能力を、もう一度使い始められるようになるのかも知れない。
ただそれは、援助者の心の持ち方が変化したのであって、介護される側の脳が活性化したわけじゃない可能性がある。
そんなカタイこと言わなくても、うまく行っているんだから良いんじゃないのって思う人もいると思うけど、でも前頭前野が活性化すればボケは治るみたいなことが一人歩きしてしまうと、たとえば脳に遠赤外線を当てて血流を良くしたらボケが治るみたいな、妙な方向に話が進んでしまう可能性もある。でも、それはたぶん無駄なんだよね。
さらにいうなら、40代の人のぼけを未然に防ぐという実験も、ひょっとして、脳トレをやらなくても、毎週記憶テストをやりますよと言っておくだけで、緊張感が高まって、短期記憶は向上するかもしれない。そういう対照実験がないので何ともいえないのだ。
キレやすい子、じっとしていられない子がいたとしても、それはまず第一に躾の問題だろう。また、軽度発達障害の可能性もあって、それにはまた個別の適切なフォローが必要だ。
それなのに、キレやすい=前頭前野が未熟だから、脳トレで鍛えようという短絡的な発想は、体重を減らすためにカロリー制限と適切な運動という唯一の合理的な方法を取らず、怪しげなダイエット法に填るのと似た感じがある。
あるあるは滅びぬよ。にせ科学でねつ造された健康情報こそ、日本人の夢だからだ!
百ます計算も、確かに効果を上げるケースもあるだろう。ただ、全ての児童でうまく行くわけはないだろうし、長期間続けたとき効果が持続するかどうかも疑問が残る。
百ますの計算速度がどんどん速くなって行くのが嬉しい子供はいるだろうけど、その速度もいつかは頭打ちになる。そうなったとき、子供はなお百ます計算を喜んでやり続けるだろうか。百ます計算では、同じ問題を2週間くらいやり続けるそうだけど、これは速度が頭打ちになるまで同じものをやらせて、頭打ちになったら別のものをやらせることで飽きさせないということなのかもしれない。でも、それにしても、いつかは飽きるんじゃないだろうか。
もちろん、陰山さんなら、生徒たちの積極性を持続させ続けられるのかも知れない。なぜなら、陰山さんにはアートがあるだろうからだ。つまり、一見、単純計算をさせているだけに見えて、実は子供たち一人一人の様子をよく見て、適切な影響を与え続けているのではないかと思う。この子はこういう性格だから、ここで伸び悩んでいても、こう褒めてやればいいとかいう引き出しを、たくさん持っているんじゃないかと思うんだよね。
だから、現場の教師たちが、陰山メソッドに共感して、これは使えそうだと自ら選択して、受け持ちの子供たちの顔を見ながら、自分流にアレンジして使っていくなら、このやりかたを巧く使いこなしていくケースもあると思う。
でも、脳を活性化させる作用があるから、全国一律これをやりなさい、としてしまうと、おそらくほとんど効果は出ないんじゃないだろうか。
そんなわけで、脳トレはかなり根拠薄弱というのが僕の印象だ。
ただ、とりあえず害はなさそうだし、ひょっとすると少しは良いかもしれない。パズル的なゲームをやるのは楽しい事でもあるし、ぼけが防げるかもと少しの心の平安を得られるのもいいだろうし、たくさんの書籍やゲームが売れることで経済も活性化するしね。
だから、ぼくは脳トレをとくに否定するつもりもない。
でも、この考えかたが権威になって、教育やら何やらに色々制限を課そうとするなら、それには断固反対したいと思うんだなあ。
最終更新時間 2007年02月01日 04:50
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