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2005/11/28

勇気と深読み

SFマガジン 2004年9月号掲載

 小学生による異常な事件が続いて、またまた問題になりましたな。
 とくに長崎、佐世保の小学6年女児殺傷事件。
 わずか12歳の児童が、同級生の首をカッターで切って殺してしまったのは、ショッキングな出来事だけあって、その後しばらく、メディアはこの話題でもちきりになっていた。
 一体どうして、こんな幼い女児が、同年の女児を殺さなければならなかったのか。その理解不能性に加えて、被害女児の父親の喪失感に溢れた手記が、深い同情を誘うなど、メディアにとってこれは扱いやすいネタだったんだと思う。
 それにしても、この事件の大きな特徴は、何の前触れもなく、凄惨な事件が起きてしまったことだろう。
 加害女児は素行不良だったわけでもないし、それどころか、被害女児とは仲の良いお友達だったらしい。それがなぜ、突然こんな恐ろしい出来事を、しでかしてしまったのか。
 メディアは、急いでその理由付けを探そうとした。そして、彼女たちがホームページを作って掲示板への書き込みをしあっていたことを取り上げて、文字だけのメッセージ交換はヒート・アップしやすいというような、コンピュータ・リテラシーの議論が展開されたりした。
 でも、そんなの完全に的はずれだよね。
 今の小学生にとって、ネットはごくありふれたものだから、彼女らもそれを使っていたというだけのこと。それがこの事件を引き起こした、決定的に特徴的な要素だったわけがない。
 今回の事件では、たまたまホームページの掲示板への書き込みが、もめ事の原因になっていたのかもしれないけど、同じような事は、クラブ活動とか、塾とか、掃除当番とか、飼育係とか、ありとあらゆる日常活動の中で起きえた事だったと思う。
 そもそも、毎日会っているような関係なので、文字だけのやりとりだから云々なんていう話は、まるでトンチンカンなことだしね。
 それから、カウンセラーのような専門家に、『バトル・ロワイヤル』の影響を受けて加害女児が書いていた小説を分析させたり、描いた絵を鑑定させて、いわゆる「心の闇」を探らせたりもしていた。
 赤えんぴつで書いた、しっぽが蛇の可愛いうさぎみたいなクリーチャーのことを攻撃性の現れだとかナントカ。
 でも、小学生なら、そんな絵を描く事だってあるよな~って誰でも思ったんじゃないだろうか。それを、さも、闇とか、深淵とか、アビスとか、おどろおどろとか、なんじゃらもんじゃらとかが、ありそうに語ってしまうメディアのありかたに、嘘だよねえと思った人は多いと思う。
 結局のところ、この事件は、いくら専門家がこねくり回して分析しようが、精神鑑定をしようが、何もわかりはしない類のものなんだろう。
 それは、多くの人が直感的に分かっていたんじゃないだろうか。
 この事件は、ちょっと表現が難しいけど、どうしようもなく哀しい、偶然の巡り合わせの結果としか、いいようがないと思うんだよね。
 仲が良かった友達とケンカになって、トイレで制裁みたいな事は、小学生の頃なら、わりと経験したことがある人は多いんじゃないだろうか。そういえば、ぼくも小学生の時に、トイレでブラシ振りかぶり、ホースで水を掛け合って仲の良い友達と大立ち回りしたことあった。
 この事件も、ひょっとしたら、そういうありふれた小学生のエピソードで収まっていた可能性もあったんじゃないかと思う。
 だけど、不幸なめぐりあわせによって、殺人という取り返しのつかない事態に至ってしまった。
 そうなる前に、ほんの少しでも違うことが起きていたら、たとえば被害女児が加害女児のいわれたとおりに、空教室についていかなかったら、あるいは目を塞いで後ろを向くのは断固拒んでいたら、最悪でも傷害程度ですんだかもしれない。それどころか、ひょっとしたら刃物を見せて脅かしたというレベルで、終わったかもしれない。
 報道によれば、加害女児にはかなり強い殺意があったようにも思えるけど、たとえそうだったとしても、所詮は小学生の一時の決意に過ぎなかったはずで、何かアクシデントが起きて、計画通りに進まなければ、こんなにうまく殺人が完遂できたはずがない。アクシデントが起きなかった事が、被害者にとっても、加害者にとっても、やるせなく不幸な運命だったのだと思う。そして、そうだからこそこの事件は唐突に起きたわけだ。
 あるいはもっとドライに、統計的に見てしまうという事もあり得る。
 小学生による殺人事件は、決して今回初めて起きたものではない。
『少年犯罪』(鮎川潤著・平凡社新書)によると、昭和以降の小学生による殺人事件が5件以上紹介されている。
 その内容は、小六の男児が小二の女児に悪戯して殺害したり、小四の女児が小二の女児をマンションから突き落としたりと、いわゆる子供らしさという枠には収まりきらないものばかり。そんな事件が何度も起きていて、その時は騒がれはするものの、やがて忘れ去られるという事が繰り返されてきているのだ。
 つきつめると、小学生でもある確率で殺人事件は起こしてしまうということが言えると思う。
 つまり、この事件に闇なんてない。いくら分析したって、真相をほじくり返そうとしたって、加害児童が精神的におかしかったわけではないだろうし、ましてや両親の育てかたが悪かったわけでもないだろう。
 この事件の真相は、誰にでもあり得る幼い頃の日常の諍が、数奇なめぐりあわせによって悲惨な結果に至ったに過ぎないのだ。
 それにも関わらず、メディアは分析を止めることはない。それは結局のところ勇気がないからだ。あるいは、視聴者の好奇心をどうにか満足させるためか。
 原因なんて存在しない、ただの不慮の事故みたいなものだと言ってしまっては、いつまた第二、第三の同様の事件が起きるかもしれないという恐怖を押さえる事ができない。そんな不安を慰撫するために、ないものをほじくり返すようにして、色々な分析が再生産される。
 本当は、この世には分からないこともあるんだよね。これは、それを認め、分析を止めるべき類の事件なのだ。でも、メディアには、それができるような自浄作用は存在しないみたいなんだよなー。

最終更新時間 2005年11月28日 15:52

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鹿野様

なかなか、こういうことって堂々と言えないので、鹿野さんに言ってもらってちょっとスッキリしました。私も全く同意見です。

「スタ☆メン」は見ていなかったが、太田光も偉いなあ。

マスコミ絡みで思うのは、昔は、村の共同体が、こういう事件を受け止めていたんじゃないかしら。確かに加害者の家族は村八分にされたかも知れないが、二分の付き合いは残していた訳だし、全てが全て村八分にされた訳でもないと思う。

では、今、マンションの隣人と二分の付き合いをしているか。してないですよね。

そんな希薄な人間関係の上を、マスコミの論調が上滑りしている。でも、誰かが騒がずにはいられない。マスコミも分かってやっているんじゃないかという気もする。

集団意識は個人の意識構造に極めて近いと聞いたことがある。こんな希薄な人間関係でいいのか?もっとちゃんと周りに気を掛けなきゃいけないんじゃないかと、集団の潜在意識がマスコミの顔をして警報を発しているような気もします。

ああ、なんだか悲しくなってきた。

でわでわ

投稿者 けんちゃん : 2005年11月29日 13:42

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