科学は迷信を覆せるのだろうか(計算しましょ・その3)
いわゆる非科学的なモロモロのできごとについて、今の人は以前より、ずいぶん信じやすくなっているらしい。ようするに、心霊現象とか、超能力とか、UFOなんて類のことを、そういうことはあっても不思議はないなあとか、あるに違いないよと思う人の割合が、昔よりも増えているってわけだ。
社会がこういうふうになってくると、怪しげな宗教なんかに惑わされる人が増えて、たいへんよろしくない。そこで、正しい科学教育をしなくちゃって話になったりするわけだけど……しかし、まあ、どうなんでしょうかね。
オカルト話を信じる人が増えているというのは、まあそうなのかなあ。
確かに、テレビとかでは、そういう話を結構やっているもんね。
ただ、それと迷信に惑わされるかどうかとは、あまり関係はないような気もするんだなあ。
実際、そういうオカルト系番組は、どう見てもそりゃあこじつけでしょとか思わせるものがたくさんあるし、だから番組内容も半分くらいはお笑いのノリがある。この手の番組がたくさんあっても、それが原因で超常現象をシリアスに信じてしまう人が続出するとは、あまり思えないんだよね。
ようするに、まともな神経の持ち主なら、そういうアヤシゲな話題とだって、上手につきあっていると思う。
だいたい人間というのは、迷信とかジンクスといったものをごく自然に信じるもので、それ自体は少しも悪いことではない。
たとえば、子供の頃なんか、横断歩道の白いところだけ踏んで歩くと良いことがあるとか、自分でなにかルールを決めてやったりしたよね。
あるいはスポーツ選手なんかも、調子の良かった時にたまたましていた何かを、次の時もゲンをかついでやったりするという話をよく聞く。
こういうことをやっている時は、そんなことは本当はないよなあとかうすうす思いながらも、でもちょっと本当かもとか思っていて、どこかゴッコ遊びっぽい感覚がある。そして、こういうジンクス遊びって、退屈な時間を紛らわせたり、なにかの不安を取り除いたりして、たぶん心の平安を保つのに、ある程度プラスに働いているんだろう。
もちろん、これが極端になりすぎて、絶対に白いところを踏まないと、一歩も前に進めないとかになっちゃうと、そいつはちょっと問題かもしれない。そういうふうになっちゃう人は、たぶん医学の助けが必要だろうね。
オカルトを信じ込んで、被害を被るところまでいっちゃう人というのは、科学知識が足りないんじゃなくて、これに近い、極端なケースのような気がする。
だいたい、迷信を信じるか信じないか、冷静な冴えた考え方ができるかどうかというのは、正しい科学的知識を持っていることとは、あまり関係がないと思う。
実際、今に比べると科学的知識なんてほとんどないに等しい江戸時代でも、占いとか魑魅魍魎といった迷信を信じるのはアホンダラじゃあ、もっと現実を見つめなさいといったようなことを書いている人がいたりするくらいだ。君子は怪力乱神を語らずっつーわけね。
だから迷信にのめりこんで、身を持ち崩すとこまでいってしまうのは、その人に何か、そうしないといけなくなるような、別の動機があるんじゃないかと思う。
たとえば宗教に填まって、受験に成功するために毎日8時間以上もお祈りしちゃう人がいたとしよう。8時間仏壇の前で念仏を唱えるだけの根性があるなら、その時間だけ勉強した方が絶対受験に受かる確率は高いと思うんだけど、そういう人は、どう説得しても絶対に耳を貸さない。
何故かというと、その人がそうしないのは、なにかの事情があって、本当は勉強するのだけは嫌なのか、あるいは受験そのものが嫌だからだ。
それだけ長時間お祈りすると、結果として何が起きるのか。
それは、ようするに勉強する時間がなくなるってことだ。
そうだとしたら、この人は勉強はしたくないんだけど、したくないとはいわずに、勉強をしないことの言い訳としてお祈りをしていると解釈できる。
もちろん、それを意識的にやっているわけじゃないし、それをダイレクトに指摘したからといって念仏が収まりはしないだろうけど、結局はそういうことなんだよね。だから、そういう人は何かの理由で勉強をする必要がなくなれば、仏壇を拝むのもやめてしまうかもしれない。
ようするにあれだ。小さい頃なんか、学校や幼稚園に行きたくないと、本当にお腹が痛くなっちゃったりするでしょ。でも、行かなくて良いことになると、突然元気になったりする。
仮病じゃなくて本当に病気っぽいんだけど、その症状は行きたくないという目的を達成するために、作り出されていただけなんだよね。それと同じで、だから、こういうふうに迷信に填まる人は、いくら拝んでも無駄という科学的な知識を与えても、改まることはないだろう。
でも、それはそれとして、超常現象というのは本当に無いものなのかというと、それは微妙なんだよね。
超能力とかあるといいよなあって気持ちは、ぼくも昔から持っていて、思春期のころには、なんとはなしにそんなことを試してみたりしたことはある。
たとえば日曜日とかの、ゆっくり遅くまで寝ていられる時なんか、ベッドに寝っ転がって、蛍光燈からぶら下がっているスイッチの紐を見ながら、あれがちょっと動かないかなあとか思ったりね。
もちろん、いくらやっても動かないんで、ちょっと息を吹きかけてみたりして。で、これはすごく弱くやっただけだから、息のせいで動いたんじゃないんだとか思ったりして。
まあ、これもごっこ遊びみたいなもので、それほど本気で信じていたわけじゃない。
ただ、そういう過去があるから、念力というのもあってもいいかもしれないというくらいには思えたりはする。でも、それが今の物理法則と矛盾するってことになると、ちょっと信じ難いんだよね。
今の物理学は、ものすごく完成度が高いので、これが基本的なところで間違っている可能性は無い。
今、世の中にあるすべての機械や道具類は、極端にいえば物理法則に基づいて設計されている。だから、物理法則が間違っているなら、この世にあるすべての機械がまともに動くわけがない。
たとえばもし仮に量子論が間違っていれば、トランジスタの動作は予測できず、パソコンなんか作れないわけで、こうしてネットで文章を読む事も不可能なわけだ。いくらなんでも、そりゃあないよね。
だから、既知の物理法則と矛盾する超常現象というのは、説得力がない。たとえば、念力があるとしても、既知の物理法則と矛盾するとは思えないんだよね。
そこで、ちょっと既知の物理法則と矛盾しない形で念力を考えてみよう。
念力とは、ようするに手などの目に見える物理的な方法にたよらずに、念の力で物を動かしたりする能力のわけね。
それで念力の発生源は、たぶん脳だとされている。
まあ、念力の正体が判明していない段階では、本当はこう思うこと自体全く根拠はないんだけど、たいていの人は念力って脳から出ていると思っているんじゃないかな。
少なくとも、念力の発生源は筋肉なので、筋トレをすると念力が強くなるとか、肝臓が発生源なのでお酒を飲みすぎると念力の調子も悪くなる、なんていう話は聞かないもんね。
ただし、ドラゴンボールは例外ね。ドラゴンボールは、体を鍛えると超能力が身に付くという、それまでの念力概念を決定的に覆した作品だった。
そこでだ。仮に、脳から何か目に見えない未知の力が放射されて、その作用で物体が動くのだとしよう。
これはまあ、そういうことが絶対にないとはいいきれない。
ただここで、絶対に無視することのできない物理法則がひとつある。それは、作用反作用の法則ってやつだ。
これは物理学の基本中の基本の一つだから、これが間違っていると考えることは不可能だ。もしこれが間違っているとすると、ぼくたちは歩くことも物を持つ事もできない。つまり、ぼくたちの日常の行動の全てが、この法則をくり返し証明しているんだよね。
で、その作用反作用の法則とは、物体にある力を加えると、それと同じだけの力が返ってくるというものだ。
そうすると、たとえば重さが1グラムのものを持ち上げると、脳ミソには1グラムの重さがかかるわけだし、50キロのものを持てば、50キロがかかることになる。
ところが、脳ミソというのは、まあ固めの豆腐みたいな柔らかな組織で、骨による支えもない。ここに何十キロもの重さが加わったら、脳はたちまち潰れちゃうだろう。つまり、念力というのは仮にあったとしても、たいした力は出せないってことだ。
まあ、念力のしくみはわからないので、ひょっとすると滑車とか梃子のようなものが超越空間内にあって、それで脳に直接的に加わる力は少なくなると言うような事もあるかも知れない。でもその場合は、重いものを持ち上げるのには、とても長い時間が必要になると言う事になるんじゃないかな。
結局、念力は仮にあっても、せいぜい脳ミソが潰れないくらいに、軽いものをゆっくり動かすことしかできないってことになる。
ただし、念力は、脳の表面から放射されると考えて、だから反作用の力は表面に分散されるとすると、けっこう重いものでも持てるかもしれない。
つまり、脳のしわが多ければ多いほど、重いものを持ち上げられるのかもしれないわけね。
……と、いうのはもちろんヨタ話で、そんなわけでぼくは念力というものの存在を、あまり信用していないわけだ。
でも、超感覚知覚についてはどうだろう。たとえば予知とか、第六感というのは、念力の場合ほどわかりやすい物理の基本法則によって禁止されてはいない。だから、多少はあるかもって可能性は捨てきれない。
ただ、世間に流布される予言者の言葉とか、ノストラダムスの大予言とかは、メチャクチャ曖昧で何とでも解釈できたり、ありとあらゆることをいっておいて、事件が起きてから、外れていることは無視して当たったことだけ宣伝する類が多いので、あんまり信じる気にはなれないんだよね。そういえば昔、ノストラダムスの予言の中には、ガンダムの世界で起きた全ての事件が予言されていたとする解説本があったなあ。
ただ、そういう商売がらみじゃないところでも、予知というのは本当に起きていたりする。
たとえば、ある夜に誰かのとても気がかりな夢をみて、目覚めたその日にその人が亡くなった、なんてことが起きたとしたらどうだろう?きっと、その人が最後に挨拶にきたんだとか、自分には霊感があるんじゃないかとか思うんじゃないだろうか。
こういう予知夢というか、虫の知らせの話は、けっこうあちこちで耳にする。
実際、知りあいを数人たどれば、そういう夢を見たことがある人の一人や二人は、まず見つかるんじゃないかな。
肉親や親友が、最後に夢枕にたって挨拶していったとい経験の持ち主は本当にいて、彼らにはそれが大切な思い出だったりする。そういう人たちは、なにも予知夢を見たといって自慢したいわけじゃないし、それでお金儲けをしようとしているわけでもない。
ぼくは、そういう人の神秘体験に対して、第三者が単なる気の迷いと決めつけるのは失礼な話だと思う。でも、それじゃあ、そういうオカルトが本当にあると思っているのかというと、これはちょっと微妙なところなんだよね。
なぜなら、オカルトというものを持ち出してこなくても、そういう予知夢を見ることは、ゼンゼン不思議じゃないからだ。
これは計算してみれば、すぐに確かめることができることだ。
そこで、ある人の夢を一生の間に一度だけ見て、しかもその夢を見た日にその人が死んでしまう確率を、ちょっと計算してみよう。
これを計算するには、まず3つの仮定を前提条件として置がないといといけない。
まず、第一の仮定は、夢をみる可能性のある人は、だいたい何人くらいいるかってことだ。
これは、親戚や友人知人など全部ひっくるめて、少なくとも100人くらいはいるよね。
本当は、テレビのタレントとか、縁の遠い人まで含めちゃうと、もっとうんと数が多くなるとは思うけど、ここはかなり少なめに見積もってこの程度としておこう。
第二に、その人の夢を、これから50年の間に、一度だけ見ると仮定する。
これももちろん、何度も見るかもしれないんだけど、このほうが計算が簡単になるので、あえてかなり少なく見積もっておく。
そして第三に、その知りあいが、これから50年以内に亡くなる確率を4分の1だと仮定する。つまり、知人のうちの4分の1の人が、50年後には死んでしまっているってことだ。
これはまあ、ちょっと微妙な仮定かもしれない。ただ、思っている人の齢が今20代以上なら、これは決して、無理のある仮定じゃないと思う。
さて、この3つの仮定から、予知夢をみる確率を計算してみよう。
まず知りあいの中の誰か特定の人の夢を、今後50年間の特定の日、例えば今晩見る確率を計算してみよう
これは夜の数が、一年が365日で50年間だから、(365×50)分の1=18250分の1だ。
次に、その人が今晩亡くなる確率は、三番目の仮定から、18250分の1×4分の1=73000分の1になる。
だから、その人の夢を今晩見て、その人が亡くなる確率は、この二つをかけたもので、18250分の1×73000分の1=1,332,250,000分の1になる。
こりゃあ、確率としてはメチャクチャ小さいよね。とうてい予知夢を偶然に見るなんて事、ありそうにない感じ。
ただし、仮定1から、知りあいの数は100人いるわけだから、自分の知っている誰か一人が偶然夢を見た日に死んじゃう確率は、この100倍で、13,322,500分の1になる。まあ、100倍したところで、たいして変わりませんけど。
でも、こんな予知夢を見る可能性がある夜が、今後50年間、毎晩やってくる。
それで、今後50年間のどれかの夜に予知夢を見る確率を計算してみると、50年間は18580日だから、その答えは0.0014になる。
つまり、自分が今後50年間の間に予知夢をみる確率は0.14パーセントくらいはあるってことだ。
これは、思ったほど小さくはないんじゃないかな。もちろん、やっぱり滅多なことじゃ、予知夢は見られないことは、間違いないんだけどね。
ところで、さっきの13,322,500分の1という数字は、自分が今晩予知夢をみる確率のわけだ。それじゃあ、日本中の人たちすべてを考えると、その中には何人か予知夢を見ている人がいるかもしれない。
日本の人口は1億3千万人くらいだけど、このうち予知夢を見たぞっていえる年齢の人は、たぶん8000万人くらいはいるだろう。すると、
13,322,500分の1×8000万=6 になる。
つまり、毎日日本のどこかで、予知夢を見ている人は6人くらいはいるってわけ。
これが一年だと、その365倍で2190人もの人が、予知夢を見ている計算になる。
つまり、日本全国ということで考えれば、予知夢は決して珍しい不思議な現象ではなくて、わりとポピュラーなできごとの一つなんだよね。
予知というと、なんだか物凄く神秘的で、超常の力でも働かなければ起きないような気が何となくするわけだけど、実際にこういうふうに計算してみると、そうでもないことがわかる。
ただ、だからといって、親しい人が亡くなった時にその人が夢枕に立ったという思い出を持っている人に、それは確率の問題で神秘的な話じゃないんだよっていうかというと、そんなアホなことは、ぼくはしない。そういうのって、科学的でもなんでもない、単なる嫌がらせだもんね。
夢枕に大事な人が立ったというのは、その人にとっての心の真実だし、それが良い思い出になっているのなら、それを尊重するのが当然だと思う。金の卵をうむ雌鳥は、解剖しちゃっちゃいけないわけだな。
最終更新時間 2006年03月01日 05:24
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君子は怪力乱心を語らずっつーわけね。ー>「怪力乱神」の誤変換?いつもこんなコメントでごめんなさい。
投稿者 亀戸ママチャリ日記 : 2006年03月01日 13:18
神ですね。直しました。ご指摘ありがとう。
ぼくはもともと誤字誤変換の類がもの凄く多いのです。
執筆中と普段とは、思考のモードが違うらしく、書き終えてから時間が経つと容易に間違いを発見できるのですが、書いている時とかその直後くらいだと、読み返しても気が付かないんだよなー。ある意味を持ってわざと誤字を混ぜている時もあるのでややこしかったりして。
そんなわけで、怪力乱神という単語は正しく知っていたのですが、今回明らかになったのは、これが「かい-りょく-らん-しん」と
読む事でした。かいりきらんしんと読んでいたよ(´・ω・`)
かいりきらんしん(←なぜか変換されない)状態ですた。
投稿者 鹿野 司 : 2006年03月01日 17:20
ドラゴンボールより10年以上前(1975年)に発表されたRPGのT&Tでは、魔法使いの魔力源が体力度でした。
私が小学生の頃に日本語版をプレイした際には、筋骨隆々な魔法使いをイメージした事を思い出しました。
投稿者 kk75 : 2006年05月20日 04:20










