母国語と外国語 2
大学院時代の約2年間をボストンで過ごした間、インターンシップなども含めていくつかの媒体制作に関わりました。現地の英文誌などではアジアの文化に特化したコラムなども書かせてもらったり、また、ボストン在住の日本人コミュニティーに向けたミニコミ誌の立ち上げも手伝いました。
ボストンには沢山の日本人が住んでいたので、既にそうしたコミュニティマガジンはいくつかあったのですが、私が関わった雑誌はボストンで日本食ショップを営む親日家アメリカ人が創刊したもので、基本的に日本語で書かれていました。
現地に住んでいるミュージシャンやアーティストなどの有名な日本人にインタビューをしたり、市内のスポットを色々紹介する記事を書いたりした編集スタッフの多くは現地にしばらく住んでいる日本人で、子どもをローカルの学校に通わせているお母さん方もいらっしゃいました。もちろんそのほとんどが夫のほうのお仕事の都合で転勤されているというお話でした。
そうした家庭の事情による海外移住を幾度も繰り返し、小さい頃からトルコ、エジプト、イギリス、アメリカなどを転々として二十二歳になったKちゃんという子が、スタッフの中にいました。Kちゃんはボストン市内の大学に通っており、非常に聡明で気遣いも細やかな人気者でした。勉強熱心で、学校の課題以外の書籍も沢山読むような子でした。そのKちゃんが原稿を見ては時折聞くのです。
「伊東さん、『たなびく』ってどういう意味ですか?」
「『言葉を紡ぐ』ってどういう状態を指すんですか?」
「『小春日和』って何て読むんですか?」
もちろん日本国内のみで育った二十歳前後の女性でもこうした言葉、表現、漢字がわからないということは多々あるでしょう。ただ、問題なのは「分からない」事実ではなく、分からないことが彼女に与えていた不安感でした。
ご両親の方針で幼少の頃から地元の学校で英語や他の言語を使って勉強をしてきた彼女の英語はもちろん素晴らしいものでしたが、それでも本人はよく「私は、英語も日本語もきっと一生90パーセントしか出来ない」と呟くのでした。それに対して「私たちだって、一生のうちに覚えることが出来ない漢字なんてごまんとあるし、100パーセントなんて無理だよ」と答えても、「違うんです、自分の母国語が自分の体の中にしみこんでなくて、全てが中途半端な気がするんです」と悲しそうに言い、実際就職活動を始めた彼女は周りと比べてその点で大きなハンデがある気がすると語りました。意味のわからない単語に出会っても想像する力が足りてない気がする、それはベースとなる易しい単語の蓄積が完璧じゃないからだ、ということでした。
同じことを経験していない私には、その時「うーん、そうなのかな・・・」と唸った後、できる限り彼女を励ますことくらいしか出来ませんでした。
(続きます)
最終更新時間 2005年04月20日 18:47
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