マンナミーヤ!宇和島腎臓移植のこと。
宇和島、腎臓移植問題で話題の万波医師。
あの人の様子に、アネハっぽさを見ている人は多いと思うけど、それはちょっと違うと思う。
この人はアレだ。
昔よくいた、江戸っ子の大工の棟梁みたいな人。職人さんなんだな。
腕前には自信がある。経験も豊富。細かいことは気にしない。
オレは良い仕事してるんだから、ぐだぐだイチャモンつけるなって感じ。
まあ、悪い人ではないんだけど、今の社会では、それはちょっと許容できない部分があるんだよなあ。
若い人には実感はないかも知れないけど、かつて、日本では、盲腸といえば手術という時代があった。なにしろ、日本人の5人に一人は盲腸を切っていたのだ。
その数およそ、アメリカの1000倍。
日本人は、アメリカの1000倍も盲腸に罹りやすいのかというと、そんなワケ無い。
現実は、虫垂炎でも何でもないケースでも、さくさく手術を行っていたわけだ。
実際、友人のメカデザイナー、あえて名は秘すがBさんは、子供の頃、学校をサボろうと仮病でお腹痛いよって言ってたら、お医者に盲腸だねっていわれて、でも、仮病だとは言い出せず、そのままさくっと切られちゃったそうだ。
あるいは、オレはこの島の全員の盲腸を切ってやったんだ(*゚∀゚)=3 というのが自慢の医師の話も聞いたことがある。
これは今では赦されない蛮行だけど、当時の医者たちの大半は、それは良いことだと信じていた。どうせ盲腸なんかいらないものだし、病気の予防になるんだから悪くなくても、どんどん切っちまえってな感じだったワケね。
万波さんも、まあこのノリで腎臓移植をやっている。病気の腎臓使ったって、どうせ捨てるものだし患者の利益にかなっているでしょ。患者たちはみんな感謝してくれているでしょ。ってわけ。万波さんは実感として、自分がやっているのは正義であって、恥じるところは何もないと思っている。だから、非常に無防備に、野蛮な発言を繰り返している。
でも、それは現代においては、独りよがりの論理でしかない。
たとえば、
によると、この病院には、移植待ちの患者を登録して優先順位を決めるシステムがなくて、腎臓の提供があるたびに、万波さんが行き当たりばったりに移植患者を選んでいた。「リストもなければ計画性もない。出合い頭だ」だそうだ。
そりゃ、審査も順番待ちもなければ、移植してもらった人は大喜びだよ。
万波さんも、手術をした患者さんからは、感謝されこそすれ、批判にさらされることはない。
でも、この世には10年以上も移植を待っている人がたくさんいる。臓器が絶対的に不足していることは、万波さんも繰り返し強調していたけど、それがわかっていて出会い頭とは何事かって感じ。自分の全能感を満たすためだけに、手術をやっているんじゃないかとさえ思えてくる。
それに病気の腎臓を移植するとき、患者には、きちんと説明して同意を得ているとかいっている。
その同意とは何なのよ。
病気の腎臓を移植するという行為によって、その後、がんなどの深刻な病気が生じる可能性がある。でも、そんな違法な移植は、過去にあまり行われていないだろうから、どういう腎臓を移植したら、どのくらいの確率で病気が出るか、統計的なデータなどもあるわけがない。つまり、エビデンス(証拠)もへったくれもないことを喋って、同意を得ているといっているわけだ。
そのリスクの程度を、客観的に評価できる情報を与えられていない患者に、説明したといっても、全く通用しないよね。
こんな具合に万波さんを責めることはできるけど、本当に問題なのは病院の方だ。
なぜ、この病院は倫理委員会を設置しなかったのか。
倫理委員会があり、複数医師による検討があれば、今回の問題の数々は基本的に起きなかったことだろう。
怠慢なのか。もちろんそうだ。それに、日本的な曖昧さの問題があったんじゃないかとも思う。
万波さんは移植学会にも所属していないし、確信を持って、王道には従わないつもりなのだろう。学会のヘンなルールを真に受けていたら、患者を十分に救えないとか何とか思っているんじゃないかな。
500例の移植実績があり、頻度高く高度医療を行う彼は、病院の稼ぎ頭だったはずだ。と、いうか病院の収入の半分くらいを担っていてもおかしくないくらい。
その万波さんが、倫理委員会なんていらないよ、オレはオレの好きなように移植するよとかいえば、異論を唱えるのは難しい。まあ、そうはっきり言ったかどうかはわからないけどね。
でも、たとえそう口にしなかったとしても、病院側には、稼ぎ頭だし、ちょっとやばそうだけど、見てみないふり、みたいな雰囲気はあったはずだ。そうでなければ、倫理委員会を作らなかった理由がない。
でも、それは全くダメな対応だ。万波さんがああいう人だから、病院側が倫理委員会を作らなかったのも無理ないよとは、全くいえない。完全に病院側の対応に問題がある。
病院は組織なのだから、たとえ万波さんがどういう人であろうと、倫理委員会が必要ですよ、ルールに従ってください、それが嫌なら出て行ってくださいと、言うべきだったのだ。
法とは、ルールとは何か。
あれは装甲じゃなくて、拘束具なのよ……
じゃなくて、拘束具じゃなくて装甲なんだよ。
法は遵守することで、自分を守ってくれるものなのだ。
ルールが存在しないところで、融通無碍に振る舞った万波さんは、これからマスコミにぐしゃぐしゃに攻撃されて、ひょっとしたら医療行為が続けられなくなるかも知れない。
まあそこまで行かないにしても、当分は、医療行為とは別のことに忙殺される事になることは間違いない。
実際、万波医師がランダムに選んだという患者は、実はお礼をたくさん払った人だったんじゃないかという勘ぐりとか、臓器提供者へ不完全な情報しか与えておらず、本来摘出する必要がない臓器を取り出していたんじゃないかという推定もされている。
こういうことを万波さんがやったかどうかはわからない。ぼくの単なるカンでは、お金の授受は余りなさそう。臓器提供者へ不完全な情報しか与えなかったということはあるかもしれない感じ。
ただ、万波さんを、医学の世界から追放するか、犯罪者として立件するには、この2つの少なくともどちらか一つを証明しないと無理だろう。つまり、こういう事が話題になってきたということは、この問題を万波医師とそのグループだけの異常な問題として、決着づけようとする動きというワケね。
でも、それでは日本の医療を良くすることにはならない。
もし、病院が倫理委員会を作り、この腎臓の提供者の素性は大丈夫か、病気の腎臓の移植は許可できるかどうか、移植の順位づけはどうあるべきか、検討していれば、万波さんはそれらの「雑事」に煩わされずに、ずっと好きなように職人芸をふるえただろうに。
そういう意味でも、病院が倫理委員会を作らなかった責任は重い。
ただし、もっと本質的には、日本には、移植コーディネーターという職業が、執刀医と独立に存在していないという問題がある。倫理委員会を作らなくても、移植コーディネーターという職種が確立していれば、それで問題は生じないはずだ。
日本ではなぜか、こういう医療分業というのが、あまり歓迎されていない傾向があるように思う。
「産婦人科の困った人」のところで書いた、不妊治療の問題だって、遺伝子カウンセラーという職業が、医師と独立して存在すれば、あり得ない話なのだ。ところが、遺伝子カウンセラーは、アメリカでは2000人いるのに、日本には5人しかいなくて、しかも今後、増やしていくような法的根拠はまだ無い。
なぜそうなのか。その背後には医療費が圧倒的に足りないということもあるだろうけど、医師が、高度医療の一部でも手放したくないという感じがあるのではないかという気もする。まあ、これは単なる邪推だけどね。
いずれにせよ、こういう問題は、個人に責任を押しつけてもほとんど意味がないわけで、システムをどう整えていくかという方に議論が向かわないと、ダメなんじゃないかと思うワケね。
余談だけど、今回の事件のきっかけになった、親類に偽装した他人の腎臓を移植したという話は、結構ビックリだった。
今の腎移植って、HLA(組織適合抗原)見てないのかよ!ってね。
だって、来院者がいくら親類だと言いはっても、HLAを見りゃ、普通は親戚か他人かくらい一発でわかるだろう。でも、そうでなかったということは、HLAなんか気にしなくても、腎臓は高い確率でくっついちゃうって事なんだろう。
免疫抑制剤は80年代にサイクロスポリンA、90年代にタクロリムス(FK506:商品名プログラフ)が使われるようになって、この二つが劇的に効くみたいだけど、それに加えて、3~4種の免疫抑制剤をうまく組み合わせることで、かなり自在に移植ができちゃうんだね。知らんかった。
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産婦人科の困った人
産婦人科は、現代医学でもどうしようもなかった死産や病気の子の出産に対して、訴訟を起こされる確率が非常に高いので、すでに新しくこの診療科を選ぶ人は激減している。
これは大きな問題で、一生懸命がんばってくれている現役の医師たちには頭が下がるばかり。
ただ、そうはいっても、非常に巧妙なやり方で、必ずしも患者の利益を目指していない医師もいるらしい。
その1
不妊治療が今や非常にメジャーになっていて、試みる人も多くなっている。
なぜ、子供ができにくいのか。
実は、その背後には、遺伝的、先天的リスクがある確率が高い。
親の遺伝子に、なんらかの欠陥があるから、きちんと受精できなかったり、正しく発生できずに流産してしまうわけだ。
ところが、そういう基本的なことを、不妊治療を試みる夫婦に伝えない医師がいるようだ。
友人の病院に、ある夫婦が訪れた。カルテを調べると、3年前にも来院していて、そのとき別の医師のところで不妊治療をして出産していた。でも、その子は、腕も持ち上げられない、生涯寝たきりの先天異常児だった。
妊婦さんにそれとなく聞いてみたところ、二人目が欲しいとその産科医に相談したら、何の躊躇もなくやりましょうと言われ、しかも遺伝的リスクの話は全く聞いていない様子だったという。不妊治療は、非常に利益率の高い治療なので、それを躊躇させるような情報は与えていないのだろうか。
で、しょうがないので、大学内で倫理委員会をひらいて、みんなで相談。リスキーなことは明らかだけど、出生前診断とかするべきか。色々議論はあったけど、結局、やってくれと望まれていないことを、こちらから申し出るのは問題があるということで、何もしないことになった。
幸いにもというか、その夫婦の二人目の子には先天異常は出なかったというけど、なんだかなあって話。
その2
不妊治療の場合、技術的な制約で、たいていは双子以上になる。まあ、昔みたいに5つ児、6つ児というようなケースはほとんどなくなったけど、双子になるのは普通だ。
ところで、ときに、双子のそれぞれのへその緒が、途中で癒着してしまうことがある。
そうすると、浸透圧の差で、片方の子のほうにたくさん血液が行き、もう片方の子にあまり血液が行かなくなる。その結果、たくさん血液が行く方は、異常に大きく育ち、同時に慢性高血圧になる。血液があまり来ない方は、小さく、慢性貧血になる。深刻なのは大きくなった方で、心不全を合併して、助かる確率は低い。
でも、これはエコーを見ていれば、すぐにわかる。へその緒の癒着は見えるし、大きさの差が付いてきたら、それもすぐわかる。
で、わかったら、一刻も早く帝王切開で取り出したほうが、予後は良い、というか、ほとんど何の異常もなく育つことができる。
ところが、臨月間近、もうどうしようもなくなってから、大学病院に送りつけてくる産科医がいるらしい。急に大きさに差が付いてきたから見て欲しいとかいうんだけど、3倍も大きさが違うのに、わからなかったわけがない、確信犯だと友人は言う。
産婦人科は、今の保険制度では、出産だけではペイしないそうだ。それに遡るケアや検査などを全て併せてやっと元が取れる。つまり、利益率の高いぎりぎりのところまで引っ張っておいて、どうにもならなくなってから大学病院へ回しているわけだ。
しかも、このような産科医は、とても親切で親身に診てくれるので、あの先生はすばらしかったという評価になる。もはや手の施しようがない状態で送られてきた大学病院では、子供を死なすことになり、なんだあの酷い病院は、訴えちゃる、ということになる。
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メメクラゲに刺されたらどうしたらいいの?
ぼくの友人に、大学病院に勤務する小児科医がいるんだけど、彼から聞いた話。
最近は医学部志望者は増えていて、女性の率も高くなっている。女性のほうが成績優秀なので、今では研修医の50%くらいが女性だそうだ。
女性がたくさん医者になるのは良いことだ。でも、現実はなかなか厳しい。
医師として、いちおう一人前といえるようになるのは、最短でも28~29歳の頃。結婚、出産を考えると、この年齢は考えどころだ。
すでに医師の数が絶対的に不足している現状(2004年に、日本は医師数、医療費ともG7で最下位に転落)で、その過酷な職業と、子育ての両立は、極めて難しい。そのため、せっかく油がのりはじめたところで、辞めてしまうケースが増えている。
まあ、子育てが終わったら復帰したり、パートタイム的に働いてくれれば良いのかもしれないけど、現状の医療システムでは、それはほとんど不可能のようだ。
しかも、問題はそれだけじゃない。
研修医の研修のシステムが、去年(だったかな?)から変わって、研修医が特定の医局に属さなくなった。
医局制度は、子供っぽいいじめや権力闘争が蔓延し、患者の利益より医師のプライドが優先されたり、医療ミスの隠蔽や、研修医の過剰労働などにも関わる、まあ、悪の温床だよね、みたいなエピソードが数多く語られてきた。
それが無くなるのは悪くないと思いきや、それによって、医師として育つ上での貴重な経験が得られにくい状況ができてしまったようだ。
この制度の改定で、研修医たちは各人バラバラに、ある決められた時間だけ、色々な診療科を研修することになった。これで、研修医の過剰労働の心配は少なくなった。
でも、その結果、頻繁に顔を合わせて、色々なことを相談できる親しい先輩も、できなくなってしまった。研修医には、迷いや悩みが多いのは当然だけど、それを誰かに相談することもできず、孤立したまま困難に立ち向かうしかなくなったわけだ。
また、たとえば外科の手術を後ろで見学していて、5時になると「時間になったから帰ります」とか、研修医が普通に言うようになった。指導医は当然、「帰りなさい」としかいえない。
でも、医師という仕事の本当の面白さがわかるのは、時間外なのだ。時間外には、自分の予想を越えた色々なことが起きる。どう見ても死んじゃうよ、みたいな患者を必死で治療して助けたときの、うおー、やったぜと言う達成感。この手技はまだ早いけど、ちょっとやってみる?みたいなお誘い。忙しくて死にそうなのに、古株の看護婦さんに無理矢理飲みに引っ張られていったりして学ぶ、人間関係の機微。
何でこんな事しなくちゃいけないんだ、そんなの無理に決まっていると思うような、さまざまな体験を重ねることで、それ以前に自分が思っていた以上の可能性を自分の中に見いだしていく。それによって、医師という仕事の本当の面白さや、やりがいに気がついていけるわけだ。
人間誰でも、楽をしたい。それは大人でも子供でもそうだ。望んだことを少しでも効率よくできれば、それに越したことはない。そもそも文明とは、そちら方向に進んでいるわけだしね。
ただ、そうはいっても、現実の大半は、あることを望むとき、それに付随する嫌なこと、無駄なことを否応なくやる必要がある。そして、その、嫌なこと無駄なことををやることが、それ以前の自分の予想を超えた、自分の可能性を発見させてくれるわけだ。
無駄なことや嫌なことは、無いに越したことはないと思うのは当然だけど、本当にそれを削り取ってしまうと、非常に重要な何かを失うことになる。
研修医の新しい制度は、そのような無駄で嫌な、貴重な経験をさせ難くしている。ただ、効率よく、カリキュラムを時間通り消化させるだけだ。
そうなると、みんな浅い体験で、苦労すると分かり切っている診療科は選択しなくなる。
全て解っている気になって、うまくやっているつもりで、簡単すぎる道しか選ばない。
実際、最近の研修医の大半は、大変だとされる診療科を選ばなくなっている。産婦人科を選ぶ人がいなくなっているとは、しばらく前から言われていたけど、小児科はもちろん、外科までいなくなっているそうだ。
逆に大半は、楽だとされる診療科、皮膚科とか眼科を希望する。とくにいちばん人気は眼科で、5年後くらい後には眼科医になる人しかいなくなるとのこと。
そうするとあれだ、メメクラゲに刺されたらどうしたらいいんだろう。
水道局に行っても、蛇口はつけてくれないだろうしなあ……










