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2006/01/30

心の理論

 3歳くらいまでの子どもは、ウソをつくのがあまりうまくない。たとえば、おやつの時間が決められていて、でも、それ以外の時にお菓子が食べたくなっちゃったとき。こっそりお菓子の置いてある棚のそばまで行ったのは良いけれど、後ろを向いているお母さんにむかって、「絶対こっち見ちゃダメだよ」なんて言ってしまったりする。

 ちょっぴり可愛らしいエピソードだけど、幼い子供にはこういうところがある。
 この子は、見つからないようにとは考えられたのだけど、見ちゃダメといったら、親がどう思うかまでは思い至らなかったわけだ。でも、どうして、そんな簡単なことが解らないのだろうか。

 この謎に迫るための、面白い実験がある。それは誤信課題といって、他の人が思い違いをしているかどうかを理解できるか否か、調べるテストだ。
 それはたとえば、子供にこんな質問をする。

 1.太郎くんは、後で食べようとチョコを赤い箱にしまって外に出かけました。
 2.太郎くんがいない間に、お母さんは赤い箱からチョコを出して、緑の箱にしまいました。
 3.そのあと、太郎くんが外から帰ってきました。
 4.さて、太郎くんはチョコがどの箱に入っていると思っていますか

 正解はもちろん、赤い箱だ。
 ところが、3歳までの子供の多くは、緑の箱と答えてしまう。
 しかし、4歳になると、大半の子供が赤い箱と、正解を答えられるようになる。

 これは一体どういうことだろうか。発達心理学では、これは幼い子どもにはまだ「心の理論」が成立していないと考える。

「心の理論」とは、他人の立場になって考えることができる能力のことだ。

 たとえば、いつも挨拶をしてくれる人が、今日に限ってぷいと横を向いたりしたら、あなたはいったいどう考えるだろうか。ひょっとしたら、こちらに気がつかなかったのかなとか、何か考え事をしていたのかなとか、あるいはあの人は今日は怒っているのかなというように、その人が行った行為の原因を、その人の心の動きを推測することで、理解しようとするはずだ。

 これが「心の理論」で、普通の人がごく自然に身につけている素朴な心理学といってもいい。

 誤信課題ができなかった3歳の子どもは、「心の理論」が未発達なので、太郎くんがどう思っているかという心を仮定して、彼の立場では赤い箱の中にチョコがあると思うはずだということが理解できなかった。誰かの気持ちになって、その人がどう思うかを推定できなかったわけだ。

 人は誰でも、自分の心の中に「自然の理論」を持っている。たとえば坂道でコーラの缶を落とすと転がって行っちゃうとか、自動車がまっすぐ近づいてきたら、避けなければぶつかるとか、日常身の回りで起きるいろいろな出来事を予測をすることができる。

 これは、全ての動物が持つ心の機能だ。
 なぜなら、どんな生き物も、次に何が起きるかがある程度予測ができなければ、事故にあったり捕食者に捕まったり、餌を取り逃したりして、とてもじゃないけれど生きていけないからだ。つまり「自然の理論」とは、自分を取り巻く自然環境について、どう働きかければどうなるかを予測するための理論だ。

 一方、「心の理論」とは、自分を取り巻く人々について、こんな時、他人はどう思い、どう行動するのかという予測をするための理論だ。この能力があるから、人間は政治的な権謀術数ができるのだし、物語を読んだときに、その登場人物たちの気持ちになって感動を味わえたりもできる。

 自然現象の多くは、ある法則に基づいてほとんどいつも同じ事が起きるので、予測は比較的簡単だ。しかし、心のある存在の行動の予測はそれに比べてうんと難しい。
 そのため、人間の大脳皮質が、他の動物に比べてこれほど大きいのは、その難しい心の理論を実現するためではないかという説もある。

 精神的に成熟した人間は、相手の気持ちになってものが考えられる。
 その能力は、3歳と4歳の境目あたりで一つの飛躍があるというのが、誤信課題が示している内容だ。

 でも、この心の理論は、それで完成というわけではないだろう。人の心に対する理解は、年を経て経験を積むほどつむほど豊かになっていく。

 実際、ぼくも中学生の頃より、20代、30代……と年をとるほど理解が増していると感じている。とくに恋愛とか失恋とか、他者と非常に密接に関わったり、対人関係上の手痛い失敗をす経験をすることで、その能力は増強されるようだ。

 恋をすると、心の中に相手の心のシミュレーション・モデルができて、暇さえあれば(暇が無くても)こうしたらあの人は喜ぶだろうとかいうことを、アレコレ考えてしまうはずだ。そのとき、心の理論は少し成長している。あるいは悲しい別れがあった時、自分の何が悪かったのかを深く考える時、心の理論は成長する。

 心の理論という言葉は、かなりざっくりした概念で、生物学でいえば「遺伝子」とか「生命」などのようなものだ。つまり、DNAのような、物理的な実体に与えられた言葉ではない。
 おそらく、脳の中には「心の理論回路」というような、誰にでも共通する明確な構造は存在しなくて、複数の脳機能のユニットの働きの総体として、それは実現されるのだろう。

 そしてそれは、「高速おつり計算」の場合と同じように、外から見る限り同じことをやっているように見えても、人によって全く違ったメカニズムで、ほぼ同等のことを実現している可能性も少なくない。そういう事が、人を見る目の個性の差となって現れてくるのかも知れない。

最終更新時間 2006年01月30日 19:38

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