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2005/07/31

テレパシーマシンを作っちゃおう(その2)

 今回は、テレパシーの話の2回目。
 でまあ、前回の復習から、ボチボチいきまひょか。
 前回は、主にテレパシーと、そのハードウエア上の制約について考えてみた。ハードウエアといっても、脳だから、”ウエットウエア”と呼んだほうがカッコよかったかな。
 ともかく、ウエットウエア的に見て、ブレインストーム型、テレパシー・マシンの実現は、非常に難しい、というのが前回の結論だった。
 それはつまり、こんなワケだ。
 この世には、二人として、同じ人間はいない。それと同じように、脳もまた二つとして同じものがない。
 もっとも、脳の神経細胞などの、素子レベルの特性は、誰もほぼ同じと考えていいと思う。これは、コンピュータでいうなら、ICレベルのコンパチビリティだ。
 今あるコンピューターは、ほとんどが素子レベルでは、シリコンのICを使っていて、その基本的特性は、どれでも同じといえる。シリコンじゃなくても、トランジスタのレベルなら、どれだってだいたい同じようなものだ。
 人間の脳細胞も、似たような遺伝子から作られているわけだから、基本的な性質にそれほど差はないだろう。
 ただ、神経細胞レベルでコンパチブルでも、テレパシーには余り役には立たない。
 難しいのは、もう一つ上のレベルの問題なのだ。もう一つ上というのは、素子を組み上げた、回路レベルの問題だ。
 これも、コンピュータとの対比で考えてみるとわかりやすい。つまり、同じ基本的な性質を持ったICで構成されているCPUでも、たとえば80系と68系では、その回路は全く違っている。
 人間の場合はこれよりもっとひどくて、二人として、同じ神経回路を持ったものが存在しない。これは、脳の形が、マクロに見ても、一人一人違っていることからも、容易に想像できる。
 マクロな形に違いがあっても、ミクロレベルでは、トポロジー的に同じという可能性もある。もしそうなら、テレパシー・マシンの思考ピックアップを工夫すれば、なんとかいけるかもしれない。
 しかし、トポロジー的にみても、脳はコンパチブルではないだろうなあ。 それはまあ、記憶の問題を考えてみればいい。
 記憶は最終的に、脳内の神経回路のパターンとして定着する。つまり、全く同じ記憶を持たなければ、同じ回路の脳にはならないはずだ。
 そこで、ブレインストーム型の装置を使ったテレパシーは、まず不可能ということになる。
 ブレインストーム型の装置は、脳内の電気パターンを読み取って、記録し、それを別の人の脳の中に再現するものだ。だから、これでは再現された電気パターンが、何か意味のある内容になっている可能性はほとんどない。
 ちょうど、8086の内部で生じている電位変化を三次元的に記録して、それを6800の中に再現しても、全く意味をなさないことと同じ事だ。
 せっかく作った、テレパシー・マシンだけど、これじゃあ何の役にも立たない。せいぜい、自分自身の記憶を再生できる程度だ。これも、余り時間がたつと難しいだろうけど。
 しかし、せっかくの超マシンを、いきなりゴミ箱へ捨てるのももったいないよな。そこで、この装置の、別の使い道を考えてみる。
 まあ、良くしたもので、人間の脳というのは、さすがに一から十まで全部違うということない。やっぱり、おんなじ種だし、似たような遺伝子から、自己組織化されるんだから、当然だよね。
 たとえば、記憶を司っているのは海馬と側頭葉だとか、感覚はどこだ、運動はここだ、なんていう大雑把なところでは、誰でも、だいたい同じなわけだ。
 そこで、ブレインストーム型の装置を使えば、少なくとも体の感覚などについては伝達ができるだろう。
 ウイリアム・ギブスンの”シムスティム”は、こんな感じの装置だと思う。
 シムスティムについては、「クローム襲撃」で読んだだけだから、余り詳細はわからんけど、この夏に翻訳される「スキズマトリクス」には、もうちょっと詳しくでてくるかもしれない。出てこないかもしれんけど。
 シムスティムは、ウオークマン型の装置で、感覚ソフトを再生して楽しむものなんだけど、読んだ限りでは、基本的に、視覚を再現するもののようだ。
 シムスティムの作家は、特殊な義眼を移植されていて、その作家の見た世界を記録する。つまり、作家の視線が記録されるわけだ。
 これは、網膜から、視交叉にかけてくらいまでで、神経の興奮パターンを記録すればできるだろう。ようするに、網膜に写った映像を、そのまま他の人の網膜上に再生するのと同じことね。 どうして、もっと脳に近い側で、神経の興奮を記録しないのかというと、これより先の脳の内部にいくと、結構いろいろな情報処理が行われて、コンパチビリティを維持するのが難しくなってくるからだ。
 視覚というのは、脳の中で相当情報処理されて始めて成立するものだから、回路的にも随分違っているはずだ。
 実際、開眼者(幼い頃に失明したが、長じてから手術によって目の機能を回復した人)は、目がみえても、物を見ることが出来ない。訓練すれば、だんだん出来るようになるみたいだけれど、健常者と同じような、完全な視知覚ができるようには、なかなかならないようだ。これは、目からくる神経興奮の情報を、解釈するためのソフトウエアが作られなかったため、と考えられる。
 しかし、シムスティムのように、視線のみの記録では、やっぱり今一つつまらないような気がする。
 その点、わが社の、ブレインストーム改・感覚伝達マシンというのは、もう少し、別の感覚も記録・伝達できる。そのうえ、気分とか感情といったものまで、伝達できるのだよ。
 こういう機械を想像すると、やっぱり一番面白いのは、嗅覚とか、味覚とか触覚が伝達できることだろうね。
 視覚や聴覚については、すでに今のオーディオ・ビジュアル機器で、ある程度できちゃっているものだから、新鮮さに欠けるところがある。
 視覚に関しては、誰かの物の見方で世界を眺められるというのは、それなりの面白さがあるだろうけど、聴覚となるとそういう評論的な味付けもできないだろうし。
 音の場合は、誰かの耳に入ってくる音は再現できても、何を聞いているかは再現できない。何を聞くかというのは、やっぱり高度な情報処理に属するからだ。
 耳というのは、様々な音を同時に受けているけれど、そのなかから必要なものだけを聞くことができる。必要でないものを、ノイズとして処理してしまえるのは、相当な情報処理だ。
 嗅覚や、味覚、触覚だって、もちろん高度な情報処理はともなうから、たとえば、味覚や嗅覚の敏感な人から記録した情報を、他の鈍感な人が再生しても、微妙な感覚の差が味わえるわけではない。
 けれど、それ以前の、ただの刺激の部分だけでも伝達できれば、今までに無いメディアが生まれることは間違いない。とくに、触覚なんかは芸術の域にまでもっていけるんじゃないか、という気がする。
 さてと、話をテレパシーの方にもどそう。テレパシーは、ハード的にかなり難しいことは確かなんだけれど、なんとかふんばれば、どうにかなるかも知れない。
 ようするに、ブレインストーム方式を諦めて、もうちょっと別の、テレパシー伝達マシンを考えればいいのだから。
 たとえば、脳内の神経インパルスを記録・再生するためのセンサ部分は、一人一人、特注品にして、そこから得られた情報を送れるようにすれば、なんとかなるかも知れない。深く考えると、駄目のような気がするけど、とりあえず出来るかも知れない、として、と。
 次に、問題になってくるのは、ソフトウエアのコンパチビリティということになる。
 ソフトウエアのコンパチビリティといっても、脳のソフトウエアそのものが、それほど分かっているわけではないので、これを云々することはあまりできない。
 たぶん、これも大雑把には同じでも、デテールはかなり違っているだろう。
 脳の場合は、ソフトウエアが、神経回路のつながりかたできまる、アナログコンピュータだから、ハードウエア・イコール・ソフトウエアというところがある。だから、ハードウエアの場合と同じようになると予測できるわけ。
  ただ、もうちょっと、難しい面もある。それは、記憶の問題だ。
 人間の脳が、どういう形で、どこに記憶を蓄えているかということは、はっきりしていない。
 もちろん、RNAとか何等かの分子が、ある記憶に対応していることはありえないけどね。いまだに、記憶の話になると、あのプラナリアの出鱈目な実験を例に持ち出して、将来は薬で記憶を移せるなんていう人がいるけど、そんなことあるわけないじゃん。
 ある分子が、ある記憶に対応するなんてことが、ありえるはずがない。
 たとえば”あ”という文字の記憶は、分子Aに対応するとする。すると、誰の頭にAを注射しても、”あ”という文字が思い浮かぶわけだ。それはたしかに、一つの考え方だ。
 しかし、もしそうだとすると、我々が経験したり、知覚したり、想像したりして生じる、あらゆる記憶に対して、あらかじめそれを意味する分子が存在していなければならない。
 まあ、分子の数はいくらでもあるし、遺伝子みたいに、一種の文章にしてしまうという手もある。そういうことが無いとは断定できない。
 そこで、百歩ゆずって、この世のあらゆる事象が、ある分子と対応づけられたとしよう。
 しかし、その分子が何を意味するか解釈できる脳というのは、予め記憶できることを総て知っていなければならなくなる。われわれが、今まで見たこともないような事象についても、脳はあらかじめ知っている必要がある。
 そうでなければ、全く新しい出来事に対応する分子が、何を意味するか解釈できないから、それを見ることすらできなくなってしまう。
 さすがに、これはありえんと思う。
こういうアイデアと、ゲーデルの定理とか、人類とはアミノ酸組成の違う知性生物の認識力の差、なんてテーマでSFを書けば、バリントン・ベイリーみたいな作品になるかもしれんけどね。
 もちろん、今では記憶が分子に対応すると考えている専門家はいない。  じゃ、どうなっているかというと、いろいろな説がある。最終的に一個の神経細胞にたどり着く、”おばあさん細胞”説とか、神経回路の形が記憶に対応するという説とか。この二つは、根本的にパーセプトロンの考え方に基づいているから、本質的には余り違わない。
 後者はいくつかの細胞が、同時に興奮することが、ある記憶に対応しているわけで、記憶が脳の中に分散して存在している。すると、一部が欠落しても、記憶の再生が可能という点が、おばあさん細胞とちょっとちがっている。
 脳の記憶はホログラフィだという説もあるけど、これもあるホログラフィー・パターンが、ある記憶に対応するという意味では、前の説と同じだ。
 それに、脳がホログラフィーだというのは、アナロジー以上の意味は無いとおもう。昔はおもしろいなあ、と思ったアイデアだけど、ニューサイエンスと結び付いて、邪悪な説になってしまったし……。
記憶は、ある種の振動であるという説もある。このいい方は、いかにもいかがわしい臭いがあるけど、実はわりとマトモで面白い。
 これは、東大の清水博教授開発している、ホロニック・コンピュータの原理だ。同じ物を、世界的にはシナージェスティック・コンピュータと呼ぶことが多いけどね。
 これは、ある記憶がある振動に対応すると考える。人間の脳には様々な電気的、化学的な振動=リズムがあるから、その発想はあり得ないことではない。早い話、脳波だって振動だもんね。
 記憶を振動とすると、似たような記憶は似たような振動になって、お互いに引き込みあう、という現象がおきてくる。たとえば、4本足という記憶の振動は、犬とか馬とか机とかいった記憶が引き込みあって、一つの振動を作っていると考える。
 こうすると、連想とか抽象化なんていう、人間の高度な情報処理が、うまく説明できそうだってわけ。
 うむむ、またページがつきてしまった。これらの、記憶の諸説と、テレパシーの関係は次号に続きまっせ。
 

最終更新時間 2005年07月31日 22:23

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