心の闇
SFマガジン2001年6月号掲載
メディアの言うことって、あまり信用できないってのは、まあ、常識だと思う。
たとえば森首相。あの人は失言の多い人という印象が強けれど、でもそれはメディアが作り出したイメージって感じがしないでもない。つまり、「神の国」発言をきっかけに、メディアがあいつは迂闊なことを口走るヤツだと認識してからは、ホント、微に入り細に入り揚げ足を取るように、「問題発言」が片っ端からニュースにされちゃっていた。普通、誰でも色々話をしていれば、ある程度口が滑ったりするものだ。しかし、たいていそれは無視されて終わる。ところが、森サンの場合は、他の人なら見逃してくれるようなものも100パーセント、ニュースになっていたのだろう。
普通の人間なら容認される程度のことでも、それを全て大々的に取り上げられれば、印象はすごく悪くなる。その点、森サンは可哀想だと思っていた。でも、やっぱりあの人のことは、迂闊な人だと感じてしまう。これって、割と怖いことなんじゃないだろうか。
なんつーか、昔、横山光輝の忍者もの(だったかな?)のマンガに、催眠術で操られそうになった忍者が、その手には乗らないぞと、小刀で自分の太股を傷つけて正気を保とうとするってエピソードがあった。ザクザク自分を刺しながら、途中で「はっ、俺はどうしてこんな事をしているんだ」って、一瞬気がつくんだけど、でもすぐ「いかんいかん、やつの術に落ちてしまう」と思い直してザクザクザク……で、結局死んでしまうのでした。術にかかるまいとしているのに、その行為自体が術の中なのね。
メディアからやってくる情報は、量的に圧倒的に多いから、その術にはかからないぞと思っていても、思わず知らずその内部に取り込まれてしまう。その圧力に抵抗するのはかなり難しい。
もう一つ典型的な例をあげるなら、このところ青少年の凶悪犯罪が増えているという常識も、その例の一つだ。
これに関しては、社会学者の宮台真司氏も前々からいっているけれど、統計的にはそんな事実はない。たとえば殺人は終戦後1965年までは年間2~400人台で増減を繰り返していたけれど、1975年代以降は100人を割って、さらに現在まで70~90人の範囲で推移している。また、強盗も1965年まで2~3000人で推移していたのが、近年は1000人前後に減っている。(平成に入って微増傾向にはあるが誤差の範囲)また強姦に至っては、1965年前後には4000人いたのに、今では200人台に減っている。
検挙者の数だけじゃなくて、実際に刑が確定した人に限ってみても、大坂弁護士会が最高裁の家庭裁判月報に基づいて調べたところでは、過去45年間に故意の犯行で被害者を死亡させたケースは129件で、そのピークは1961年の11件だった。事件数は68年以降年間1~4件で、それはここ数年も変わらない。
と、まあ、これくらいのことは、SFを読む人なら、たぶん先刻承知だと思う。
ただ、「心の闇」ってやつについてはどうだろうか。
近年の、青少年犯罪の大きな特徴として、彼らがいったい何を考えて、そんな酷いことをしたかわからないということが問われている。彼らをそうさせたのは、いったい何が原因なのか。いろいろな人がいろいろなことを言っているけど、結局それはよくわからない。不気味だ。最近の若者は、昔とどこかしら違うのだ。
……って、まあ、こういう事が言われはじめたのは、たぶん酒鬼薔薇事件の時からだろう。では何故今、心の闇が生まれてしまったのだろうか。
その答えは、実は簡単だ。つまり、昔は心の闇なんて問わなかったのだ。
理解を絶する凶悪な事件も、本当は昨日今日始まったものではない。いつの世も、ある割合でそれは存在していた。
おとなしくてまわりからも良い子と思われていたヤツが、突然キレるということは、ものすごく昔からあったことだし、先ほどの大阪弁護士会の調べでは、同級生の首を切り落として蹴飛ばすなど、理解できない残忍な事件も、過去に18件あったそうだ。
つまり、昔も今も何も変わっていない。
ただ変わったのは、昔はそういうケースは、ワケわからんと深く突っ込まないか、異常者だからそういうことをしたんだとアッサリ分類して、それですんでいたわけだ。ところが今は、そのワケをわからなければならないと、分析しはじめた。その結果、心の闇という概念が作り出されしまったのだ。
でも、人がどうして犯罪を犯したかなんて、本当はわかるはずのないことだ。
悲劇はつねに、本当に数奇な運命の巡り合わせで起きる。途中の何ごとかがほんの少しでも違えば、それは起きないのが普通だ。たとえば原潜の緊急浮上で上にいる船に命中させるなんて、狙ったってできることじゃない。ところがえひめ丸は、数奇な運命の巡り合わせによって、現実に沈没してしまった。
それと同じように、凶悪な犯罪も、本人の思いだけで達成できるものではなく、それが実現されるような環境条件が整ってしまったときに、はじめて現実に生じるものだ。邪悪なことをしてみたいという妄想だけなら、恐らく大半の人は思ったことがあるだろう。でも、そういうものはたいてい実現されずに終わる。今は昔よりも妄想が実現されやすい環境なのかというと、それもないと思う。なぜなら、事件の数は昔より減っているからだ。
心の闇という概念は、犯罪は人の心の内部に原因があって生じるという、暗黙の前提からでてきたものだ。でも、それはフィクションにすぎない。そして何故こんなフィクションが、リアルに信じられているのかというと、臨床心理に対する、誤認識があるからじゃないかと思う。
臨床心理学は、原因の追及には役に立たない。臨床心理学は、心の中に隠された真実を見つけだすものではなくて、ある症状に悩んでいる人がいたとき、その症状がもたらす不便を緩和するべく、その人と治療者の間に作り出されるフィクションだからだ。それは、リアルであっても、症状をもたらす真の原因じゃない。真の原因など本当は意味ないのだ。
さいころを10個、同時に振ったら、いつもはみんなバラバラの目が出るのに、ある時すべての目が1で揃ってしまった。一体どうしてそんなことが起きたかわからない。謎だ。これが心の闇の実体だ。
心の闇という言葉の使われ方を見ると、それは異様なできごとを、納得しようと使われているわけじゃない。納得したいのなら、ある結論を出してしまうはずだ。でも、メディアの論調は、心の闇はわからないとい言い続けている。つまり、わからながる事を求めているわけだ。これはつまり、リアリティあふれるホラーというエンターテインメントなんだよね。
最終更新時間 2005年11月28日 15:47
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闇を持ってる人が犯罪を犯すってのもおかしいし
数奇な運命の巡り合わせはひとつ起こりだせば
かさなるもの~
それが闇を作る
あなたには闇はわからないと思う・・・・
だから、こんなこと語らないで・・・・
わからないのに・・・・・
人の人生を語らないで・・・・
失礼です。。。
投稿者 闇 : 2008年11月18日 04:51










