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2007/09/27

嗚呼阪神

9月10日「阪神首位なのに出ない『Number』」というエントリーを書いてから、約2週間たちまして、昨日阪神Vの可能性が消えました。トホホ。

わたしがつまらない話書いたので優勝が消えたとしたら、大変申し訳ないこってす。
全国虎ファンのみなさんにもおわびいたします。

でもなんか、「クライマックスシリーズがあるさ!」なんて気分にもならないんですよねぇ…。
あのボロボロな先発陣で、打てない打線でよくここまで残ったものだと感心するくらいですから。
おっと、そんなことをいっていると横浜に抜かれる可能性も出てきました。

今年はもう野球はいいから浦和レッズ応援します(笑)。
Jリーグ創世記の頃から、「阪神みたいだ」と気になっていたチームなのですが、浦和近くのエリアに引っ越してきて、浦和とか川口とか遊びに行ってみると、ほんとにレッズへの熱がアツイのです。
KIOSKにレッズ関連の雑誌が並んでいるのも新鮮でした。
小さなスーパーや運送屋さん、床屋さんもみんなサポーターで、ほんとに「街ぐるみ」でレッズを愛しているのがよく分かり、何か感化されてしまいました。

浦和駅に駒場競技場からのバスが到着すると、次々ファンが降りてくるのですが、ほんとうに「普通の市民」で、老若男女、層を問いません。

レッズはアジア杯ベスト4に行きました。
ひょっとして制覇する可能性も出てきましたが、確かトヨタカップは今年から「開催国枠」でJリーグチャンプも出られるようになったんじゃなかったっけ?
そうすると、そっちも浦和が制覇するとどうするんだろう?

まあいいや。うれしい悲鳴と言うことで。

ちなみにわたしは田中達也選手のファンです。

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2007/09/26

背水の陣

新内閣を総理自ら「背水の陣内閣」と命名されたようです。

「背水の陣」は、(わたしが知る限り)もっとも有名なのは、紀元前200年前頃、中国を統一していた「秦」が衰え、『劉邦』率いる「漢」と『項羽』率いる「楚」の二大強国の戦いの中で活躍した「漢」の名将『韓信』の兵略です。

漢軍が北方の「趙」と戦うとき、自軍の兵士の士気が低く、戦力的にも不利であることを認識していた韓信は、趙軍を前にしてわざと、後ろに河がある状態で陣をつくります。
河といっても中国の大河。
もう引くことはできません。
そのような必死の状態に兵士を追い込み、また、背水の陣を引いた漢軍を見て「兵略の素人だ」と油断させて、韓信はこの戦いに勝つことができるのです。

背水の陣は、「後のない追い込まれた状況」ととらえられるかも知れませんが、むしろ、そういう状態を故意に創り出し、火事場の馬鹿力といいますか、兵士の能力を極限まで出させようという兵略(マネジメント)と見ることができます。
首相がそういう意味で、故意にこの言葉を使われたのなら、それは戦術のひとつでしょう。

この劉邦と項羽の戦いではもうひとつ有名な熟語「四面楚歌」という言葉も現れます。
これも「追い込まれた状況」には変わりありませんが、より絶望的な状況であり、しかも、心理作戦も含めて周到に楚軍を追い込んだ漢軍軍師の働きが光ります。
興味ある方はネットなどで調べてみてください。
中国の軍略はこんな時代から、人間の心理の奥底をついてくる、何ともしたたかなものだったということがよくわかります。

さらにもうひとつ有名すぎる言葉「国士無双」もこの物語からうまれました。
漢の臣『蕭何』が韓信を評価していったもので、国家にならぶもののない優秀な人物ということです。
これはご存じ麻雀の手役になりましたね(笑)

この戦いは漢の勝利に終わり天下統一を果たします。
我々が今「漢字」を使っているくらいですから、その時代の文化や知識がどれだけ大きなものだったか、はかり知れません。
その漢も衰えた後、いよいよ三国志の時代に突入するのです。
そうこの劉邦の「劉氏」の一族の血を引くと称して劉備玄徳が旗揚げし、漢の建国に力を尽くしたとされる曹氏、夏候氏の流れとして曹操孟徳らが旗揚げするのですね。

「史記」~「三国志」時代の中国の物語は、いま現在も有効な人間同士のコミュニケーション、戦略の宝庫です。

「ああ、2千年前も人間同士の戦いは何にも変わっていなかったんだなあ」

と思います。

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2007/09/25

時が止まったような街角

ぼくにはささやかな趣味がありまして、「時が止まったような風景」を探すのが好きなのです。
とくに都心に住むようになってから、都会の東京に、まるで忘れられてしまったような街角を探し歩くのが好きで、自転車や路線バス、デジカメを持って散歩して探すのです。

そんな「時が止まったような風景」の宝庫は、墨田区、荒川区や足立区に多く見かけます。
都心の代表格である千代田区にも意外と多く見つかることが分かりました。
とくに秋葉原のお隣、神田須田町、神田多町などは宝庫です。

そんな「時が止まったような風景」写真をモノクロで撮ると、またひときわいい味が出てきます。
カメラも写真も素人同然で恥ずかしいのですが、この三連休、近場を歩いて探して歩きましたので、もし「そういう風景」が好きなご同輩がいたら声を掛けてください(笑)。

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●山手通り落合付近
かつてわたしが住んでいた落合にある、忘れられた風景。うっそうとした雑草。放置された廃屋。しかし、確かに人が向こうへと歩いていきます。30年前の自分に会いそうでドキドキします。

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●神田淡路町裏通り
時が止まっています。でも、ちゃんと生活の香りがしています。この風景は偶然「アド街ック天国」でも撮られていてびっくり。

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●神田多町付近
ここは割と有名なミルクホールです。この付近には「いせ源」や「ぼたん」「やぶそば」など戦災を免れた地域ならではの味のある店舗が残っています。

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●九段下ビル
歴史のあるビルですが老朽化のため数年前からネットが掛けられました。だいぶ店舗も立ち退きましたが、まだ数店舗営業を続けています。

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●九段下ビルの裏手
喧騒の靖国通りから一歩裏手に回ると時が止まっています。

とくにこの連休は北区の十条仲原付近に行ってきました。
時の止まった曲がりくねった路地や坂道に出会えました。
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●十条仲原
忘れられたような家並み。暑かった日の午後。蝉の鳴き声のほかは何も聞こえてきません。環七から2分ほど歩いて入っただけで、こんなエリアがあるのですね。

こんな散歩の記録をまた別にブログにしました。
同じような興味がある方、よかったら立ち寄ってください。

時のない写真館 by 藤木俊明


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2007/09/21

あなどれない「こどもコンテンツ」

以前ある会社の企画で、「NHKの週刊こどもニュース」みたいなコンテンツをつくりたいという相談を受けたことがあります。
あれは大人が見ても十分楽しめるコンテンツですね。
たとえば「上海の株価が下がったら世界の株価が下がった」というニュースを、子どもに分かるように説明するには、そうとうこちらもしっかり分かってないとムリでしょう。

ある日、足立区の「舎人(とねり)」という地名の由来が気になって、Googleで調べたら、「足立区立図書館」のホームページに行き当たりました。
そこの「こどもこーなー」の「しらべる」というコンテンツが秀逸で、毎月いろんな地名の由来をていねいに解説しているのです。
今回は、なぜか千葉県の鋸南町がテーマで、源頼朝上陸地だとか書いてありますが、通常は「千住宿」「伊興(いこう)」「舎人」などと、足立区の地名の由来などが解説されているのです。
堅いばかりでなく「足立姫の伝説」なんてエピソードが散りばめられていて、足立区民必見のコンテンツではないでしょうか(笑)。

さらに驚愕の内容が「伊興」のコンテンツの中にありました。
そのまま引用させていただきますね。

[足立区立図書館のホームページより引用開始]
6000年前くらいには、東京湾(とうきょうわん)はいまよりずっと広く、栃木県(とちぎけん)のあたりまでありました。
足立区は海の底(そこ)にあったのです。
その証拠(しょうこ)に、千住旭町(せんじゅあさひちょう)の土地からクジラの骨(ほね)が見つかっています。
クジラは太平洋(たいへいよう)から千住のあたりまで泳(およ)いでくることができたのですね。
その後、気温(きおん)がさがって海の水が冷(ひ)えて氷(こおり)ができてくると、東京湾は小さくなってきました。氷になったため水が少なくなってしまったのです。
そして、どんどん海が小さくなっていって、足立区の北側(きたがわ)にある伊興のまわりが地上(ちじょう)にでてきたのです。他(ほか)の地域より先に地上となったので、歴史(れきし)が長いのです。
[引用終了]
ええ~、そんな昔でもないのに、東京も埼玉も海底だったの!
なんて、一人静かに驚いておりました。
アザラシが荒川を泳いでいるなんてもんじゃなく、クジラが北千住のマルイあたりで潮を吹いていたわけですね。

ともかく、地道にこんな素敵なコンテンツを制作し続けている足立区立図書館に拍手を送りたいと思います。

足立区立図書館 ようこそ!こどもの本の世界へ

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2007/09/18

本日アサヒドットコムにコラム書いてます

毎月1回ですが、アサヒドットコム「暮らしを楽しむ」のコーナーに、「R40秋葉原電脳日記」というコラムを書いています。

今回はプレゼンにも使ったらどうだろう、というデジタルステージ社のソフトウエア「LiFE」を紹介してまして、『撮った写真を映画のように』というテーマで書いています。

暮らしを楽しむ~「R40秋葉原電脳日記」

フォトシネマにつきましては、このブログでも2回ほど取り上げたので、詳細はそちらを見ていただければ幸いです。
これから上期の終了で、組織変更や飲み会なんかも多いのではないでしょうか?
送別会なんかにぴったりのソフトウエアです。

プレゼンツールとしてのフォトシネマ第1回
プレゼンツールとしてのフォトシネマ第2回

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■いろいろやって楽しんでます。

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■おもちゃのよう。

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■作品らしきものが…。

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2007/09/10

「阪神」首位なのに出ない『Number』

巨人との3連戦を、すべて1点差でしのぎきった阪神タイガース。
すごい激闘でした。
昭和風に言えば「銭湯が空になった」とか「通りから人が消えた」とか、今夏の高校野球の佐賀県状態になるような息づまる試合ばかり。
それで、ついに猛虎首位に立ったわけであります。
しかし、長年阪神を応援してきた人間として気になることがあります。

それは文芸春秋社の『Number』の阪神特集号が出ていないことであります。

1985年の優勝時も、勝ち進みはじめて「ん?今年はなんか違うぞ?」というシーズン途中に特集号が出て、当然のように優勝記念号が出ました。
1992年にも、新庄・亀山の活躍で、ひょっとしてというときに特集号が出ました。
前回優勝した2005年の8月に阪神特集号が出て以来、昨年の追い上げ時にも、今年に至っても出ているそぶりはありません。
※この時点ですでに企画済みなのかも知れませんが。

なぜか?

1.文藝春秋社の阪神信者が減ったかいなくなった
2.わたしの知らないところで出たのにわたしが気づいていない
3.あまり売れそうにないから

どう考えても、元メディアに身を置いたものとしては3.としか考えられません。
1.の要素もなきにしもあらずですが。

ではなぜそう考えるか?

これまでの阪神のマーケティングとは「あのダメ虎がここまできた」という角度からなされてきたように思います。
ある種母性本能というか父性本能というか、「ダメな我が子が突然変異のように活躍をはじめたこんな時にゼニ惜しんではあきまへん」という気持ちに乗っかったものだと思われます。

ところが、2003年以降、ダメ息子は一変し、ほんとに「よくできた息子」になってしまったのですね。
この辺の組織の変貌についてはまた考察を加えたいと思うのですが、「昨年の追い上げ」「今年の追い上げ」。
そして従来なら阪神が必ず大コケしたはずの巨人との三連戦を、激闘の末勝ち取った「勝負強さ」。
うれしいと同時に「こんな立派な息子なら、わたいが応援せんでも、みなさんがようしてくれますやろ」といって、別の趣味に去ってしまうような…。

むろん、ここ数年のプロ野球の人気低迷も微妙に影響しているのかも知れません。
「ダメな息子」との対局にあった「ええとこのボンボンで勉強もスポーツもできる学級委員長」という巨人のここ数年の不振で、「見たか!うちの息子を!」と毒づきたい相手としてはレベルダウンしてしまったこともあるかも知れません。

だいいち、わたしが燃えてないです!
もちろん勝てば嬉しいし、こんなブログ書いているぐらいなのに、球場へも足を運んでないし、ネットであとで結果を知るだけ。
せっかく強くなったのにどうしてなんだろう…。

そんなことを考えつつ、ここに新しいWordを提案したいと思います。

「ダメ息子マーケティング」。

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2007/09/05

曹操孟徳の「企画書」

古代中国の軍略の中で、一番現在の企画書のイメージ、とくに「状況を一変させる」という企画書幻想を感じるのが、魏の君主曹操孟徳が、「合肥(がっぴ)の戦い」において、名将張遼文遠に向けて送った司令書です。

紀元215年頃、呉国君主孫権の攻撃を受けた魏(国曹操)の要衝の地「合肥」。
そこを守る魏の名将張遼と李典・楽進。しかしこの三人は仲が悪かったようです。
しかも張遼の軍勢数千にたいして、攻める孫権軍は10万以上という大ピンチ。
このままでは敗北必至の張遼に、曹操が本国から送りさずけた司令書があり、「敵が来たら開いて見よ」というものだったようです。

どれどれ開けてみようと見ると「張遼・李典は城を出て戦い、楽進は城に残って守れ」というもの。
10倍以上の敵に向けて城を出て戦えとは…、と各員尻込みする中、張遼は司令書にそって打って出て戦い、彼自身の勇敢さと武力の高さもあって、孫権軍を寄せ付けなかったというのが「合肥の戦い」のハイライト。

現代でいうと、地方の大事なお客様が強大なライバル会社に出し抜かれそうになったとき、決してチームワークの良くない担当支社へ、本社から「うって出ろ」という戦略がメールできた。
支社長自らがプレゼンに出て戦ったら契約を継続できた、みたいなことでしょうか。

曹操は軍師を凌駕するほどの大変な才能の持ち主で、「孫子の兵法」に注釈をつけたという伝説が残っているだけでなく、詩歌の才能にも恵まれていたとのこと。
今で言う企画書を書く才能は高かったのではないかと思いを馳せます。

不利な形勢を逆転する秘策が書かれた曹操の指令書。
それはまさに、求められる企画書のエッセンスともいえるものですね。

追記
ちなみにわたしは三国志のシミュレーションゲーム大好きなのですが、張遼は必ず部下にしたいひとりです(笑)。敵にすると強いし頭はいいし、非常にやっかい。
張遼は「遼来来(そんなことをすると張遼が来るぞ)」と、ぐずる子どもをあやしつける言葉になったぐらい、圧倒的な怖い存在として語り継がれるのですね。

さらに追記
張遼文遠は横山版三国志では、小太りのおっさんという感じでイマイチの風采ですが「蒼天航路(王欣太)」では、すばらしく魅力的なキャラクターとして書かれています。とくにこの「合肥の戦い」「北伐の戦い」での張遼はスーパースター。
また、全編を通じて、関羽雲長との敵味方を越えた親交ぶりが三国志を彩りのあるストーリーにしています。

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2007/09/03

本日9月3日の夕刊フジに

本日9月3日月曜日。
夕刊フジさんの紙面リニューアルがおこなわれ、ビジネスパーソン向けのコーナーが見開きカラーで登場するのですね。
その第一弾が「勝てる企画書」ということで、わたくしがインタビュー受けた記事が構成され、掲載される予定です。

やっぱり自分で書くより記者が書いた方が伝わりますね~。
自分が書くと、知っていることははしょったり、逆にマニアックなところを追求したりしてしまうのですよ。記者の方がまとめる記事は、その辺バランスが取れていてさすがだと思います。
やはり新聞記者は、文章を簡潔にまとめるプロです。
で、紙面リニューアルにより、これまでは企画書見本もモノクロだったのですが、今回からはカラーで表現できるわけです。
今日の夕刊フジはよろしければ読んでやって下さい。
きっと朝青龍問題などと並んで出ているはずですから…。

なお、今後毎月1回ぐらいずつ登場の予定ですのでよろしくお願いします。

追記
昨年夕刊フジで取り上げられていた記事が、「夕刊フジBLOG」に掲載されています。よろしければこちらをどうぞ。

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