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2006/05/01

再録・メディアはメッセージなんだよほほん

 昔々、僕がまだ物書きを始めるまえ、SFフ科会で柴野拓美(小隅黎)さんが、「何十年も前の若い頃書いたものを読み返すと、今とほとんど同じことを考えていたことがわかって驚く」と言うようなことをおっしゃっていた。

 そのときは、へえ、そんなものなのかな、と思ったものだけど、今ではそれが実感としてよくわかる。もちろん、今では若い頃には不可能だった発想もたくさんできるのだけど、骨格的なところについては、昔も今もあんまり変わらない気がする。

 そんなわけで、ログイン88年1月号に書いた、「メディアはメッセージなんだ、よほほ~ん」を再録する。これは単行本の「オールザット・ウルトラ科学」にも載せたものだ。

 今読み返すと、ちょっぴり恥ずかしい気もするのだけど。ただ、これで書いたことは、これからこのブログで書いていきたいこととも、少し関連しているんだよね。


 「メディアはメッセ-ジである」というのは、マクルーハンという人がいっていたコトバらしい。これはいったい何がいいたいのかというと、ようするに、何かを伝えたいと思ったときに、それを伝えるメディアの種類によって、メッセージの内容が変わってしまうっていうようなことなんだそうだ。なんか、伝聞型で煮えきらない書き方だけど、伝聞だし煮えきってないからなんですよ。ごめんなさいね。
 どうしてこんなことをいい始めたのかというと、ぼくが以前から考えていたことを「ああ、それはマクルーハンだね」なんていわれちゃったからなのだった。それで、一応「メディア論」を読んでみたんだけど、ワタシの脳ミソが不足しているせいか、いわんとするところがいま一つ理解できない。
 「メディア論」はすでに現代の古典とさえ呼ばれる名著で、多くの人に感銘を与えたものなんだけど、そういうのを読んでもあんまりよく分からないというのはなんだかとって
も悲しいわ。もっとも、我が敬愛するファインマン先生は、「現代思想家なんぞというボケどもは、単純なとるにたらないことを、ゴタクを並べて複雑に見せようとするタワケどもなんで困る」なんていってくれるので、ぼくも思わず安心してしまうのだった。立ち直りの早いヤツでしょ。
 それでだ、まあ、マクルーハンが何をいっているのかはこちらにおいといてえ、ぼく流の「メディアはメッセージなんだ、よ~ん」というお話を今回はしたいのだった。
 人間ていうのは、いろいろな形で自分を表現して、他人にメッセージを送り出しているよね。でも、そのときの伝達手段=メディアの性質によって、人間の精神状態ってのはずいぶん変わってしまうことがあるようだ。
 人間に備わっているコミニュケーション手段の中で、もっとも基本的で素直なものは、対話だよね。ようするに、面と向かってお話をするってやつだ。
 この場合は、視覚で相手を見ていると同時に、声を聞いている。また、相手が側にいるというライブ感覚もある。場合によっては、ポンなんて肩をたたいたり、そっとだき寄せたり、その他モロモロの肉体的な接触もあるかもしれない。……といったぐあいに、対話は相手に与えあう情報量がもっとも多くなるコミニュケーション手段だ。
 対話の場合は、こういうたくさんの情報を利用して、相手のいわんとするところを理解したり、相手がどんな人間性をもっていて、今はどんな気分なのかといった質感=テクスチャーを感じとったりしているわけだ。
 ここでポイントになるのは、いわんとするメッセージの内容と、テクスチャーとは、あまり切り離して考えてはいけないということなんだよね。
 話の内容とテクスチャーというのは本来独立のもので、内容を正しく理解するには、相手のテクスチャーなんか関係ないような気もするけど、現実はそうじゃなことのほうがはるかに多い。
 たとえば、初対面の人でも、なんとなく気にいらない人間の喋っていることは、ハナから間違っているだろうと思ってまともに聞かないってのがある。これは困ったことだけど、人情なんだよね。逆に印象のいい人の喋ることは、内容もなんとなく正しそうな気がしちゃうのだ。
 あるいは、たとえば、本とかで読んでもなかなか分からないことでも、誰か詳しい人に言葉で説明してもらうと、非常に分かった気になっちゃうことがある。これはべつに説明のうまい人だからってわけじゃなく、活字だけではテクスチャーが不足してどうも納得できなかったというのが真相のようだ。
 そして、このテクスチャーというのはメディアの種類によって、明らかに違ってくるんだよね。たとえば、対話と電話で喋るときと、手紙を交換するときでは、どうもこのテクスチャーに明白な差がでてくるような気がする。面と向かって喋っているときは、温厚な感じなのに文章を見てみると以外と過激だったり、対話では無口でも電話では饒舌になる人ってけっこういるわけだ。
 どうしてそうなるのかというと、一つには、メディアのもっている制限によって、対話の時と他のメディアのときでは違った印象になってしまうことがあるだろう。ちょうど、肉声と、フィルターを通して低音域をカットした声を聞き比べてみると、後者はキンキン声になって別人の声のように感じられるのと同じように、メディアのもつ制限がテクチャーのフィルターになることがある。
 電話じゃ声しか聞こえないとか、手紙じゃ相手と面と向かえない、なんていう制限が、テクスチャーを変えてしまう。そして、テクスチャーの変化はメッセージの内容の変化とも切り離せないから、同じ内容のメッセージでも結果として、メディアによって違った形になって伝わるわけだ。
 でも、これは実はメディアによってテクスチャーが変わるから、話の内容が正確に伝わらなくなる、ということとはちょっと違うようだ。というのも、メディアによって、相手の印象がかわるだけじゃなくて、こちらの精神まで変わってしまうことがあるんだよね。
 たとえば、対話するときと、電話で喋る時を比べてみると、自分の性格がちょっと変わっちゃってるんじゃないか、なんて思うことさえある。こういう経験って長電話が好きな人なら結構あるんじゃないかな。
 全体の傾向としては、電話で喋るときは、面と向かってはあまりいわないような話題を喋ったり、聞いたりすることがあるようだ。というか、対話のときの話題というのは、どちらかというと日常生活にわりと近い部分について話すことが多いのに、電話ではそれとはちょっと違うところにまで、簡単に話題が進むような気がする。たとえば、相手の育った環境とか、昔話とか、理想とか、なんか面と向かうとなんか気恥ずかしくて喋れないことまで話題にできるようだ。なんというか、対話よりけっこう深いところまで、わりと自然に聞いたり喋ったりするんだよね。
 こういう違いがでてくる理由というのは、相手の顔が見えないから、というような単純なものではないような気がする。
 電話の場合は、確かに対話に比べて視覚の情報が無いぶん、表情とか身ぶりといったノンバーバル・コミニュケーションがなくなってしまう。だけど、その代わり音声的なノンバーバル情報をかなり敏感に感じとれる。例えば、言葉の抑揚とか、喋るときの間なんていうのは、対話の時以上によく気がつくようになる。
 つまり、電話というメディアは、対話というメディアよりも、情報量が少ないわけじゃない。もっと、情報の質が変わっているって感じなんだな。
 もちろん単純計算で測るような情報量はたしかに減っているんだろうけど、メディアの変化によって、人間という情報の受け手も変化するので、他のメディアとは別の種類の情報が強調されて得られるようになるわけだ。これは言葉をかえれば、同じものでも別物に見えてくるということになる。
 人間がものを見たり、聞いたり、感じたりするのは、すべて無意識のうちのある前提に基づいている。たとえば、実写映画のリアリティとアニメーションのリアリティっていうのは、かなり違ったところにポイントが出てくるんだよね。
 たとえば、宮崎駿のアニメ『ルパン3世・カリオストロの城』のなかで、ルパンは城の塔から塔へぴょんぴょんと飛んじゃうシーンがあった。あの演出って、ストーリーにユーモラスさを与えることはあっても、作品のリアリティまで失われてしまうことはなかったはずだ。しかし、もしあの映画が実写の作品ならば、きっとリアリティまでぶちこわしにしてしまうに違いない。
 どうして、アニメならばリアリティを保ったまま、あんな表現ができて、実写ではできないのかというと、アニメを見ているものにはあれはウソの世界だということが無意識の前提になっているためなんだよね。つまり、これは現実じゃないから少々のことがおきても不思議じゃない、という感覚があらかじめある。そういうゲタをはいた状態で見ているから、少々変なことがおきても、それがおかしいとはあまり感じないわけだ。
 これは演劇なんかでも同じで、演劇っぽいいい回しや喋りかたなんて、あの劇場という空間でなければ、リアリティなんてかけらもない。ただのマヌケにしかみえないだろうけど、ひとたびあの演劇空間内でああいう演技がされれば、ライブ感覚と相まって、強烈なリアリティをつくり出すことができる。
 ようするに、ぼくたちはあるメディアを使おうとするときに、無意識のうちに、そのメディアの表現を受け入れるに最適な精神状態に変わってしまうのだ。つまり、何かメッセージを伝えるばあい、送り手の精神も、受けての精神も、なんらかの形でメディアの影響をうけ、結果としてメッセージの内容にもなにがしかの影響があるというわけだ。まあ、これは認知科学的な説明をすれば、物事はなんでもスキーマを準備しなければ認識できないので、当然のことなのかもしれないけどね。
 こういうのって、対話と電話だけでなく、もちろんもっといろいろなメディアでそれぞれ変わった特徴がでてくる。たとえば、無線とか市民ラジオっていうのは、声だけを伝達するメディアだけど、電話とはまた違った感触がある。
 無線というのは、無線機のボタンを押しているときは、喋ることができても聞くことができない。逆にボタンを押していないと、聞くことはできても喋ることはできない。だから、こちらが一通り喋ったら、オーバーといって相手に喋る権利をわたすわけだ。
 電話のように、同時にどちらも喋れてどちらも聞けるというのを全二重通信といい、こういう無線タイプのを半二重通信という。まあ、パソ通やってる人なら、先刻承知のことだよね。で、まあ、この半二重というのが、全二重のときとはまた違った精神状態を生み出すみたいなんだよね。
 普通、二人で会話をするときは、片方がひとしきり喋って、それを受けてもう片方が喋って、という具合いに続いていくから、全二重だろうが半二重だろうが変わらないような気がする。ところが、実際にやってみるとそうじゃないんだよね。
 全二重の会話というのは、片方が話しているとき、もう片方はただ聞いているだけかというと、実はそうじゃない。というのは、聞き手は、あいずちとか、表情の変化などで、話し手にかなりのリアクションを返しているんだよね。
 だから、話しているほうも、相手の反応を見ながら、少しずつ話の内容を調節して、相手に受け入れやすいように軌道修正していくことができる。
 ところが、無線のような半二重通信っていうのは、それができないんだよね。
 その結果、話しているほうの感覚としては、どうも独り言をいっているような感じになっちゃうのだ。
 それから、伝言ダイヤルっていうのは、不特定多数を相手に、しかも一定時間のうちに消去されてしまうという特徴をもっているので、そこに参加してくる人たちの精神というのが、結構普通じゃないところがあると思う。その限られた時間のなかで、非日常を楽しもうというような感覚が、無意識にあるような感じだ。そのために、ある人は、このメディアをまるで便所のラクガキみたいな感じで使ってしまうし、あるひとはちょっとしたふれあいの場って感じで使ったりもする。
 このほかにも、一見似たものなのに、実はメディアの性質は違っているので、そこで表現されるものも違ってくるっていうものもある。
 たとえば、映画とテレビっていうのはメディアの性質上、非常に似たところがあるよね。だけど、画面の大きさが違うというハードウェア的な差があるから、表現方法としてはテレビの方が、映画よりもアップが多く使われるようになる。最近の映画は最初からビデオ・リリースを考えて作っているものが多いけど、こういう作品って映画なのにやたらバストアップの絵が多用されることが多くて、映画館でみるとなんだかものすごく疲れてしまうことがある。
 一方、テレビは即時性を兼ね備えたメディアだから、ニュースみたいなものを非常に面白く表現できるという特徴もある。映画とテレビは、ちょうど小説と雑誌のような違いがあるといってもいいかもしれない。
 でも、あれだけ似た性質を持ったメディアなんだから、やろうと思えば、テレビだって映画のような形でドラマを作ったりすることはできるはずだ。ところが、テレビでは映画っぽい形のドラマはあまりつくられない。これって、まあ広い意味でのメディアの制約といえるだろうけど、ハードウェアの制約というよりは、視聴率とか経済原理とか、社会的な要求によるものなんだろうね。
 これからの時代、メディアの種類はどんどん増えていくだろうけど、そういった使用法がまだ確立していないメディアで、人間の精神がどんなふうに影響を受けていくのかって問題はなかなか興味深いものがある。たとえばパソコン通信、ハイビジョン、テレビ電話、あるいは宇宙空間における通信とかでね。

最終更新時間 2006年05月01日 00:51

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トラックバック時刻: 2006年05月16日 04:41

鹿野さん、はじめまして。虎次と申します。

『オールザットウルトラ科学』と『くねくね科学探検』は学生(生徒)時代に愛読しておりました。ログインを捨てる時にもここはスクラップして何度も読み返していました。

なかでもこの「メディアはメッセージなんだ、よほほ~ん」は、最近も単行本で読み返してうなずくことしきりでして、ぜひ知り合いにも広く読んで欲しいと思っていたので待望の再録です。どうもありがとうございました。

鹿野さんの今の文章も読みたいのですが、過去の文章にも読みたい・(知人に)読ませたいものがたくさんありますので、ぜひ再録のほうも積極的にお願いいたします。

今後もさらなる御活躍を期待しております。

投稿者 虎次 : 2006年05月07日 12:43

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