憲法を攻撃的に使う
ほぼ同じ内容の話を今発売中のSFマガジンに書いているけど、憲法記念日も近かったことだしブログにも載せておく。ちなみにSFマガジンのほうには、SFファン向けにコードウェイナー・スミスの話も
文科省が新指導要領に愛国心養成を追加したらしい。
愛国心養成は大賛成だ。
ただし、その愛国心とは現代の日本にふさわしいものでなければらない。
古くさいナショナリズムみたいなものを今さら教える必要もないしね。
日本は、日本国憲法で律せられた民主主義国家だ。
だから愛国心養成とは、日本国憲法の理念を骨身に染みこませることであるはず。
憲法を知らないなんて非国民は赦されない。
日本国憲法は、キチガイ憲法だ。
アメリカの純粋な若者たちが、自国の憲法よりも遙かに理想に近い理念(カント哲学)を文書化し、その心意気に日本の憲法学者たちが共感してできあがったのが、今の日本国憲法だ。
女性に関する権利とかは、当時のアメリカより進んでいたしね。
これは、スター・トレック・ネクストジェネレーションの「艦隊の誓い」に匹敵するリベラルで空想的な憲法で、このようなものがこの世に存在し得たのは、奇跡としか言いようがない。
そしてキチガイほど強力な武器はない。
バカとハサミは使いよう。使いこなせば武器となる。
憲法を立てに、やりたくないことはやらないと主張したり、これを世界でやるべきと主張できる。その奇抜さは、他国の頭をしばし白くさせ、それに乗じて日本は国益を確保できる。
あんな小国の北朝鮮が、国際政治の中で、なんだかんだ言って自分の思い通りの利益をあげていくのは、そのふるまいに、他国の想像を超えた常軌を逸したところがあるからだ。
そのキチガイっぷりが武器になっているのだ。
しかし、これをやるには、高度な外交力、優れた交渉力、深い人間知をを持つ人材が、非常にたくさん必要になる。
日本国憲法では、国際紛争を解決する手段としての軍事力を放棄している。つまり日本は、軍事によらない力で、国際紛争を解決する強靱なシステムを持つべきと、憲法に書かれているわけだ。
それを具体化するには、まず有能な外交官の育成が必要だろう。
自民党政府は、ミサイル防衛のために、これから毎年最低2000億円以上の予算を計上していくつもりらしい。その金額はどんどん増え続け、何十兆とか凄い金額になるといわれる。まあ、そもそもミサイル防衛ってのは青天井なので、そうなっても不思議はない。
一方、一人の有能な外交官を育てるのに、一年1億円を20年かけるとして20億。2000億なら100人が育てられ、20年後には2000人の有能な人材ができている。
2000人ではちょっと少ないか。20兆円なら10万人育てられるけどね。
現実には、これよりもうんと安い金額で教育は可能だろう。
空想的だと思う人もいるだろうけど、オレに言わせればミサイル防衛が防衛に役に立つとかいうアイデアも、それ以上に空想なのね。
ただし、この人材育生には注意が必要だ。
彼らは古い意味でのエリートであってはならない。
エリートは、明治以降、しばしば日本をミスリードした元凶だからだ。
将来、政府の中枢に入っていくようなエリートは、金持ちや教育に金をかける家庭出身者が多く、高校大学へと進むうちに選抜され、非常に均質な、同じような世界観の人たちに純化されてしまう。
彼らは、語り合う友も同じような人たちで閉じて、他の世界観を理解できなくなる。
最悪なのは、自分たちのような考えを持たぬ者は、劣っている、理解力がないと考えてしまうことだ。
高級官僚たちは、たぶん一般の人が想像するより遙かに賢い。オレも若い頃、彼らを取材して、こんなに頭の良いやつ見たことねーって感嘆したことが何度もある。
彼らが今ある地位に選抜されたのは、伊達じゃない。
しかし、オレも長じてわかってきたけど、彼らはやはり理念の世界に生きていて、現実からは解離する傾向がある。
大局観はすばらしいけど、現実をその方向に動かすために必要なことに対する想像力が乏しい。
それは、エリートの宿命だ。
その理想を実現するには、どろどろした現実と折り合いを付けないといけないのだけど、そのことに思い及ばない。取るに足らないことだと誤解する。
彼らの作る制度が、しばしば現場に大きなしわ寄せを課したりするのはそのせいだ。大日本帝国の軍事官僚たちが、今の目で見て常軌を逸した愚かな判断を下していったのも、そのせいだ。
そのことについて、彼らを責めてもしょうがない。
人とは弱い存在なので、そのように選抜されれば、そのようになるのはやむを得ない。
だから、これからは、そんな欠点を生まないような選抜法やカリキュラムを深く考えて作る必要がある。彼らを知的エリートではなく、人間的に深みのある人物に育てなければならない。
外交の本質は、相手の文化を深く知ることだ。
相手文化の独自性を心から愛し、決して低く見ないことだ。
自分の文化を深く愛してくれるものに対して、人は悪い思いを抱かない。
相手の文化を深く理解するすることは、交渉において、押しどころや引きどころをつかむ基礎知識となる。
これをするには、大小を問わず、世界の全ての国の学校に人材を送り出し、若いときから相手国の将来を担う人と交流させるのが良いだろう。
また、世界のあらゆる国から優れた人材に日本に留学して貰い、日本の学生たちの中で育って貰うことだ。
また、異文化をおもしろがり、理解し、決して見下さない態度は、全国民に養われる必要がある。
もともと日本には、外国からくる珍しいものを、かっこいいと思う民族性がある。
明治以降、舶来かぶれのえらい人たちが、東洋を見下し西洋を持ち上げるいびつな物の見方を普及させたのは残念だけど、それはこれからでも修正し、本来の姿に戻すことができるはずだ。
東洋もイスラムもアフリカもスラブも、ありとあらゆる異文化はそれぞれ面白いし尊敬に値する。
その態度が国内に満ちれば、日本に滞在する外人も、日本により深い理解と共感を示してくれる可能性が増すだろう。
また、海外の平和、教育、医療などに従事するNPO、NGOなどに対する援助を増やしたり、そういう活動に従事することのすばらしさを、全ての人の教育課程で繰り返し教えるのも良いだろう。
その結果、実におめでたい人たちが、世界の隅々まで出かけていって、いっぱい良いことしちゃうようになる。日本人といえばおめでたいよなって、世界中の人たちが思うようになる。
それは、日本の外交において強力な力になるはずだ。
また、そのような活動に従事した人たちは、現実の厳しさ、この世の無情にさらされ、大きく成長するだろう。この平和な日本では得難くなった試練を経て、人間とは何かの理解を深め、理想と現実のバランスの取り方を学ぶはずだ。そういう人が増えることは、ますます日本の利益になる。
そのように日本国憲法を使えば、日本には独特の権威が生まれ、世界の中で、今以上に確固たる地位を築くことができるとおもうのよねん。
最終更新時間 17:05 | コメント (0) | トラックバック (0)
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