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2006/01/30

心の理論、オカルト、そして自閉症

 「心の理論」は、人以外の動物にもあるのだろうか。これについては、ヒトに匹敵する能力をもつ動物はどうやらいないようだ。

 実際、アメリカの動物心理学者プレマックは、進化の隣人であるチンパンジーでさえ、心の理論の能力はヒトよりかなり劣るとしている。

 プレマックは、サラというチンパンジーとともに、霊長類の言語学習の研究を長年してきた人で、心の理論という概念の提唱者でもある。

 ただ、屋外で自然のチンパンジーを観察している研究者たちは、かなり高度な心の理論があると主張していて、意見が分かれているようだ。

 この違いは、実験室環境の中で人との関係だけで育ったサラとは違って、屋外のチンパンジーは、遙かに豊かな人生経験を送っており、心理的に鍛えられ成長しているからなのかも知れない。

 「心の理論」とは、自分以外の対象に心を感じて、その動きをシミュレーションする能力といって良いだろう。これがあるから、ぼくたちは他人の気持ちを思いやることができるし、ドラマなどを見て感動することもできる。

 また、他人にウソをついてだましたり、自分がだまされているのを見抜くことができる。

 さらにいえば、人はこれを、他の人だけでなく、他の動物や、物体に対してもやっている。というより、やってしまう。やらざるを得ない。

 たとえば、朝、カラスがゴミ集積所に集まっているのを見たら、誰でもそれは、カラスが腹を空かせてゴミを漁りにきたのだろうと考えるだろう。つまり、ぼくたちは、カラスの心を推測しているわけだ。

 しかし、客観的に考えると、カラスがそう考えているかどうかはわからないし、そもそもカラスに心が存在しているかどうかの保証すらない。なにしろ、誰もカラスと話したことがあるわけではないもんね。
 それでもぼくたちは、カラスには心があると感じて、たぶんこうしたいと思っているのだろうと、ごく自然に推定してしまう。(哲学的に考えれば、自分以外の他人にだって、心があるかどうか保証できないしね)

 あるいは、お好み焼きを焼くときに、熱い鉄板のうえにかつお節をまくと、うねうねと踊っているように見える。かつお節は、意志を持たない物体にすぎないから、踊るわけはないのだけれど、踊っているように感じてしまう。

 また、松井が外角高めの球をガツンと叩いたら、アナウンサーは「ボールは外野スタンドに向かってぐんぐん伸びています」……というような実況をするだろう。この「ボールが~に向かう」というのも、無生物であるはずのボールに、意志があるかのような表現になっている。

 本来は意志などあるはずない無生物に対して、それを感じて、~しようとしている、~したがっているというのは、客観的事実ではあり得ない。

 でも、言葉で何かを描写するとき、そうならないように表現するのはほとんど不可能で、あえてやろうとすると、すごく不自然になってしまう。かつお節は鉄板の熱による上昇気流でゆすられているとか、打球はホームランの軌道を移動中とか、客観的には正確かもしれないけれど、妙に回りくどくて気分の出ない表現にならざるを得ない。

 人は、なにものに対しても、心の存在を仮定せずにはいられない動物なのだ。

 さらにいうと、国や政府、民族、会社のような組織にも、人は心の存在を仮定してしまう。政府の思わく、民族性、会社の風土など、あたかもある意志を持っているかのごとく考えてしまいがちだ。でも、現実には、そこには人間と同等の意志は存在しない。(と、言ってもなかなか納得できない人が多いかもしれない。事ほど左様に、人間は心の理論に囚われている)

 また、ラマルクの進化論のように、~したいからこう進化したという考え方も、存在しない心を仮定してしまう、人間の性がもたらす間違いだ。

 つまり、心の理論はオカルトの温床でもある。
 人の心の持つすばらしさとおろかさの、どちらにも根元的に関わっているのが、この心の理論といえるだろう。

 ところで、もしこの心の理論が正常に発達しない場合があるとしたら、いったいどうなるのだろうか。

 普通、子供は4歳くらいから心の理論が発達してくるのだけれど、自閉症児にはそれがないらしい。

 自閉症は、今も十分に解明された病気とはいえない。
 ただし、親の育て方が悪いとか、本人の努力不足でなるわけではなく、脳機能に先天的な違いがあると考えられている。

 自閉症児は、目も耳も正常なのに、言葉を理解するのが非常に苦手だ。一体どうしてそうなのだろう。

 自閉症児は知能が低いことが多いけれど、知能が低いだけでは自閉症児のようにはならない。

 耳に障害のある子供は、言葉は聞こえないけれど、身振りなど、自分でできる方法でコミュニケーションを取ろうとしはじめる。

 しかし、自閉症児の場合は、自らコミュニケーションをとろうとすることがない。自閉症児は、知能が低いから言葉がわからないのではなく、コミュニケーションをしようとしないので、結果として知能が低くなっているようだ。

 自閉症児は、健常な4歳児ならできる誤信課題(他人が間違ったことを信じているとき、どう行動するかを言い当てるテスト)に正解できない事が多い。自閉症児は、自分が信じていることと、他人の信じていることの区別が非常に苦手なのだ。

 つまり、心の理論が発達しないことと、コミュニケーションがうまくできないことの間には、密接な関わりがあるらしい。

 正常な子供は、誤診課題が可能になる以前から、色々な方法でお母さんとコミュニケーションをとろうする。

 たとえば、生後10ヶ月くらいから、離れたものを指さす行動が現れる。
 この、離れたものに対する指さしは、人間にしかない行動だ。
 しかも赤ちゃんは、指を指した後、確認するかのように、母親を見つめる。

 人に近い心の世界を持つチンパンジーは、赤ちゃんの時だけ、ものを直接指で触るように指す時期があるのだけれど、離れたものを指す事はないし、大人になるとこの行動自体しなくなる。また、視線を合わせる事もない。

 あかちゃんが遠くのおもちゃを指さすと、母親はその意図を察してそれを取ってあげたりする。

 つまり、人間だけが、ものを介して他者と関わることができるわけだ。

 また、人間は、その視線で、何に興味があるか理解する能力がある。
 人間の目は、白目と黒目がはっきりしていて、離れたところからでも、どこを見ているかが解る。一方、チンパンジーは黒目が非常に大きく、白目に当たる部分も茶褐色で、視線はほとんど解らない。
 これによって、人間は注意の共有(ジョイント・アテンション)をする事ができる。

 幼児は、ねがえりができたとき、チラっと親を見る。つかまりだちができた、チラッと親を見る。積み木が高く積み上げられた、やったあと自分で喜ぶだけでなく、チラと親を見る。という事をやっている。

 このとき親は、上手にできたねーとか、喜んで反応を返すわけだ。
 このようなやりとりが、やがてコミュニケーションへと発達し、心の理論につながっていくのではないかと考えられている。

 一方、自閉症児は、視線が合わないなど、発達の初期から、これらの事ができないようだ。つまり、コミュニケーション能力や心の理論は、普通なら、視線の共有などの小さなステップを徐々に上るように発達していくものなのに、自閉症児ではその初期の過程が巧く働かないため、コミュニケーション能力が未熟に留まってしまうようだ。

 ただ、自閉症児については、最近では応用行動分析という方法を用いた訓練で、高い確率で、半数以上の子供が、普通の学校に通えるくらいになれるらしい。

 これは、主に、動作のまねを行う訓練だ。
 具体的には、たとえば両手で頭を触っている姿とかを、真似させるようにする。
 ところが自閉症児は、はじめのうち、典型的には、相手の頭を触ろうとしてしまう。
 これは、実はチンパンジーも同じことをするのだ。

 しかし、訓練を続けていくうちに、自閉症児もやがて自分の頭に手がおけるようになる。
 さらに、同じ口の形をしてもらう、同じ発声をしてもらう……というように訓練を進めていく事で、普通と変わりないレベルにまでコミュニケーション能力を発達させられるケースがあるようだ。

 

最終更新時間 2006年01月30日 19:38

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5歳の自閉症の息子がいます。自閉症は軽度と重度ではものすごーく差があり、応用行動療法も適応できない子どもがいますから、生半可なことを素人の私がいってしまってはいけないのでしょうが、もしこのブログを「自閉症」のキーワードでひっかけて、自分の子どもが境界線にいるのではと胸騒ぎのままネットを読みあさっている人が読んだとすれば、(発達障害を疑われた親は必ずやります)、福音になると思いました。
もしそういう方がこのコメントまで読まれていたら、「本当に初期の療育は重要」と申し上げたいです。落ち込んでいるヒマがあったら、行動して。
うちの小僧も最初は自分の頭に手を置けませんでした。でもできなければ10回繰り返し、それでダメなら100回繰り返し、状況に対してひとつずつ答えをインプットしていく作業を繰り返すことで、本当に遜色なく適応していけるようになります。自分を適確に表現できる方法を教えてやることで、きちんとコミュニケーションもとれるようになります。それを繰り返すことで、ゆっくりですが成長もします。
つまらないオカルトにつかまらないで……それが癒しになるのなら否定はできないけれど……どうか、ぜひ、しっかり療育して下さいね。

自閉症に関しては、東大がユニークな科学的なアプローチを続けています。いつか取材して頂けたら幸いです。

※不適切でしたら、消去してくださいませ。

投稿者 鈴木ゆう子 : 2006年01月30日 22:38

先天的ではなく、とある出来事がきっかけで物心がついた年頃から自閉症になってしまった子供は、先天的な自閉症児とはまったく別なのでしょうか?
それとも潜在的にそういう傾向が実はあったのでしょうか?

投稿者 アクア : 2006年01月30日 23:50

まず、アクアさん、本人にお会いしていないので、詳しいことは断言できないのですが、自閉症の発症は、幼少期だけに限らないようです。幼少期からその要素をもちつつも、コミュニケーションはとりあえず普通で、普通児との差をあまり感じない。しかし、小学校に入ってから、高学年になってから症状が、顕在化するパターンも多くあります。いわゆる、高機能自閉症、やアスペルガー症候群といったものが、それに当たるかと思います。

自閉症スペクトラム、といって、これらの発達障害は、連続体になっているとも言われています。おおもとは、つまりは大雑把に言ってしまうと一緒であると言うことです。彼らの持つ生きにくさ、は同じだと言われています。
お子さんにとって、今何が一番困っているのかを理解して対応できると良いですね。彼らは、ただのわがままな子供、と見られがちですが、実は彼らから見た社会のほうが、混沌としたものに感じられていることが多いようです。


鈴木さん
私も、自閉症児の親です。小学生ですが、ここにくるまでは、自分を
捨てて早期療育に取り組んだ一人です。自閉児には、本当に様々なタイプのお子さんがいますね。
先ほども書いたように、生きにくさを抱えていくことにかわりはありません。社会性が、往々にして育ちにくいので、ソーシャルスキルトレーニングは、出来るだけ小さなうちからやるのが良いようです。
様々な療育法がありますが、こればかりは、おやがこれ!と思うものを試して見るしかないかもしれません。子供との相性もありますしね。
先に記されていた応用行動分析は、比較的自閉症の療育では、新しいほうにはいるかと思いますが、本当の意味での優秀な指導者が少ない=療育を受ける機会が限られてしまうと言う、誠に残念な部分もあります。子供は縁あって、応用行動分析を受けていますが、全てがうまくいくわけではなく、要は、粘り強い日々の積み重ねをしていくしかない。親が、良き療育者でもあるべきなのかもしれません。学校の先生が、もっと勉強して、対処法を理解してくださるともっとたすかりますが・・
ほとんど独り言のようになってしまいましたね。専門家ではないので、偏った部分も沢山あるかとは思いますが、目の前の我が子から、教えてもらいこちらが、勉強するしかないかなーなんて思う今日この頃です。 

投稿者 レノックス : 2006年02月02日 00:07

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