今日は父の命日なのです(その2)
父は、青い珊瑚礁(ブルー・コーラルリーフ)という、いちおう有名なカクテルを創ったり、日本バーテンダー協会のえらい人をやったりで、その分野には貢献した人だったと思う。
でも、そのへんの事情について、ぼくはほとんど何も知らない。バーテンダーの業界の事は何も知らないし、カクテルのカの字も教えて貰った事はない。作っているところを見た事すらない。
そもそも父とは、あまり顔をあわす事もなかった。
仲が悪かったわけではなく、ただ疎遠な感じ。
幼い頃に遊んで貰った記憶もないし、好きな事がしたかったのだろう、自分用のマンションに住んでいて、ぼくのいた家には平日昼に仕事のついでに来て、夕方には帰るという感じだった。だから、小学校高学年から中学、高校時代は姿を見る事も少なかったし、日曜日は家に来たっけかな……どうも思い出せない……くらい縁遠かったんだよね。
覇気のあった時は、あんまり家庭とか子供に興味はなかったみたい。
でもまあ、ぼくが東京に住むようになって、たまに帰省すると、少し手の込んだ手料理を準備して、迎えてくれたりしたものだ。
父は、炊事、洗濯、掃除、アイロンがけ、散髪まで自分でやった。おしゃれにはかなり気をつかうほうで、紫色の靴とかまで持っていた。
葬式の時、おそらく父の若い頃、苦楽を共にした仲間なのだろう、何人かの方が声をあげて泣いてくれた。それは、父が実りある人生を生きたことを示してくれたようで、とても嬉しかった。
以下、SFマガジン 2000年2月号 掲載を若干改稿
ぼくが父の病室に泊まり込みをはじめた頃は、父はまだ、まともな部分を多く残していた。時々おかしな話をするし、幻覚も見ていたけれど、普通の会話ができる時間もわりとあった。
それで、病院はやることがあまりなくて退屈だったので、色々なことを話してもらった。父の子供時代や、軍隊時代のこと、終戦後、函館で魚を仕入れて東京で売って稼いだ話などなど。そういう話題も尽きると、好きな小説の話もした。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は良いぞ。あれはただ面白いだけの話じゃなくて、日本のことを深く考えているから、とか。
でも、日に日に父の病状は進んでいく。
昨日できた事が今日はできない。テレビのリモコンが使えない、ファスナーが巧く開けられない、日によっては文字が書けなくなったり、言葉が出ないらしくてジェスチャーをしていたこともあった。まるで朦朧とした半覚醒の状態のようで、睡眠薬を飲むと、幻覚症状がとくに強く出てくる。床が濡れているようにみえたり、色々な人が尋ねてきていると勘違いしたり。どんどん、まともな会話ができる時間が減って、2週間もするとそれは一日30分以下になっていた。
そういう父の幻覚症状について、ぼくは慌てることなく、素直に受け入れていた。それは、昔、こんな事を読んだことがあるからだ。
盲人は、視覚機能に障害がある人だけど、それは人間としてつき会うことに何の問題もない。それと同じで、精神機能の一部に傷害がある人とでも、人間としてつきあうことに何の問題もない。
これが念頭にあったから、父の奇妙さも、そういうものとして受け入れて、普通につき会った。もし、そうできなくて、こちらが取り乱していたら、父の心もかなりかき乱されたのではないかと思う。短い時間とはいえ、正気に近い状態の時はあるので、その時には、自分がおかしくなっている事に気がついていたから。
でも、そうしなかったことで、見ている幻覚についても、感情的になることなく、色々な話ができた。
たとえばベッドの上に鍋があって、ぐつぐつ煮えているという。それは幻だねというと、そうだな、よく見ると線画みたいで厚みがないな。お、今肉を持ってきた。誰かが運んできてるの?いや、そうじゃなくて、気がつくと置いてあるんだ。あそこにある傘は本物かな?そうだよ。じゃあ、あの棚の上にある箱は。ティッシュの箱ならあるね。その向こうにある蛇の目傘は?うーん、それはぼくには見えないな。そうか、難しいな。
幻覚のリアリティは、本物と同じくらいあるらしい。だからちょっと見ただけではだまされてしまうけれど、注意すると細かい違いがあるという事だった。
たとえば、老眼なので本当にあるものは、ぼんやりとしか見えないのに、幻覚はいつもはっきりと見えるらしい。また、色はわかることもあれば、そうじゃない時もあるという。後に、『脳の中の幽霊』を読んで、その幻覚は目を閉じても見えるのかどうか、聞けば良かったと思った。残念ながら、その質問はできずじまいになってしまったけど。
後からわかった事だが、この一連の症状はぼけではなく、せん妄というものだった。せん妄は、色々簡単なことができなくなるし、記憶が混乱したり、マトモじゃない事を口走り始めるので、よく痴呆と間違えられる。
でも、実際には全く別ものだ。
これは覚醒水準の障害で、深い眠りを取ることができず、また完全に覚醒する事もできなくなった状態だ。このため、はたからみると起きているようでも半覚醒状態で、白昼夢を見ながら何日間も全く眠らず行動するようになる。
病院で普通に処方される睡眠薬=ベンゾジアゼピン系のマイナートランキライザーは、深い眠りを抑制する働きがある。そのため、これを服用するとせん妄症状が、かえって悪化することがある。うちの父は、眠れないからこのクスリが処方され、まさにそれで症状が悪化していった。そして、それさえなければ、もっと安静を保って治療が受けられたはずで、こんなに早く父が逝ってしまう事もなかったろう。まあ、全ては後知恵ではあるのだけれど。
それにしても、3ヶ月少々の間だったけど、本当に色々な事が起きた。
夜、寒いからというので、布団をかけると布団が重いといって文句をいう。それで、違う布団にかけなおしたり、床擦れができないように下に敷いている枕の位置を変えたり、そんな事を延々と、6時間も8時間もやり続けないといけない。足をずっと按摩してあげたり、あるときはどうしても寒いっていうんで、わかった、じゃあ添い寝して体で暖めてやるといって、同じベッドに寝た事もある。よせよ、とか言いながら、けっこう嬉しそうだったりして。
ある時は、どうしても聞き分けてくれず、病院のビルの管理人にかけあって暖房をつけさせろといい出す。そんなの絶対に無理だよ、といっても聞き分けてくれない。それじゃあお前、なにか、人間はみんな、過去に誰かがやったことと同じ事しかしちゃいけないのか、やってみなくちゃわからないじゃないかと、妙に説得力のあることをいう。でも、深夜の3時に、さすがにそれは無理だよね。
どんなにいってもわかってくれなくて、喧嘩のようになってしまう。こんなに親不孝な子供は殴ってやりたいというので、じゃあ殴ってくれといって頭をさし出す。すると、殴れん……おまえ父さんの事が好きなんだろという。ああ、好きだよっていうと、父さんも好きだ、こうしているとどんどん好きになっていく、だって。
嗚咽というのは、しゃっくりとか、くしゃみの発作みたいなものだ。最初、その衝動につかまると、体が自動的にそのように反応する。でも、猛烈な感情はその刹那だけだ。感情の渦はすぐに収まる。収めることができる。でも体がする嗚咽の発作は、しばらくは止まらない。鼻もつまっちゃうし。
まあ、肉体的にはとても大変だったし、毎日のように予想外の事件が起きて、その状態がいつまで続くのか、これから先どうなっていくかなど、まるで見当がつかない中で日々をしのいでいくのは、けっこうしんどくはあった。もしぼくに子供がいたら、同じような苦労は決してさせたくないとも思う。しかし、それでもこの、正気でない父と、最後の時間を過ごせたのは心底良かったと感じている。
あのなんというか濃密な時間の中で、たぶん、正気のままだったら決して見ることはなかったろう、父の人間としての全て、悲しいところ情けないところ小ずるいところから、優しさや理想を求める心や良心といったものまで、すべてをまのあたりにすることができたから。人間てのはやっぱ面白いもんだよな。
最終更新時間 2005年12月10日 17:20
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2年前に肺がんで亡くなった祖父も最後の方、同じ感じでした。
せん妄という症状が出て、突然昔と今の区別がつかなくなり、筆談でかつてスペインにいたことを思い出しているのか、スペイン語を書き始めたり、当時の仲間との会話と思われるようなことを書き始めたりしてました。
意識がまともになるときもあるのですが、その時間が日に日に短くなって、本人も寿命を悟ったのか、たまたま私がお見舞いに行っているとき、突如紙に母の名前と、元気でいなさい、と一言かいてずっと病院につきっきりで看病していた母に渡しました。
それをみて母は、「お父さんもね」と笑ってましたが、涙ぐみながらメモ帳からその1枚を切って、カバンに入れてました。
その翌日、祖父の容態が急変し、意識が戻らないまま、2日後には帰らぬ人になりました。
人は死期が近づくと自然とわかるようなものなのでしょうか。
赤ちゃんをあやすように自分の親を看病しながら、「人ってゆーのは赤ちゃんからはじまって、また赤ちゃんに戻ってくものなのね」と言っていた母の言葉は感慨深く、印象的でした。
投稿者 Anonymous : 2006年01月31日 01:18
どうも、覚えてないかもしれませんが大学の2年後輩です。
最近こちらにたどりつき、過去記事を読んでいます。
鹿野さんもお父さんの看病されていたんですね。
なんか想像できませんが、考えれば誰もが通る道なのかな。
今、私もほぼ専業で母の面倒見ています。
小脳あたりが変性する病気です・・・細かい作業やしゃべりやバランスが取れなくなって、歩いたり出来なくなっていきます。
パソで言えばハードも個々のソフトも大丈夫だけど、OSがダメになってるという感じ?(かなり適当)
最初は鬱とか自律神経失調症かと思っており、わかるのに2年以上かかりました。
進行は遅いそうで、まさにゆっくりと赤ん坊に戻っていく感じです。
原因は不明だそうで・・・まだまだ人間の体はわからないことだらけですね。
さて、この夏、検査入院した母が、一時わけのわからないことを口走り、すわボケまでも、と思いました。
が、あれも、せん妄症状だったのでしょうね。服用していた風邪薬のせいかもしれません。
退院後は元に戻り、ろれつのまわらぬ口で、文句ばかり言っています。
この1年、クラブ関係で2件もお悔やみ・・・鹿野さんもご自愛下さい。
投稿者 heco : 2006年02月02日 23:37
死とは無に帰すことと思いますが、自我の発生の不思議さを思えばそれさえも単純に無に帰すと考えるのにはやはり抵抗があります。
命日にあたり、お父様のご冥福をお祈りします。
投稿者 セイボ : 2007年12月10日 10:12










