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2006/06/10

身体の未来・進化の繭(後編)

 この変化は,単にアスリートたちに留まるものではない。むしろこれは,現代文明が志向する大きな変化の一例にすぎない。
 1994年,F1レーサーのアイルトン・セナがレース中に激突死した。
 F1は,時速300 キロという超高速度のレースで,危険がつきものではある。しかし,車体構造や材料技術の進歩で安全性は向上しており,1982年以来,死亡事故は起きていなかった。ところが1994年には,セナ以外にも死者が続出し,事故の数も大幅に増加している。
 その原因は,レース主催者のFIA は否定しているものの,ハイテク禁止のせいであることは間違いないだろう。とくに影響が大きかったのは,アクティブ・サスペンションが使えなくなった事だ。これは,アクチュエータ(モーター)を使って,道路のデコボコやGのかかり具合に応じて車輪を出し入れ(バネのかたさを固くしたり柔らかくしたりする)し,車の姿勢を一定に保つ技術だ。セナが運転していたウィリアムズ・ルノーが,92,93年と続けて圧倒的な強さで年間王者に輝いたのは,優れたアクティブ・サスペンション技術によるところが大きいといわれている。
 そこでFIA は,ドライバーの運転技術の比重が下がり,スポーツ性が失われたとして,ハイテク禁止を打ち出した。しかしこれは,アクティブ・サスペンションというテクノロジーに守られた中で最高の能力を発揮するようチューニングされたレーサーを,荒れ地で競争させる結果になってしまったわけだ。
 我々は知らず知らずのうちに,テクノロジーの殻によって包み込まれている。それによって,生身の人間では決してできないことでも,安全に,易々と実現できるようになった。そして当然,その殻の内部にいる人間の性質も,以前とは違ってきているのだ。
 この変化に戸惑い,元に戻そうとしても,そこにはどうしても無理が生じる。FIA の判断はその好例だし,また同じ1994年の4月に名古屋の小牧空港で起きた,中華航空機の墜落事故からも同種の迷いが生じている。
 この事故は,操縦系統のコンピュータが,着陸やり直しモードに入っていることに気づかなかったパイロットが,あくまで着陸を強行しようと舵を切り続け,最後にミスに気づいてオートパイロットを切ったことが,直接の原因だった。このため,舵が急速に機体を下に向ける方向に動き,失速,墜落してしまったわけだ。人と機械が,互いに矛盾した操作ができるのは,明らかにマン・マシン・インターフェースの設計ミスだったわけだが,不思議なのは,より進んだ機体では,このような矛盾が起きた時,自動操縦が解除されるように改造されていることだ。
 現在の旅客機の自動操縦の水準は,人間の能力を遥かに越えている。燃料を節約するエネルギー効率の高い飛びかたができるし,鳥も飛べない荒天でも離着陸が可能になっている。それに加えて,今のジェット機の舵は,腕力で動かす事は不可能で,猛烈な風圧に耐えて舵を切るのは電気モータなのだ。
 だとしたら,人と機械の間に矛盾が生じた場合,機械にまかせるのが,合理的なのではないだろうか。いざという時は人間の手にゆだねるという考えは,すでに幻想なのだから。
 いずれにせよ,ここでも技術は,安全性と,高い能力を保証している。安全なのは,人間が生の自然と触れあわないように守られているからであり,自然を直に操作する必要がないから,人間以上の能力が発揮できる。
 ただその性質は,どことなく過保護的で居心地が悪い。
 世界初の体細胞クローンである,羊のドリーが誕生したことで,世界は人間のクローン製造に敏感に反応している。しかし,クローン体は一卵性双生児よりも遺伝的には遠い(細胞質の遺伝子は異なる)し,20年間育てなければ20歳のクローンにはならず,精神を移植することも不可能なので,独裁者のクローンなどというホラー的な問題は起き得ない。また,不妊女性が自分の子供にしたいとか,亡くなった我が子のクローンが欲しいとうケースもあるようだが,これは多分に神経症的な幻想であって,赦されたとしてもメジャーになることはないだろう。つまり,やったとしても極端に高価な技術になるので,利用者はさらに限られる。どうしても子供が欲しい場合,大多数の人々は,養子をもらうという妥当な選択を行うだろう。
 そういう意味で,人間のクローン製造は,さほど大きな問題にはなりえない。しかし,クローン技術は,それとは次元の違うところで社会的変化をうながしていくだろう。
 体細胞クローンは,トランスジェニック動物の育種(品種改良)に欠かせない技術だ。
 トランスジェニック動物とは,異なる生物の遺伝子を組み込んだ動物のことで,たとえば人間の遺伝子を組み込んだウシの脳や,ブタの心臓が,移植臓器として研究されている。
 ウシの脳を人間に移植するというと意外かもしれないが,脳という臓器は,精神の座というより,ホルモンなどを分泌する生理化学的中枢としての役割が大きい。そこで,たとえばパーキンソン病治療のため,不足したドーパミンを作りだす細胞として,ウシの胎児脳を使う研究が進められているわけだ。
 移植医療が進んでも,臓器の絶対数は常に不足する。しかし,ブタやウシなど,飼育しやすい動物の臓器を利用できれば,多くの命を救うことができるようになる。
 ここでネックになるのが,超急性拒絶反応という反応だ。これは種の違う動物の臓器を移植した時だけに起きるもので,移植後数分から数時間で血液が凝固し,臓器全体が破壊されてしまう。その原因は,血液中の液生免疫(抗体)で,血管壁からつき出た異種分子を認識して攻撃が行われる。
 そこで,ブタに人間の遺伝子を組み込み,血管表面に人間の臓器であることを示す分子を出現させることで,液生免疫の目を欺く移植臓器が作り出せるわけだ。(それでも,細胞性免疫(白血球など)の働きによる拒絶反応は起きる。ただしこちらは,通常の免疫抑制剤で対処できる)
 この種の移植用動物は,技術的にはほぼ完成しているものの,遺伝的に不安定で,交配で子孫を増やすと,その過程で導入した遺伝子が抜け落ちる可能性が高い。しかし,体細胞クローンなら,その心配なしに,移植可能臓器をもったウシやブタを大量生産できるわけだ。(ドリーを産んだグループは,すでに人間の遺伝子を組み込んだクローン羊のポリーも誕生させている)
 さらに将来には,オーダーメードで移植される人の遺伝子を組み込んだ動物を作り,免疫抑制剤の一切必要ない移植臓器を作る時代がやってくるだろう。そうなれば,今あるほとんどの病気や,老化すら克服可能になるだろう。しかもこの技術を応用すれば,美容整形やピアッシング,タトゥーの延長上に,ファッションとして豹やミンクの皮膚を移植したり,ヤマアラシのトゲ,ヤギの角,トラの牙などを人体に植えつけることも可能になる。
 もちろんこれらは,今の我々にとって気持ちの悪いイメージだし,可能だとしても,倫理的に批判されることは間違いない。しかし,人類の活動の場が宇宙へと広がっていけば,事情は変ってくる。
 現在の人口増加と地球環境問題を考えると,文明を維持するには,ここ200 年あまりのうちに,人類は宇宙へ進出する必要があるだろう。そして,宇宙で生まれ,育ち,死んでいくようになれば,人の心は自ずとかわるのだ。
 宇宙空間は,放射線の影響が地上よりも強く,先天異常の発生率や発ガン率が上がることは間違いない。そうなれば臓器の取り替えや,遺伝子治療,遺伝子改造などはポピュラーな医学として定着するだろう。その結果,地上の古い観念に縛られることのない,新しい時代がやってくる。そのとき人間は,能力はもちろん,姿形から精神構造まで,今の我々とは大きく違った存在に変化しはじめる。
 テクノロジーは,高い能力と安全性とを引き換えに,人間と,ナマの自然との間に被膜を作る。そしてその内部で,人間は知らず知らずのうちに変化していきつつある。
 テクノロジーの被膜は,人類を,より新しい生き物へと進化させる,進化の繭といえるのかもしれない。

----以上

 文明は人類のまとうパワードスーツ、つーことで。

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身体の未来・進化の繭(前編)

 1998年3月に、トレヴィルという出版社から『身体の未来』という本が出版された。
 結局、この出版社は無くなっちゃったんだけど、以下に、この本に収録した「進化の繭・テクノロジーの皮膜」を再録する。
 8年前に書いたものだけど、そんなに古くはなっていないはず。

 アスリートたちの肉体は,とても美しい。あの無駄のない筋肉,流れるようなライン,その力強く,かつ滑らかな動きは,芸術的な感動さえ呼び起こす。
 それにしても,我々は何故,あの姿を美しいと感じるのだろうか。あの美の中に含まれる意味とはいったいなんだろうか。
 世界選手権やオリンピックなどの競技会において,世界記録は年々更新されていく。
 たゆまざる努力。人間の限界への挑戦。新記録は,その証しであることは間違いない。 しかし,改めて考えてみると,この記録の伸びには,少し不思議な点がある。
 イギリスの科学雑誌,natureの1992年1月2日号に,「女性が男性を追い越すのはいつか?」と題された論文が掲載されている。
 これは,カリフォルニア大学ロサンゼルス校の,B.J.Whipp とS.A.Wardによる分析で,ここ100 年あまりの,トラック競技の記録の推移に基づく議論だ。それによると,トラック競技の成績は,どの種目も,過去100 年以上にわたって順調に向上してきたという。しかもその伸びは,滞ったり,緩やかになることもなく,一貫して同じペースで続いている。さらにそれは,女子のほうが,男子の倍以上のペースで速い。このことから,論文では,1998年までに女子マラソンの記録は男子マラソンの記録に追いつき,200 ,400 ,800 ,1500メートルなどでも,来世紀の半ばまでには,女子の記録と男子の記録は,ほぼ同じレベルで並ぶと予想している。
 さて,この予想通り,来年の時点で男女のマラソン記録が並ぶかというと,それは少々難しいかもしれない。
 女子マラソンは当初,非常に成績の伸びが速いことで注目されたことは事実だ。しかし,ここしばらく,記録は停滞ぎみになっている。現在の世界最高記録は,ノルウェーのクリスチャンセン選手が1985年に作った2時間21分6秒で,以来いまだに破られていない。(男子はエチオピアのデンシモ選手が88年に達成した2時間6分50秒)もちろん,突然に新記録が誕生することもありえるが,こればかりは,予想しようのない問題ではある。
 そのことはともかく,この100 年間にわたる,滞ることのない記録の向上という現象は,考えてみると不思議なことではないだろうか。人間の能力なんて,所詮はこの手,この足,この体に規定されるものなのだから,どこまでも記録が向上しつづけるはずはないのだ。
 100 年前の人間と今の人間とを比べると,自動車などの交通機関が発達していなかったぶん,昔の人の方が,肉体を使うことに習熟していたように思える。それなのになぜ,現代人の方が優れた成績を残せるのだろうか。
 その理由はもちろん,いくつもの要素が関っていることは間違いない。しかし,つきつめていくと,それは結局,科学・技術の進歩に負うところが大きそうだ。たとえば,ここ200 年の間に,農業や土木などの技術の進歩によって,安定した食料供給が可能になり,栄養状態は大幅に改善されている。これによって,体格も大きく変化してきた。
 最近の日本の10代の子供たちを見ると,30年前よりは明らかに身長が高くなり,とくに手足が長くなっていることがわかる。体形的にみると,かつての胴長短足から,欧米人のイメージに近付いてきているようだ。
 実はこの傾向は,日本に限ったことではなく,ここ200 年あまり,世界中の民族で起きてきたことなのだ。
 長寿で有名な北欧の人々は,世界でも最も平均身長が高い人たちでもある。これはもちろん,人種的な問題もあるだろうが,体格の向上が,世界で最も早い時期から始まった地域であるという点も見逃せない。
 北欧の人々が,長寿でかつ身長が高いのは,栄養状態の改善が,他の地域に比べて比較的早かったせいだ。そして,その傾向はしだいにヨーロッパ,アメリカへと広がり,最近になって日本に到達したとみることができる。
 実際,日本の戦後,とくにここ30年あまりの栄養状態の改善は,目覚ましいものがある。
 たとえば,1964年の東京オリンピックの時には,特別強化手当てとして,日本代表選手1人あたり,卵10個と牛乳1リットルが支給されたという。つまり,今ではちょっと想像もつかないが,牛乳や卵が,極めて貴重な栄養源だったわけだ。
 面白いのは,子供時代から栄養状態が良いだけでは,体格の変化はそれほど大きくならないことだ。本当に大きな変化が出るのは,幼い時から充分な栄養で育った者の次の世代からで,これはマウスなどの実験でもそういう結論が出ている。そう思ってみると,現代のティーンエイジャーは,確かに栄耀状態が改善されて代目,3代目にあたる子供達だ。
 こうして身長が高くなり,手足の長さが長くなることは,多くのスポーツ競技にとって,プラスの働きをする。(体操やマラソンは体が小さい方が有利なため,必ずしも全ての競技でプラスというわけではないが)
 肉体のパワーは,もちろん筋肉から発生されるわけだが,この力の強さは,筋肉の断面積に比例し,スピードは筋肉の長さに比例する。つまり,身長が高く,手足が長いほど,スピードは速くなり,それだけ競技能力のポテンシャルが向上するわけだ。
 栄養状態の改善は,基礎的な体力も大きくアップさせる。たとえば,現在も存在するアフリカなどの飢餓地帯では,ロタウィルスなど,日本人の幼児なら単なる下痢ですんでしまう病気が,命に関る重大な問題となる。
 現代の日本では栄養の渦状摂取とか,食品添加物の害などがクローズアップされ,それはたしかに反省すべき点も多いのだが,生命を守るという点では,飽食は,飢餓の恐ろしさを克服する最大の特効薬なのだ。
 ただ,ここ10数年に限っていえば,スポーツサイエンスの進歩と,道具の技術的な改良が,成績の向上を後押しする点で,かなり大きな比重を占めているといっていいだろう。
 オリンピックや世界選手権が近づくと,テレビや雑誌などで,選手用に特別にあつらえた靴などの話題が紹介される。限りなく軽量な靴とか,地面に効率良くエネルギーを伝えられるスパイクピンの配列などといった,最新技術の紹介などを目にした人も多いだろう。
 これらももちろん,競技の成績を引き上げてはいるのだが,それ以上に大きな効果をもたらしたのは,競技用トラックの変化だ。
 現在の陸上競技のトラックは,全天候性トラックといって,かつてのように良く整備された地面ではなく,小さなゴムのチップを固めてシートにしたような材料でできている。これは80年代に開発された材料で,基本的に2つの機能を備えている。
 まず1つは,このトラックの上ならば,固い地面に比べて足に加わる衝撃が減少して,傷害の起きる可能性を抑えられるというものだ。つまり,競技の安全性確保のために,このトラックは役立っている。
 そしてもう1つの機能は,選手の能力を最大限に発揮させることにある。
 このトラックの固さは,ちょうど足のバネの硬さの倍くらいに設定されている。その理由は,この固さが,人間の筋力をもっとも効率よくスピードに変換できるからだ。そのため,理論上,この種のトラックを使うと,硬い地面に比べて3パーセント近く,記録が向上するという。(ただし,そのためには走りかたや,鍛えるべき筋肉の種類を,従来とは変える必要があるが)
 ようするに,競技者を「守る」技術が,成績を大きく引き上げる働きをしているわけだ。
 このようなことは,なにもトップアスリートたちの世界だけに限ったことではない。
 たとえば,アスレチックジムなどに出かけると,非常にたくさんの種類の,筋力トレーニング用マシンが置いてあることに気がつくだろう。しかも,その種類は,年を追うごとに増えていっているように感じられる。
 これを見ると,いったいどうして,あれだけたくさんの種類が必要なのか,不思議に思わないだろうか。
 マシンは何のために存在するのかというと,それは自分が「鍛えたい」と思う筋肉を,「安全」に鍛えるためにある。
 たとえば,人間の腕は,肩に3,ひじに2,手首に2の合計7つの自由度があって,自在にどちらの方向にも動かせる。これが,人間の手の器用さの秘密のひとつなのだが,自由度が高いぶん,故障も生じやすい。
 一方マシンは,関節1つを,ある方向にしか曲げさせないように作られている。つまり,身体を拘束して,その自由度を奪う機能を持っているわけだ。
 これによって,関節は予想外の動きをしなくなる。トレーニング中,大きな負荷がかかったまま,関節がアサッテの方向に曲がって体を痛めるといった心配がなくなるわけだ。
 それに,特定の動きだけをすることで,自分の望みの筋群だけを,効率的に鍛えることができる。その代わり,一つのマシンでは小数の筋群しか鍛えられない。それが,マシンの種類がくさん必要になる秘密だ。
 運動選手の肉体を極限まで高める合理的なトレーニングは,つきつめれば目的の競技に必要な筋群だけを鍛え,それに無関係な筋肉はそぎ落とすところに行きつく。競技に無関係な筋肉は単なるデッドウェイトだし,場合によっては,必要な動きに干渉して,能力を鈍らせることさえあるかもしれない。
 そこで,マシンを使ったトレーニングを行えば,まさにそういった,必要な筋群だけを鍛えることができるわけだ。
 さらにいえば,最近のバイオメカニクス研究の進歩によって,特殊なマシンを使って,筋肉を作る筋繊維の中から,ある速度で収縮するものだけをターゲットにして鍛える,アイソキネティック・トレーニングというものまで生れている。筋群どころか,マイクロレベルでの筋繊維のチューニングまで可能になってきたのが,現代のスポーツ科学なのだ。
 これだけの事がやれるのだから,競技の成績が上がり続けるのは,むしろ当然といっていいだろう。
 ただ,こういったトレーニング法の改善の流れは,人間の運動能力の絶えざる向上ということよりも,もうすこし別のことを意味しているように思えてならない。
 たとえば,最近流行のトレッキングで,舗装されていない高原の道などを歩くと,翌日は決まって筋肉痛におそわれる。それもお尻の付け根とか,ふくらはぎの横など,いつもはあまり経験しないような場所に,痛みが現れることが多い。
 これは,必ずしも運動不足のせいというわけではない。実際,毎日のように,ジョギングなどで体を動かしている人でも,やはり同じようなところに痛みが出ることが多い。
 いつも運動しているのに,筋肉痛になるのは何故なのだろうか。そのわけは,運動の質の違いにある。
 我々が日常歩く舗装道路は,非常に平坦にできている。しかし,トレッキングで歩く自然の道は,小石が落ちていたり,小さな起伏があったりで,意外にデコボコしているものだ。そういう場所を歩くとき,身体は微妙に前後左右に動いて,バランスをとろうとする。
 つまり不整地を歩くときは,舗装された道路を歩くときには使われない筋肉が,歩行を微調整するために使われている。
 しかし,舗装道路でいくらジョギングをしても,そういった微調整用の筋群はほとんど出番がない。そのためその筋群は,結果として運動不足に陥り,トレッキングの翌日の筋肉痛として存在をアピールするわけだ。
 不整地を歩くとき,人間は無意識のうちにたくさんの筋肉を使用する。しかし,舗装道路を歩いたり,陸上競技用のトラックを走るときは,ごく一部の筋肉で充分なのだ。
 つまり,合理的にトレーニングを考えるなら,競技場ではあまり必要のない微調整用の筋群や筋繊維は,鍛える必要はない。同じ量のトレーニングをするなら,全天候型トラックの特性を引きだす筋群,筋繊維に狙いを絞ったほうが,より優れた記録を出せるだろう。
 いろいろな競技のスポーツ選手たちの身体をみると,その肉体のフォルムは,スポーツの種類によって明らかに違っている。
 たとえば100 メートル競技のトップアスリートたちは,人種こそ違え,遠目には同じような身長,同じような腰の位置,同じような足の長さをしていて,非常によく似ている。
 これは明らかに,淘汰の力によるものだ。
 100 メートル走は,あらゆる競技のなかでも,肉体的な条件が,最も限定されるものといえるだろう。完全な無酸素運動で,エネルギー源はグリコーゲンのみ,持久運動に必要な脂肪は一切必要とせず,筋繊維の中でもとくに収縮の速いものだけが必要になる。また,その筋肉の力を効率良く地面に伝えるための,身体の大きさや足の長さ,肉付きのパターンも自ずと決まってくる。つまり,今の全天候性トラックの上では,人間はあの形にならなければ,勝ち抜くことはできないわけだ。
 その肉体を,我々はどういうわけか,美しいと感じている。その美意識は,いつまでも時代を越えて維持されていくのだろうか。
 サラブレッドの走る姿は,優雅でとても美しい。しかし,サラブレッドを農耕馬として使うことはできない。そんなことをしたら,あの細い足は簡単にへし折れてしまうだろう。サラブレッドの美しさは,早く走るためにチューニングされた,繊細で脆弱なフォルムの美しさだ。
 それと同じように,陸上競技の選手たちのフォルムも,たぶんこれからもますます美しく変化し,ますます記録は向上していくだろう。しかし,その選手たちには,たぶんかつてのアフリカの草原のようなところで,ハダシで全力で走りまわるるような能力はない。
 そんなことをしたら,彼らの「ひ弱な」足は,たちまち壊れてしまう。
 競技者は,筋肉の鍛え方から,意識されることのほとんどない地面の具合まで,文明の力によって守られている。守られることによって,予想外の動き,事件に対する準備をする必要が無くなり,そのパワーを記録向上だけに振り向けることができるようになった。


後編に続く……

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2006/06/04

秋葉原をご案内してみた


 先月の31日のこと。名古屋から仕事で上京した友人を、秋葉原にてご接待した。


 駅前で待ち合わせて、ビラなどを配っているメイドさんにしばし見とれる。外国人観光客らしき人たちが、代わる代わる一緒に写真を撮っていました。

 それから、ワシントンホテルをちらりと見物。
 ここはバブル時代、日本でいちばんたくさんスパイが泊まっていたホテルだと紹介する。 ここに泊まって秋葉で部品を買い付け、ソ連や北の方に運んでいたらしい。

 その後、秋葉原の歴史が凝縮されている、ラジオ会館へ。
 ラジ館久しぶりだなあ。
 昔と変わらない電子系店舗も若干残っているけど、多くがフェギュア屋さんや同人誌屋、カード屋さんなどに置き換わっている。

 しかし、ガシャポンて何でもあるんだね。美術デッサン用の塑像のシリーズがあったのには驚いたよ。

 ガンプラ専門店もあり、いっしょにケロロのプラモも売っていた。まあケロロはガンプラの一種か。

 TK-80からはじまるNECの古いパソコンの専門店もあった。ここは昔は普通のパソコン屋だったよなあ。僕が最初に仕事に使いはじめたパソコンPC9801Eも展示していた。これに8インチ・フロッピーディスクをつけて使っていたんだよなあ。

 一通りラジオ会館を見物した後、いよいよメイド喫茶へ。
 目的地は、友人のひげ五郎さんが事前に教えてくれた「メイド・イン・エンジェルズ・カフェ

 途中、今や秋葉原名物となった、おでん缶自動販売機を見せる。
 ケータイで自販機の写真を撮っている女性がいたよ。

 道すがら、店に入ったときにメイドさんたちが「お帰りなさいませ、ご主人様」と挨拶するスタイルは、実は名古屋で確立されたものだといううんちくを、友人に披露される。なるほど。

 目的のビルに到着。看板を見ると、メイドさんによるマッサージの店がある。
 
 おもしろそうなんで、入ってみようかと言うことになった。

 事前の調査で、この隣のビルにメイドさんによるリフレクソロジーの店がある事を知っていたので、てっきりそのお店なのかと思っていたら、どうも話がかみ合わない。店名をよく見ると、全く別の店だった。どうやら、メイドによるマッサージ系のお店は、最近かなり増えているらしい。

 受け付けで、いきなり身分証明書の提示を求められてちょっとびびる。
 まあ、これはメイドさんの、安全確保のための措置なんだろうね。

 待合室の大型テレビでパンダコパンダをやっていた。

 手と腕と肩と目のコースがあって、各10分1500円で、20分より受付とのこと。
 高い、のかな?手と腕を各10分ずつお願いする。

 実はオレは生まれて一度も、他人にマッサージされたことはないのだ。
 その相手がメイドさんとは。

 こういう場合、かわいらしいメイドさんに手をにぎにぎされながら、どきどきするような会話を楽しむのが筋なのでしょうが、なぜか取材のようになってしまう私の悲しさよ。

 一応、コスプレとは、そもそもアメリカのSF大会から輸入されたものだという、年寄り臭いうんちくは語っておいた。

 担当のメイドさんは、大学生のアルバイトで、就職が決まっているので、卒業したらやめるとのこと。おたく系の趣味はなく、秋葉原の街のこともほとんど知らない。高校時代は私服で、制服にあこがれがあり、コスプレをしたかったので、制服が気に入ったこの店を選んだよし。

 バイト料は秋葉原界隈の普通のバイトと変わらないけど、いろいろな人の話が聞けるので、やってて楽しいとのこと。メイド系のバイトは、結構人気があるようだ。

 マッサージの店はやや高価なので、若い人はほとんど来ず、仕事を終わったサラリーマンが多いそうだ。だから、夕方から忙しくなる。あと、土日も忙しいらしい。土日は人出が多いもんね。

 この店は、ひげ五郎さん紹介のmia*cafeと経営が同じで、メイドさんたちみなさん非常に可愛らしかった。穏やかで、リラックスできたような気がしました。

 料金を払うと、レシートにパスワードが。
 これをホームページで入力すると、会員専用のページが見られるそうだ。
 でも、有効期限は5月いっぱいとのこと。
 あー、急いでお家に帰らなきゃね、と、軽く冗談をとばして店を出る。

 で、その流れで、下の階のmia*cafe に入る。

 ここで、絶対領域というものを鑑賞。

 この店は、ひげ五郎さんの言うとおり、メイドさんのレベルが高いけど、「お帰りなさいませ。ご主人様」とはいわないので、ちょっとがっかり。

 しかし、注文を聞くときは跪いて、目線を客より低くするのがメイド風なのかな。担当してくれたメイドさんの名札は「そば」。ホームページを見れば解るとおり、かなりの美人さんでした。

 なぜそばなのか、興味を持ったけど結局聞かなかった。厨房には金髪の外国の方がいらっしゃる。ホームページ情報によると、エレノアさんらしい。

 こうやって、ホームページで色々調べられるのは面白いね。メイドさんのアイドル性を高めて、世界を広げますな。

 僕はアールグレイを頼み、友人はアイスティ。ミルクやガムシロップをお入れしますかと聞かれるが、いらないと答える。僕はいつも入れないから。

 友人は、じゃあミルクをというと、ではお入れしますから、ちょうど良いところでストップと言ってください、とメイドさん。

 なるほど、こういうサービスなのか。何か入れてもらえば良かった。惜しいことをした。

 皆さんもメイドカフェに行くときは、そういうことがあるので注意しましょう。

 しかし、ミルクのサーバーに満タンにミルクが入っていたらしく、そばさんは、テーブルの上にたぱたぱとミルクをこぼす。

 ああ、すいません、今お拭きします、とあわてた様子。

 僕はそれに少し引っかかりを感じる。

 お茶を飲み終わり、「ご主人様」といってもらえなかったのは名残惜しいとのことで、もう一件メイド喫茶に行こうということになる。メイド喫茶のハシゴである。

 そこで、やはりひげ五郎さんの紹介してくれた、キュアメイドカフェに向かうことに。

 途中、やはり秋葉原らしい店ということで、あきばおーを見せる。

 それから、駅前から帰還しつつあるメイドさん3人連れとすれ違う。

 そういえば、昔、中央通りの末広町付近に、メイド姿でラッセンの絵を薦めるキャッチセールスのお嬢さんたちがいた。狙いをつけた人を、ずーっと秋葉原の駅前くらいまで追跡していって、捕獲に失敗すると、ジョギングしながら店の前まで帰ってくるのね。メイドの姿で、二人一組くらいで。

 なんとなく、肉食獣のハンティングを思わせる恐ろしさを感じたなあ、という事を思い出す。

 キュアメイドについたのが7時45分くらいで、なんと8時に閉店なんだと。エレベータの扉を開けたら、もうおしまいですごめんなさいと言われる。

 そうか、秋葉原は基本的に時間が早いもんね。週末はもう少し遅くまでやるみたいだけど、メイド喫茶に行かれる方は遅くならない方がいいみたい。

 しかしこのキュアメイド、ガシャポン会館の上にある店で、昔々、秋葉原にメイドカフェが2件しかなかったころに、一度知り合いの取材につきあって来たことがあった店だった。当時はまだ、お帰りなさいませご主人様というスタイルはなかったし、そのときは、メイドさんのメイド服が少し汚れていた……作業着だから当然ではあるが……のでちょっとがっかりしたことを思い出した。

 キュアメイドがダメとなるとどうしようか。
 すると友人は、めざと女中甘味処という店を見つけて、ここが良いという。

 アットホーム・茶房だと。メイドカフェじゃなくて女中カフェね。コスチュームは、振り袖に袴。

 場所は、知っている人は知っている、老舗、ぷらっとホームの跡地なんだよね。

 この店は、来店すると女中さんたちがいっせいに「お帰りなさいませ、ご主人様」と合唱。女性客の時は、「お帰りなさいませ、お嬢様」だ。

 このセリフが聞けたのには満足したけど、客が来るたびに言うので、だんだんもう良いよって感じになってくる。なんとなく、ブック・オフの明るい挨拶に似た雰囲気を感じる。

 ここの店は、席のチャージ料300円取るよ。
 その代わり、あられとお茶が、おかわり自由でサービスされる。

 中央のカウンターの中が畳になっていて、客はいすに座るけど、女中さんは畳で正座してお給仕する。なかなか面白い店の作りだ。

 時間が遅かったので、すでに食事メニューは終わり、残念ながら、飲み物しか注文できない。抹茶を頼むと、女中さんが目の前で点ててくれるそうだけど、それももうおしまいとのこと。残念でした。

 二人とも抹茶ミルクを頼む。ここでもミルクや、ガムシロップをついでくれるサービスがあったのだった。ガムシロップをお注ぎしますかと聞かれる。だが、断る。あー、経験に学ばないオレ。

 友人はガムシロップをついでもらうが、そこで女中さんがシロップをこぼし、あっ、す、すいません、今拭きますからとあわてる。デジャ・ビュである。

 しばらくすると、斜め向かいの席の客のところでも、何かをこぼして、あわてている。

 うーん、この「こぼしてあわてる」もメイド系喫茶のサービスの一環なのだろうか。

 隣の席の人は僕らより前に入店していて、食事の注文ができたようだ。食事を運んできた女中さんが、「お料理が上手な女中さんが、一生懸命作っているんですよ」などと物語る。壁には今日の調理担当の女中さんの写真が貼ってある。

 のれん越しに厨房が時々ちらっと見えるが、調理担当の女中さんは、たすきがけして作業している模様。なかなか演出が凝っているなあ。

 萌えみくじというのがあって、まあ普通のおみくじみたいなんだけど、これをサービスする担当の女中さんは決まっているみたい。

 この女中さんは、アニメの中に出てくる可愛い女の子らしい、ちょこん、とか、ぴょこん、みたいな仕草をしている。プロの心意気を感じる。そうでもないか。

 満面の笑みを浮かべながら、なんどもお茶のおかわりをしている男性客がいて、とても幸せそうだ。

 友人は、制服があまりに化繊っぽいのがいまいちだといいつつ、かなり気に入った模様。
 また来たいとのたまう。

 閉店時間になったので、店を出た。タイミングをうまくはかれず、「行ってらっしゃいませご主人様」とは言ってもらえなかった。退席にもあ・うんの呼吸がいるね。

 何も食べていなかったので、じゃんがらラーメンにてぼんしゃんを食べておひらき。

 なかなか楽しいひとときを過ごせましたよ。

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