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2005/10/21

人はなぜ笑うのか(その3)

 V・S・ラマチャンドランという、アメリカの神経科学者の著した『脳の中の幽霊』(角川書店)という本がある。


 これは、理系文系問わず、誰が読んでも知的に楽しめる、超お薦めの一冊だ。

 たとえば、幻肢症という、病気や事故で腕や脚を失っても、その部分がまだ存在しているように感じ続ける疾患がある。単に幻を感じるだけなら良いんだけど、無いはずの足先が猛烈に痛んだり、腕をあらぬ方向にねじり上げられているように感じたりすることがあって、そうなるともう、その苦痛は治めようがない。

 この奇妙な症状は、どうして生じるのだろうか。

 ラマチャンドランは、そんな脳の神経回路に起因する様々な疾患の分析をもとに、大胆な仮説をたて、その仮説を検証する実験を考える。そして、可能ならそれを実行して、人間の認知の謎を解き明かし、疾患の治療法まで編みだしていく。

 その発想と論理展開が、もう、メチャクチャ頭いい~って感じなんだよね。

 で、この続編の『脳の中の幽霊、ふたたび』という本が最近出たんだけど、この中に笑いについてのとても面白い仮説があった。

 それは、痛みを感じると、クスクスととめどなく笑い出してしまう、「痛覚失象徴」という不思議な疾患をめぐる考察だ。

 一体どうして、そんな奇妙な病気が存在できるのだろうか。
 この問いに答えるために、ラマチャンドランはまず、笑いの進化的な意味を考える。

 笑いは、世界のあらゆる文化に見られるもので、これが人類の遺伝子に組み込まれていることは明らかだ。
 そして、その遺伝情報に基づいて、脳というハードウェアには、笑いを司る回路が存在している。

 痛覚失象徴は、この笑いを司る脳回路のどこかに、異常があるわけだ。

 それにしても、いったいどうして「笑いの回路を」形作る、「笑いの遺伝子」などというものが、自然選択によって生まれたのだろうか。

 すべてのお笑いに当てはまる共通点は、まず、予想外の展開(警戒すべき展開)が起きて、それによって与えられた事実を解釈し直さなければならなることだ。

 たとえば道をすまし顔て歩いている紳士が、突然、バナナで滑って転んだとする。
 ……あまりにベタで、予想外じゃないって?
 まあまあ、それはおいておいて、ここでは何事もなく歩いていた人が、突然転ぶというところが、予想外の展開って事ね。

 しかし、予想外のことが起きるだけでは、笑いにはならない。
 たとえば、転んで額を割って血まみれになったりしたら、それを笑う人はいないだろう。

 笑いが起きるために重要なのは、オチがあることだ。

 たとえば、滑って転んだ人が痛てててと起きあがったとき、ズラがズレて前後反対になっていたりしたら、とたんにおかしくて笑いたくなる。

 これはつまり、枠組み変更を余儀なくされた時の新しい解釈が、危険じゃない、どうということのないものだったということだ。

 このことから、ラマチャンドランは、笑いは、今出た警報は誤りだと知らせるための、自然に備わった仕組みではないかと考える。

 笑いという、リズミカルな断続音は、回りにいる遺伝子の共有者に、ある情報を伝える。
 それは、「今出された警戒警報は、間違いでした。安心して良いよ」というメッセージなんだよね。

 うーん、なるほど。これはすごく納得できる。
 たとえば、あまり親密ではない人のお葬式で、なぜだか笑えちゃって困るという人がいる。これはたぶん、死という恐ろしいものを予感させる場所にいるけど、実際には自分には危険がない=警戒警報は間違いということが、笑いを誘うのだろう。

 また、笑うと緊張がほぐれたり、あまり恐いと(心理的な安定を求めて)かえって笑っちゃうということも、これで説明できる。

 ラマチャンドランは、さらに件の痛覚失象徴の患者の脳をCTスキャンで調べて、脳の側面にある島皮質のそばに損傷がある事をつきとめている。

 この島皮質は、皮膚や内蔵からの痛覚信号を受け取る場所だ。ただ、ここに信号が入力しただけでは、痛みを実感として味わうことはできない。

 島皮質からは扁桃体、扁桃体からほかの辺縁系、そして前部帯状回につながる回路がある。そして、こういうわりと古い脳の部分に信号が届くと、痛みに対する情動的な反応がおきるわけだ。

 このことから推定すると、この患者はどうやら、島皮質から扁桃体や全部帯状回へ至る経路が傷害されて、信号が届かなくなっているらしい。

 つまり、痛みを生の刺激として感じる島皮質には信号が入って警戒警報が出ているのに、扁桃体や前部帯状回にはその信号が届かないので、警戒は誤りだということになって、それで笑っちゃうんじゃないかというわけ。

 面白いのは、この仮説が正しいとすれば、群れで生活する動物には、おなじような警戒の誤りを正す信号があって不思議はないってことだ。
 もちろんそれが、ヒトと同じようなリズミカルな断続音とは限らないけれど、機能的には同じ役割を果たす信号を持っていて不思議はない。

 まあ、チンパンジーなら人間と同じような方法で笑っている可能性は高いけど、馬とか羊とか、群れをなす鳥とかはまた違った笑い信号を持っているだろう。それにアリやハチのような社会性昆虫は、笑いを意味する化学物質を持っているかも知れないね。

最終更新時間 2005年10月21日 09:54

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