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2006/04/01

西洋の科学はなぜうまくいったのだろうか

 以前、原罪という奇妙な考えはなぜ生まれたのかでも少し触れたけど、ユダヤ教は「絶対的な価値観」という概念を発明したのではないかと思う。

 ユダヤ教では、十戒の逸話に象徴されるように、神との間に契約関係をむすぶ。これは、人間が決めるルールを超越した、客観的なルールというか、正義って物があるということを主張しているわけだ。

 出エジプトを決行する時に、多数の部族をまとめる必要があったモーゼは、部族ごとの価値観の違いによる対立に、ほとほと困り果てていたのだろう。そこで、その解決手段として編み出したのが、唯一絶対神から十戒という成文法を授かったという神話だった。

 この十戒は、部族ごとのローカルな価値を超越した、唯一神による絶対的な価値観で、全ての部族が従わざるを得ないものだった。

 しかもそれは、ある日突然現れる。つまり、普通に生活しているだけでは容易には気づけない、隠されたこの世の真実があるのだということも意味している。

 これは実は、現代科学の根幹に関わる発明品でもあったろう。

 科学の起源というと、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった、古代ギリシアの哲学者たちを思い出すのが、まあ普通の考え方だろう。確かに彼らは論理的な推論などの、今の科学が備える基本的な要素のいくつかを編み出した。

 しかし、彼らは学派を形成して、自分たちの哲学は、門外不出としていたのだそうだ。
 つまり、その世界観は仲間うちだけのローカルなものだった。
 
 もちろん、彼らは自分たちの学説がローカルなものと、自覚はしていなかっただろう。 自分の学派の哲学が、世界の真実にいちばん近いと、誇りを持って考えていたに違いない。

 つまり、他学派の哲学は参考にすべき点はあるにしても、より深い認識を持つのは自分たちだと、お互いに考えていたと思う。

 このとき、学派間の関係は水平的なわけで、それはモーゼを悩ませた諸部族の対立関係と何ら変わるところがない。

 また、こういう形での自然理解は、世界中のあらゆる場所、あらゆる時代の人々が、同じようにしていた事だと思う。

 ところが、モーゼの法はそれまでの部族内部の価値観に対して、メタレベルで優位にたつものだった。なにしろ、それは唯一絶対神の言葉なのだし、誰もがはっきり解るように10箇条の条文になっている。

 つまり、それまで漠然と信じられていた諸部族の内部価値は、より上位の価値観によって再評価される必要があるといったのが、モーゼの画期的なところだったわけだ。

 ところで、現代の科学は、時空を越えて通用する法則がある事に、基本的な信頼感がある。これは強烈な確信で、それが疑える事に、ほとんど気がつかないほどだ。だけど、それには実は論理的な根拠はない。ただそう信じているだけだ。

 なぜ、こんな確信が生まれたのだろうか。それは、ユダヤ教による絶対的な価値観の発明によるのではないだろうか。

 こういう絶対的な価値観への信頼感が背後になければ、現代につながる科学的な発見の多くは成り立たなかった。

 たとえば、ニュートン力学を知っている人なら、高いところから物を落としたとき、重い物も軽い物も、同時に地上に落ちる事を知っている。でも、これは経験的には決してわからないことだ。

 なぜなら、重い石は軽い羽より、明らかに早く落ちるからだ。その自然の姿を、いくらありのままに観察しても、力学の法則は決して見えてこない。

 それにも関わらず、力学の法則が発見できたのは、ありのままの自然を、見かけ上そうなっているだけだと信じ、それを越えた普遍的な法則があると、根拠なしに信じる必要がある。ヨーロッパだけに現代の自然科学に連なる動きが出たのは、それがあったのではないだろうか。

 ユダヤ教に発する、「絶対的な価値観というものが存在する」という認識がなかった他の文化圏では、素朴な世界認識を越える法則について思いを馳せることは、できたとしても例外的で、かなり難しかったに違いない。

 たとえば和時計というものがある。これは、西洋から伝わった機械式の時計をベースに、日本で独自に発展を遂げたものだ。これは、なかなか凄いテクノロジーだったりする。

 日本への機械時計の伝来は、1551年にフランシスコ・ザビエルによって行われた。
 その後、キリスト教の広がりとともに、たくさんの時計が持ちこまれて、それを修理したり、真似して作る職人も増えていった。そして、1639年の鎖国の完成によって、時計技術もヨーロッパとの交流がなくなり、お互いに別々の発展を遂げていくことになる。

 西洋の場合、機械時計の発明によって、時間を等分する定時法が採用されていった。つまり、ぼくたちが今使っている時間の刻みかたと、基本的に同じやり方だ。

 ところが、日本では、日の出、日の入りを基準として、それを均等に分割して時を数える不定時法が採用されていた。つまり、一時の長さは、春分の日か秋分の日以外は、昼と夜で違っているし、その長さは毎日変化していたわけだ。そのうえ、場所によっても違ってしまう。そこで和時計は、日本独自の工夫によって、一時の長さが毎日変化したり、場所による補正ができるように作られていた。

 現代人の感覚からすると、これは奇妙なやり方だと感じるかもしれない。毎日時間長さが違うんじゃ、ややこしくてしょうがないもんね。だけど、これだと、何時(なんどき)といえば、一年中どの季節でも、太陽がだいたいどのあたりにあるか解ることになる。ところが定時法では、夕方6時といっても、夏ならまだ明るいし、冬なら真っ暗で一定しない。

 和時計が刻んだ時間は、季節の変化に連動する相対的なものだった。実はこれは世界的には普遍的な感覚で、古代ギリシアから中世ヨーロッパまで、この不定時法が用いられていた。これにたいして、西洋の時間は、時計が発明された14世紀以降、定時法という絶対的な時間尺度の採用へと動いていった。

 西洋の機械製作技術は、当時の日本に比べて決して劣っていたはずはないのに、なぜ和時計のようなしくみを編み出さず、時法を変える方向に進んだのだろうか。

 それはやっぱり、季節や場所の変化にとらわれない、絶対的な時間の刻みがあるという感覚を、受け入れやすい素地があったからだと思う。

 現代科学が、ほかの文化圏にも存在した科学的な行為と決定的に違うのは、基礎科学に対する基本的な信頼感だ。基礎科学とは、要するに全く何の役にも立たないことが確実にわかっているか、役に立つ当てのない科学のことをいう。こういうものをやることを、ユダヤ・キリスト教文化圏から出てきた科学は寛容に受け止め、奨励さえされるわけだけれど、その感覚はほかの文化圏には存在しなかった。

 たとえば日本でも、昔から専門家は基礎の大切さを訴えてはいるけど、一般大衆には今でもそういう感覚はまあ存在しない。だから、基礎をやっている研究者に取材にいくと、新聞社の記者はすぐに何の役に立つんですかって聞くんですよね~とぼやかれたりする。
 それでも日本はまだ基礎科学にお金がつく方だと思うけど、中国や韓国は今でもほとんど基礎科学に関心を持っているように見えない。基本的に何らかの役に立つ分野にだけ、力が注がれているように思える。

 こういう傾向があるのは、やっぱり、隠された世界の真実があるというような感覚が、文化的に存在していないからじゃやないだろうか。

 そして、基礎科学の蓄積は、短期的には何の役にも立たないかもしれないけれど、長期的に見ると畑を耕すような効果を現して、予想もしないところで役に立つ技術の基盤を固める働きをしている。これが、ユダヤ・キリスト教文化圏を発端とする現代科学の成功につながってきたのだろう。

 ただ、こういう絶対的な価値観というアイデアの発明によって成立した現代の自然科学も、最近は少しづつ新しい動きが出始めているような気がする。

 それはポストモダンのような、無茶な相対化を目指そうというものではなくて、これまで見過ごされがちだった、個性記述的なところも見て行こうという動きだ。

 たとえば、生物学の分野では、普遍法則の追求だけでは限度があるの当然で、個性の記述が求められ始めていると思う。また、この個性記述への指向は、もっと大きな時代的な雰囲気から出てきているような気もするんだよね。

最終更新時間 2006年04月01日 03:47

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イスラム教もユダヤ教やキリスト教と同根ですが。

投稿者 中山 : 2006年04月02日 20:52

 鹿野さんのお話は、「モーゼの十戒」から「ニュートン力学」、そして「和時計」と、思わぬ展開が続き、「基礎科学」、そして、そういった普遍法則だけでなく、個性の記述の必要性を説くゴールにたどりつくまで、まさに予測不能な「くねくね」な論理で、まるでジェットコースターに乗ったような「はらはら、ドキドキ感」を覚えますね。まあ、それが快感なんですけど。
 「出エジプトを決行する時に、多数の部族をまとめる必要があったモーゼ」の苦労は、今の市町村合併による、市長の苦悩よりも、はるかに大きかったんでしょうね。もし「十戒」ではなく「構造改革」という旗印で説得しようとしたら、ボコボコになっていたかも……。
 少し、前に、NHKで「和時計」を分解して、修復する職人のドキュメンタリ?番組を見た記憶があります。たしかに、すごいですよね「和時計」。現在だったら、関数を定義し、引数を渡して……って感じですが、複雑な歯車とカムで実現するなんて、とても想像ができません。
 暦と言えば、最近、疑問に思ったのですが、「Google」でニュースなどを検索する際、検索範囲を絞るために、期間を限定する「daterange:」コマンドで、わざわざ「ユリウス暦」を使うのは、なぜ、なんでしょう? なんか、ポリシーがあるのかなぁ……。
 で、西洋の科学は本当にうまくいったのですか?
(野次馬的コメントで、このブログの品格をおとしたなら、ゴメンなさい)。

投稿者 ガスコン : 2006年04月20日 00:46

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