テレパシーマシンを作っちゃおう(その3)
今年は、どうやらSFの当り年になりそうだなあ。
翻訳物のSFというのは一種の波のようなものがあって、良い作品が集中して訳される年と、散発的にしか粒よりの作品と巡り会えない年がある。ここ数年は、どういうわけか、面白いめの作品はぽつりぽつりとしか訳されて来なかったんだよね。
ところが、今年はどうですか。出だしこそ、「荒れた岸辺」くらいしか見るべき物がなかったものの、夏に入ってから続々面白いものが翻訳され始めている。
ギブスンの「ニューロマンサー」を始めとして、スターリングとかサイバーパンク系の作品が続々出版されるみたいだし、それ以外にも楽しみな物が随分ある。この原稿を書いている時点で、ティプトリーの「老いたる霊長類の星への賛歌」とかラファティとかがすでに出ているし、この先「スター・タイド・ライジング」のブリンとかも出るという話だ。
久々に、楽しげな小説をたくさん読めそうで、ほんとシアワセよ。なかでも期待は、スターリングとブリン。
スターリングは良いよお!今までは短編を読んだことしかないけど、どことなく大原さんの未来史ものの質感と通じるところがある。おっと、そういえば、前回「スキズマトリクス」をギブスンの作品と誤解していたけど、実はこれはスターリングの作品でした。どうも、すいません。タイトルが、ギブスンのサイバー・スペースを連想させるので、混乱してしまったのでした。
さて、それでは本論であるところの、テレパシーの話の第三回目にとりかかるとしましょうか。このところ、難しい話が続いて、脳ミソがオーバーヒートしそうだから、一応この話は今回で切り上げるぞ、と。
で、どこまで話たっけ。たしか、テレパシーを可能にするための、ソフトウエアの問題についてだったな。脳のソフトウエアは、個々人でコンパチビリティがなさそうだから、テレパシーは難しそう、ということがいいたいのだった。
もっとも脳のソフトウエアの内容が、どういうものかは全くわからないから、コンパチビリティの有る無しも、厳密にはわからないはず。ただ、脳はソフトウエアが、神経回路の結線の仕方によって定まる、アナログ・コンピュータだろうから、脳の神経回路の微細構造が個人個人で違っているなら、ソフトウエアもそうである可能性は大きい。
それに、記憶の問題もある。つまり、記憶のしかたというのは、人によって随分違っているように思えるんだよね。
記憶力というのは不思議なもので、どんなことでも総て良く覚えている、という人は非常に稀だと思う。ところが、ある特定のことに関しては、異常に強力な記憶力を発揮する人というのは、結構多い。と、いうより、たいていの人はその人独自の、得意とする分野に付いては、格段に優れた記憶力を持っていることが多いような気がする。
その種の記憶力は、その人に取って、全く苦労して覚える必要も無く、あんまり易々と覚えられるものだから、自分の記憶力が良いということすら気が付かないことがあるくらいだ。
例えば、このページのイラスト(?)を担当してくれている米田さんは、電話番号を異常に良く記憶している。このしとには、多分電話帳なんか必要ないんじゃないかというくらい、あらゆる知人の、電話番号を空んじることができるんだよね。
彼にこのことを話すと、「いや、これは良く掛ける番号だから」とかいうんだけど、一回くらいしか掛けたことのない番号だって、しばらく考えていると思いだしたりする。どう考えたって、普通じゃないよ。
だいたい、ぼくなんかは、電話番号なんて全く覚えられないタチで、百回掛けたって、そのつど手帳を見ないと、番号を思い出せない。
こりゃまあ、どちらかというと記憶力が悪い部類に入るか。でも、別に数字が全く記憶できない訳じゃなくて、例えば引っ越ししたときに、自分の電話番号が変わったり、住所が変わったりというときは、記憶しようというという努力を全くしないでも、それを覚えることができる。
それに、通っているエアロビクス・スタジオの会員番号も、別に覚えようと思ったわけじゃないけど、暗唱できるぞ。
電話番号なんかのほかにも、人の名前とか、異常に記憶している人がいるよね。飲食店とか、水商売をやっている人なんかに、こういう人がよくいるよなあ。ぼくも、以前あるレストランで、こんな経験をしたことがある。
たまたま、知人とその店に一緒に入ったのだけど、そこはこじんまりして、10人も入ればいっぱいになっちゃうような所だった。しかも、ここの料理が意外と(というかものすごく)うまい!後で聞いたところでは、結構有名な店だったようだ。
で、あんまりうまいんで、カウンターごしにマスターに、「絶対また来るからね」なんて言っていたのだった。
ところが、どういうわけかその後その店に行く機会がなくて、二度目にそこを訪れたのは、一年以上もたった後だったわけ。
すると、くだんのマスターは、それでも僕のことを覚えていて(それどころか、前来たときの状況とか、話の内容まで覚えていた)、どひー、とびっくりしたというわけ。
最初に行ったときに、よっぽど印象に残ることをしていたなら、覚えていても当然だとは思うけど、決してそんなわけではなかっったんだよね。さすが、プロフェッショナルは違うと、ホトホト感心したよなあ。
こういう能力があれば、客は絶対何度もこの店にくるな、と思いましたよ。で、僕はというと、それ以来そこには行っていないのだった。なぜかというと、なぜだろね?ーきっと、むちゃくちゃ高いせいだろうね。
僕の記憶力は、全体として、お世辞にも良いとはいえない。電話番号はもちろん、人の名前も、場合によっちゃ顔さえも覚えていられない。突然知らない人に挨拶されて、それが結局誰だったか、最後まで思い出せないなんてことさえある。
芸能人の名前とか、野球の選手の名前なんかも、全くといっていいほど頭に入らない。ほとんど記憶に不自由な人といっても良いくらいの物なんだよね。
だけど、どういうわけか、科学関係の言葉、事実、関係なんていうのは全く苦労せずに、いくらでも覚えておける。ほとんど、何の意味もないように思える、ガンマ・アミノ酪酸とか、カイロミクロンとか、ギムネマ・シルベスタとかいう言葉でも、一度かせいぜい二度みれば頭に入ってしまうんだよね。ま、これのおかげで、今のような仕事をしているわけだ。
こういう、自自身を振り返ったり、他の記憶力の良い人を見たりすると、どうして自分の(おそらく)興味をもっている物に付いては、いとも易々と記憶できるのかと思う。
いや、厳密にいうと、どうして、簡単に、記憶を再生できるのだろうか。
記憶と一口にいっても、それを再生するためには、まず第一に、脳のどこかに記憶できなければならないし、第二にその記憶が消去されてはならないし、第三に的確にその記憶をサーチして意識に登らせられなければならない。
この三つがそろって始めて、記憶を思い出すことができる。
で、記憶が再生されないときは、元々覚えていないのか、覚えたのに消去されたのか、サーチが旨く行かなくなったかの、どれかというわけ。
ときたま、古い心理学関係のほうから、人間は生まれたときから、殆ど全ての記憶を持っているんだけど、たまたまそれが思い出せないだけだ、なんてことがいわれる。その証拠に、催眠術をかけると、幼い頃のことまでアリアリと思い出すことができるようになる、なんてね。
しかし、これはちょっとおかしい。脳がそんな非効率なことをしているわけない。そんなことしてたら、ガベージ・コレクションがたいへんだよ。
催眠術で、いつもは全く思い出せないような過去を思い出せたりすることは確かなんだけど、それにはしばしば事実と違う内容も混じってくるんだよね。正しい記憶ももちろん有るんだけど、そこから一種の物語を作って、全体のつじつまをあわせようとするらしい。もちろん、これは嘘をついているんじゃなくて、一種の夢のようなものなんだけどね。だからこそ、催眠術でどんどん過去に遡って、前生の記憶なんてものを呼び覚ましたりできるわけだ。
だから、記憶というのは普段自分が意識しているよりも遥かに多くの事を記憶してはいるにしても、経験の全てではない。そもそも記憶が成立していないために、思い出せないというケースは確実にある。
もう一つの、記憶が消去されるというのも、十分ありうることだろう。神経細胞は毎日何十万か、確実に死んでいくんだから、形成された記憶が消滅する可能性は大いにある。
ただ、神経細胞が死滅することは、すなわちちパーになるということでもないけどね。実際、神経細胞の数だけでいうなら、生まれる直前か直後くらいが最大なんだよね。
これは最初は、あらゆる可能性を想定して、できる限りの細胞を作っておくという事だと思う。そして、生まれ落ちてから外部の環境にあわせて、不必要な細胞をゴソッと死滅させて、適応的な構造を作るというわけ。細胞は死んでこそ機能を発揮できるようになるというわけね。
とはいえ、年とって、脳の隙間が段々広がっていくのは、やっぱり寂しいけど。
で、記憶について一番本質的なのは、やっぱりサーチの問題ではないかと思うわけ。脳の中には、何らかの秩序に従って、記憶がしまいこまれていて、それに沿って記憶がサーチされ再生される。
ここんとこが、人によって、記憶の得意技のある原因のような気がする。 つまり、記憶するということは、有る秩序だった樹木のようなものがあって、そこに葉っぱを取り付ける作業のようなものじゃないか、ちゅうわけ。
つまり、慣れ親しんだ木に、葉っぱを取り付ける場合は、木のどの位置にそれを付けたら良いかすぐ分かるので、易々とあっというまに記憶でき、再生できるわけ。そして、その木をしばらく使わ無かったり、あるいはその木には微妙におさまりきらない記憶だったりすると、思い出すのに時間がかかったりする。
この木の形が人によって、全く違うから、記憶力に得意な分野が現れてくるってわけだ。
もっとも、全ての記憶がこの木のアナロジーで成り立つわけじゃない。それほど得意な分野じゃなくても、全く記憶できないわけじゃないからね。ただ、記憶の木が作られると、記憶と再生の効率が上がるんだろうね。
例えば、英語の単語なんて、英語を始めた頃よりも、かなり慣れ親しんでからのほうが、覚え易くなったと思わない?これは、たぶん英語の単語に関する、新しい木が作られたんじゃないかな。
記憶の木といったけど、これはあくまで便宜的なもので、別に記憶がツリー状に構築されているというわけじゅない。その実態は今のところ確かなことは分からないし、前回いったような振動の協振みたいなものが本当かも知れない。
しかし、これこそテレパシーによって、人に伝えたいものではないだろうか。人それぞれの記憶の枠組み。個人個人によって、たった一つの言葉や体験、行動などから想起される、記憶は全く違っている。そして、それこそその人の個性でありアイデンティティのはずだ。
個性には、常時肉体が受け取っている物理的な刺激のうち、どれをもっとも価値のあるものとして評価し、大脳で処理するに足るものとするか、ということもあるけどね。これは、ギブスンのシムステイムだろうな。
想起されてくる記憶の全てを共有して始めて、本当に相手を理解できたことになる。本当に、相手の視野で世界を眺めることができることになる。
ただ、これを、自分のアイデンティティを保ったまま、受け入れることはできないんじゃないかな。
この記憶の木は、脳の内部では物理的な実体を持った、神経回路のネットワークだから、これを伝えるには、相手の脳神経のネットワークを、送信側と全く同じにしなければならない。つまり、同じ人間になっちゃうわけ。
じゃあこれは無理なのか?そこでSFだ。
脳の記憶構造(ソフトウエア)を、何らかの形で読みだせるとしよう。これを、別人の脳に共生させた(あるいは連結した)サイバー・マトリックス・コンピュータ上で、シュミレーションさせればいい。
これは、まあ一種の現代制御理論だね。つまり、一方の脳から常時パラメータを検出して、それと同じパラメータを持つ思考を、コンピュータ上でシュミレーションするというわけ。
シュミレーションだから、100 パーセントの個性再生は難しいかもしれないけどね。しかし、こういうことができれば、本当の意味で、他人の感じかた、考え方を共有し、楽しめるだろうなあ。
最終更新時間 2005年07月31日 22:24
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昔聞いた話では、長期記憶は脳内配線、中期記憶は各神経細胞の発火閾値(つまり細胞内物質量)、短期記憶は神経回路を駆け巡ってるパルス(これも細胞内外のイオン濃度で分かる)、ということだったんで、細胞レベルで物質量分布が実時間測定できるようなMRIがあれば思考(回路を巡るパルスと記憶の組み合わせ)を読み取る装置ができるでしょう。
と言うより、こんな装置および外からの干渉実験ができないと脳機能の完全解明は困難ではないかと思います。
そこで、そんなのが実現し、一般人が購入できるくらい安くなるまでには脳の解明も終わってるとすれば、読み取った思考を別の人に分かる形に変換して注入するのも可能となってるんじゃないかと思います。
投稿者 ガ : 2005年08月03日 13:36









